第2話 数世紀前の断片
雨が降っていた。
舗装されていない道に、水たまりがいくつもできている。
ヘルメスは、まだその名を名乗っていなかった。
古い町の外れ、木造の倉庫の前に立ち、刀を布で包んで抱えている。鞘は欠け、柄には血の跡が残っていた。
中から、声が聞こえる。
「……終わったか?」
低く、若い男の声。
今よりずっと若い、マックス・ジョーの声だった。
「問題ない」
ヘルメスはそう答え、倉庫に入る。
中には数人の男がいた。武器を持ち、酒の匂いを漂わせている。
その中央に、縛られた人物が座っていた。
ヘルメスは視線を逸らした。
見る必要はなかった。
「これで借りは返したな」
マックスが言う。
彼は銃を肩にかけ、濡れた床を気にも留めていない。
「そうだ」
ヘルメスは短く答える。
そのときだった。
外で、乾いた音がした。銃声。続いて、悲鳴。
倉庫の扉が破られ、人影がなだれ込む。
制服。正規軍だった。
「伏せろ! 」
誰かが叫んだが、遅かった。
銃声が連続する。
ヘルメスは反射的に刀を抜き、最も近い兵士に斬りかかった。
感触は、今も変わらない。
数分後。
倉庫の中は静かになった。
床に転がる死体の中で、動いているのは二人だけだった。
ヘルメスと、マックス。
「……ちっ」
マックスは舌打ちし、奥を見た。
縛られていた人物が、胸を撃たれて倒れている。
息は、もうなかった。
「計画と違う」
マックスはそう言った。
それだけだった。
ヘルメスは、その場に立ち尽くす。
刀の先から、血が滴り落ちている。
「情報が漏れてた。仕方ない」
マックスは淡々と続ける。
「撤退する。お前も来い」
ヘルメスは動かなかった。
「……彼女は? 」
言葉にすると、喉が引っかかる。
マックスは一瞬だけ、視線を向けた。
そして、肩をすくめる。
「運がなかった」
次の瞬間。
ヘルメスの視界が揺れた。
衝撃が腹部を貫いていた。
マックスの銃口が、こちらを向いている。
「生き延びたら、恨め」
マックスはそう言って、背を向けた。
ヘルメスは崩れ落ちる。
雨音が、やけに大きく聞こえた。
――それでも、死ななかった。
目を覚ましたとき、町は焼け落ちていた。
倉庫は跡形もなく、瓦礫の中に彼女の姿もなかった。
彼は刀を拾い、鞘に収めた。
血は乾いて、黒くなっている。
それから先の時間は、途切れ途切れだ。
戦場、研究施設、知らない国。
名前も、立場も、何度も変えた。
ただ一つ、変わらなかったものがある。
雨の夜。
背中を向けた男。
引き金の重さ。
そして、終わらせるという動作だけが、体に残った。
─現代
西暦2300年の夜。
ヘルメスは屋上の縁に立ち、下を見下ろす。
光の中に、過去はない。
刀の柄に触れる。
触れるだけで、手の平から切っ先まで、感覚がつながっていく。
数世紀の時間経過は、彼の身体に代償を残した。
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