出会い
2020年、寒さが身に沁みるようになってきたこの頃。
マッチングアプリで知り合い恋に落ちた彼に恋人がいたことが発覚し、やけになって画面をスワイプしていた。
正直どの男も、好きだった彼には敵わないし、特に心に響かない代わり映えのないプロフィール文に飽き飽きして、溜まってばかりいたトークを上から順に返すことにシフトチェンジした。
男の傷は男で癒やす事がこの頃の私のモットーで、この時も例外ではなく別の男と適当に酒を酌み交わし、適当にホテルで抱かれて、その瞬間だけは満たされた気になる。それが私のルーティーンだった。
「予定が合えば飲みに行きませんか?」
当たり障りのない文をコピペして複数人に送信する。
そしてその中で会話のベクトルが合うなと思った男性をピックアップしLINEを交換して、またその中から篩にかけていく。
まるで事務作業のようにこなす。
その日はなぜか積極的にトークを続けてくれる一人の男性に心が惹かれた。
惚れやすい体質なのは自分でも良くわかっていたので、この時感じた心が締め付けられるような感覚を自分自身で否定して彼とのトークを続けた。
彼も所詮他の男と変わらないんだ。男性が女性に優しくするのは9割方下心であると私の辞書の一ページ目に書いてあるから。
いつもはその自分の辞書に則って、下心を理解した上で建前上その好意を受け取り、そして形式的に行為をしていたのに、なぜだか私の本能は、彼からの好意を受け取る事ができなかった。
いや正式には好意を受け取ってしまった時点で、それが下心であることを認めなくてはいけない気がして、受け取るのが怖かった。彼には体ではなく、私自身を見て欲しかった。
いつもだったらLINEを交換した時点で会う約束をして一週間以内にはすでに体の関係を持っていることがほとんどだったけれど、彼とはすぐに会うことができなかった。
まだ自分にこんな初心な感情が残っていたことを少し喜ばしく思った。
彼との長電話は心地よかった。
歳は二つしか変わらないのに、大人っぽくて落ち着いた低い声、時折彼が言う冗談に笑わせられた。
次第に彼に会いたい気持ちが大きくなった。
だけれど失恋したばかりの私の心は不安定で自信を喪失していた為、自分から会う約束をするのに臆病になっていた。
でも、その日は突然やってきた。
仕事が休みで、今日は一人でショッピングに行こうかなと思っていた昼下がり、彼から電話がかかってきた。
他愛もない雑談をし、気付けば一時間が経っていて、このままでは貴重な休みを無駄にしてしまうと思った私は、今日は予定があることを伝えて電話を切り上げようと思った。
でも彼からの返答は私の計画をいとも簡単に狂わせた。
「一人で買い物に行くなら俺も行く」
思ってもないチャンスに一瞬歓喜したがすぐに自分の現状に気付き目を覚ました。
カラー部分が伸びきってプリン色の頭髪に全く手入れされていない爪。
気になっている人との初デートがこんな不恰好な見た目じゃ絶対に嫌だ!
何かと理由をつけて全力で拒否したが、そんなことはどうでもいい。と一蹴する彼に逆らえるほどの理性は残っていなかった。
すぐにできるだけのことをして、完璧ではないがなんとか最善を尽くした私は心臓が口から飛び出しそうになるのを抑えて電車に乗り込む。
私の気持ちなど露知らず待ち合わせ場所に着々と近づく電車が憎かった。
そして時間より少し早く着いた私は何度も手鏡で前髪をチェックし、洋服の襟を整えた。
少し丸まった姿勢を無理やり正して、今か今かと彼の到着を待った。
「今着いた」
携帯の通知音に合わせて飛び跳ねる心臓。
「私はもう着いてるよ」
と打ち終わると同時に数メートル先の改札を抜けてこちらへ歩を進める彼は周りを歩く群衆から頭一つ分大きくて、目立っていた。
彼を視界に入れた途端、周りの雑音は一切耳に入らず、段々と近づいてくる彼から目を離せなかった。
約束の時間から三十分遅れて私の目の前に到着した彼の第一声は、謝罪でもなければ、型式貼った挨拶でもない。
「よう」
ただその一言だった。
その瞬間私の強ばった体は一気にリラックスして、自然と表情筋も緩んだ。
それが私たちの出会いだった。
その日は一日買い物に付き合ってもらい、気付けば夕方になっていた。
よく喋る私とは対照的に無愛想で無口な彼だったが、女特有の長ったらしい買い物に嫌な顔ひとつ見せずに最後まで付き合ってくれて、明確な理由は言葉にできないけれど、この時すでに私は彼の虜になっていた。
でも最後まで気は抜けない。
買い物は済んで、あとは解散するだけ。
ここでホテルに誘われては私の淡い恋心は砕け散る。
私は事前に自分の恋愛観を伝えていた。付き合う前に体の関係を持ちたくないこと。いわゆるセフレというものは欲しくないこと。
ここまで伝えた上でホテルに誘われてしまったらいよいよ彼は脈無しだ。
そしてその瞬間の私にその誘いを断れる自信は微塵もなかった。
特に核心に迫る会話はしないまま駅の方へと向かう彼とただついていく私。
何もせずに帰してくれるのではないかという期待と、もしかして私に魅力がないから手を出さないのではないかという不安に挟まれながら、
「もう帰る?」
と余計なことを聞いてしまう私。
「今日これからバイトあるから帰るよ」
私は耳を疑った。
バイトがあるのならば、必然的にこの後一緒にいることはできない。ということは、はなから買い物という本日の目的を果たすためだけに、ましてや私の買い物に付き合うためだけに、バイト前の貴重な時間を割いて私に会いに来てくれたのか。
未だかつてない幸福感に心が満たされて、
「まだ帰りたくない」
と彼の手を引く私。せっかく健全なデートができるチャンスだったのにそれを自分で無駄にしてしまうような発言をしてしまったことに内心後悔した。
だけどこれで断られたらいよいよ私に魅力がないのではないか。
不安もあったけど、数時間彼と過ごしてすでに彼に骨抜きにされてしまっていた私はそんなことどうでもよくて、ただ彼と一緒にいたいと言う気持ちしかなかった。
彼は少し迷って、そして携帯を取り出し誰かに電話をかける。
少しして電話を終わらせた彼は笑って
「バイトサボっちゃったから暇になったよ、飲み行く?」
これは、寂しがり屋の私をノックアウトさせるには十分すぎる一言だった。
手頃な居酒屋で安い酒を軽く飲んで、お得意のボディータッチをかました。
いつものように男を落とすためではなく純粋に彼に触れたいと思った
それでも彼は全く靡かず、私の期待していたことが起きることなく朝を迎えた。
日の目を浴びることのなかった勝負下着を身につけて誇らしげに始発に乗り込む私。
一般的にはそこまで珍しいことではないかもしれないが、今日起きたことは私史上稀に見る喜ばしい大事件で、帰り際彼が私に振ってくれた香水の匂いに包まれながら夢見心地で帰路についた。
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