第八話|「家族写真」

第八話|「家族写真」


 『グランド・メゾン・白金』の多目的ホールは、朝からどこか浮足立った空気に包まれていた。  今日は、年に一度の「家族の肖像」イベント。プロのカメラマンを呼ぶ予算はあるはずなのに、施設長が「スタッフとの信頼関係こそが、いい表情を引き出す」などと節約じみた美辞麗句を並べた結果、学生時代に写真部だったという葵に白羽の矢が立ったのだ。


 葵の首に掛かっているのは、悠真が「計画」の一部を前倒しして、リサイクルショップで工面してきた中古の一眼レフだ。ずっしりとした重みが、葵の鎖骨に食い込む。その冷たい金属の感触が、これから撮らなければならない「家族」という実体のないものを、無理やり可視化させようとしている気がした。


「……葵、緊張しすぎだ。ファインダーが曇ってるぞ」  機材のセッティングを手伝う悠真が、小声で囁く。彼は今日、黒いベストをビシッと着こなし、照明係兼、入居者の誘導役を完璧にこなしていた。 「だって、自信ないよ。私が撮る『家族』なんて、きっとどこか嘘っぽくなる」 「嘘でいいんだよ。ここは、美しい嘘を買いに来る場所なんだから」


 悠真がそう言い切ったとき、最初の一組が入ってきた。  元実業家の気難しそうな老人と、その息子夫婦、そして中学生くらいの孫。  息子夫婦は、高級なスーツに身を包んでいるが、どこか落ち着かない様子で、時計を何度もチラつかせている。


「お父様、背筋を伸ばして。……そう、あ、ネクタイが曲がってるわ」  嫁が義父の襟元を直す手つきは、丁寧だが、どこか「義務感」という薄いビニール越しに触れているような、温度の低さがあった。  ファインダー越しに覗く葵の視界には、四人の間に流れる、目に見えない「断絶」が映り込む。


(……眩しいのに、ちっとも温かくない)


「はい、撮りますよ。……皆さん、少し寄ってください」  葵が声をかける。  レンズの向こうで、四人が一斉に「家族の顔」を作った。口角を上げ、目を細め、仲睦まじいフリをする。シャッターを切るたび、フラッシュの白い光が、そのぎこちない空気ごと空間を切り取っていく。


『パシャリ、パシャリ』という機械的な音が、ホールに空虚に響いた。


 撮影の合間、リネン室に機材の予備を取りに行った葵は、そこで立ち尽くした。  自分の撮った画像を確認する。そこにあるのは、綺麗な服を着た、他人同然の四人だ。 「……ねえ、悠真。写真って、残酷だね。仲良くないことまで、綺麗に写しちゃうんだもん」


 悠真は、暗いリネン室で予備のバッテリーを充電器に差し込みながら、葵の方を見ずに答えた。 「……でもさ、あの人たち、出来上がった写真をリビングに飾るんだぜ。……『俺たちには家族がいる』って自分に言い聞かせるために。……写真ってのは、過去を残すための記録じゃない。……今、バラバラになりそうな自分たちを繋ぎ止めるための、『おまじない』なんだよ」


 悠真の言葉が、葵の喉の奥にストンと落ちた。  自分たちが「二十万」を貯めて撮ろうとしている写真。それは、誰かに見せるための自慢じゃない。 「……私たちも、そうなんだね」 「ああ。……俺たちが、いつか壊れそうになったとき、あの写真を見て『ああ、この時は確かに家族だったんだ』って思い出すための保険だ」


 ホールに戻ると、次に入ってきたのは、あの「富士山」こと、よし子さんだった。  今日はなんと、面会制限が解けた孫娘だけでなく、施設出身の「先輩」である健吾までもが、無理やり花束を持って現れていた。


「あら、葵さん。今日の私、どうかしら? 冠雪具合は完璧よ」  よし子さんは、青い髪を誇らしげに揺らし、孫娘の手をぎゅっと握っている。 「最高です、よし子さん。……健吾さんも、何してるんですか」 「……うるせえよ。施設長に『サクラでいいから来い』って言われたんだよ。……お祝いだ、ほら」  健吾が投げやりに出した花束は、安物だが、二人のために用意したのがバレバレで、葵の胸を少しだけ熱くした。


「よし、撮るわよ! 健吾さんも入って!」  葵は、初めて自分から声を張り上げた。  ファインダーの中には、血の繋がった孫娘と、血の繋がらない施設の「後輩」と、ボロボロの離婚届を持った「先輩」。  バラバラで、不格好で、お世辞にも「美しい家族」とは呼べないけれど。


「……はい、チーズ!」


『カシャッ』


 その瞬間、フラッシュの光の中で、よし子さんが孫娘の頭を撫で、健吾が照れ隠しに顔を背け、悠真が横で小さく吹き出した。  そこにあったのは、高級な大理石の床を汚すような、生々しくて、泥臭くて、けれど、どうしようもなく「今ここにある」熱量だった。


 葵は、プレビュー画面を見つめた。  そこには、三百万のドレスも、ハワイの海もない。  けれど、不器用な大人たちが、お互いの存在を認め合った一瞬の「肯定」が、確かに焼き付いていた。


(……写真って、すごいな。……今の私たち、ちゃんと生きてる)


「……葵」  悠真が、葵の肩を叩いた。 「……いい顔だったな。今の」 「うん。……私たちも、撮ろう。二十万、貯まるの待たなくていい。……この部屋の隅っこでいいから、今、撮ろうよ」


 悠真は驚いたように目を見開いたが、すぐに、彼らしい不器用な、でも確かな「家族の笑顔」を見せた。 「……三脚、あったっけ?」 「ないよ。……炊飯器の上に置けばいいじゃん」


 二人は、笑いながら次の撮影準備に入った。  窓の外では、冬の太陽がゆっくりと沈み始め、ホールのシャンデリアが、昨日よりもずっと柔らかい光を放っていた。


 いないから、作る。  壊れそうだから、撮る。  その一枚一枚が、二人の人生という名の「富士山」を、少しずつ、形作っていく。


「ただいま」を言う相手がいる。  その「今」を肯定するために、葵は再び、重たいカメラを構えた。


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