第3話

夜会の会場は、天井の巨大なシャンデリアが黄金色の光を放ち、磨かれた大理石の床に反射していた。

貴族たちの談笑が絶えず、香水とワインの香りが混ざり合う。

華やかな空間の中で、俺だけが場違いな影のように壁際に立っていた。

今日の目的は、新しい婚約者を探すこと。

あの決闘の後、両親にこれでもかと叱られ、何としても婚約者を探すようにと命じられた。

セレスティアが婚約破棄された以上、フェルディナ家の立場と、セレスティアを守るためにも、俺が誰かと婚約する必要がある。

……必要があるはずなのに、胸の奥は重く沈んでいた。

シャルロッテに婚約破棄された瞬間の感覚が、まだ体のどこかに残っている。

「レオン殿、ヘイトタンクとして訓練に参加しませんか?」

「魔族討伐の時のおとりが欲しくてな。どうだ?」

声をかけてくるのは、戦闘訓練の誘いばかり。

俺は笑顔を作りながら断り続けたが、心はどんどん冷えていった。

異性からの声は一つもないし、こちらから声を掛けると逃げて行ってしまう。

そろそろ帰ろうかというところで、一人の令嬢が近づいてきた。

淡い青のドレスをまとい、緊張した面持ちで言う。

「あ、あの……ダンスを……」

胸がわずかに温かくなった。

俺はそっと手を差し出す。

だが――

ぱん、と弾かれたように令嬢が後退った。

「え……? どうしたんです? 大丈夫ですか?」

近付こうとすると、令嬢は後退る。

「ご、ごめんなさい! 私、魔道具製作ではそこそこ名のある一族の者で……あなたで実験したくてダンスの申し出をしたのです。本当は近づくのが嫌で嫌で仕方なかったんですが……」

「は、はあ。つまりどういうことです?」

「先祖伝来の守護魔法が宿ったアクセサリーをつけていて、効果を調べたかったんです。今夜、あなたのおかげで精神的な苦痛にも効果を発揮するとわかりました。あなたがあまりに不細工で、近くにいると憂鬱で不快になって……それで守護魔法が守ってくれたみたいです」

周囲の貴族たちが興味津々で近づいてくる。

「まて、結論を急いではいけない。その程度で効果を発するなら、なぜオークやゴブリンと遭遇した時には奴らを弾き飛ばさなかった?」

「オークやゴブリンの方が、ご令嬢にとっては美しい存在だからでは?」

「ヘイトタンクの傍にいると危険に巻き込まれる可能性が高いから、守護魔法が遠ざけようとしてくれたのではないか?」

「何を基準に、どこまで守ってくれるんだ、このアクセサリーの守護魔法は」

令嬢は涙目で謝ってくれたが、俺は笑うこともできなかった。

さすがに心が折れて、その場を離れ、外へ出た。


夜空には星が散りばめられ、冷たい風が頬を撫でる。

静けさが胸に染みた。

どんな世界でも美しいものは好かれ、醜いものは嫌われる。

仕方のないことだが、それにしたって人間の理性を失わせるほどの醜さって何なんだ。

日常生活でも戦いでも、これだけ不便だと、もはや呪いじゃないか。

そのとき、背後から柔らかな声が届いた。

「レオン様」

振り返ると、白いドレスをまとった少女が立っていた。

長い黒髪をゆるく束ね、深紅の瞳には虚ろな光を宿している――王女エリス・アストレアだ。

月光に照らされた横顔は静かで、どこか儚げだった。

「王女殿下……」

「お兄様はあなたのお姉様……セレスティア様との実戦訓練のおかげで、魔の森の討伐で多大な成果をあげて帰ってきました」

「……そう、ですか」

「私はお兄様の婚約者として、セレスティア様がやはりふさわしいと考えます。これから協力して、あの二人をくっつけませんか? 協力していただけるなら、私にできる範囲で、財宝や地位といった報酬を授けます」

「姉上は、傷ついている様子でして……弟として、姉上に無理をさせたくはないというのが、私の気持ちです。申し訳ございません」

「お姉様と仲がよろしいのですね。では……希少スキルや秘伝の魔術を報酬とすることではいかがでしょう」

スキルや魔術は、このアストレア戦記の世界において、誰もが欲しがる貴重なものだ。

金では買えないことの方が多いし、スキルと魔術で魔族との戦いを続けることで、地位は自ずと手に入る。

王家とはいえ、ありえないくらいの破格の提案と言えた。

エリスの声は穏やかだったが、その奥にわずかな焦りのようなものが混じっていた。

兄の暴走を止めたいのか、セレスティアを救いたいのか、他に何か目的があるのか――

「スキルも魔術も財宝も地位も、この国では自分で戦って得るものですから。王女殿下たるもの、その原則を曲げてはいけません。この国で戦っても得られないのは……結婚相手くらいですかね」

エリスの考えは俺にはわからないが、やはり丁重にお断りすることにした。

「王女殿下は私の顔を見ても大丈夫なのですか? 攻撃したくなるか、逃げ出したくなるくらいの醜悪さで、オークやゴブリンの方がまだ美しいらしいですが」

「私は目が見えないので、わからないんですよ」

微笑むエリス。

アストレア戦記で、そういう設定だっただろうか。

完全にやり込んだわけではないが、特殊なイベントや設定のある人物だとは認識していなかった。

「しかし、レオン様の仰るとおりです。魔族と戦い国民を守れば、その働きに応じて報酬が与えられる……王国の一番大切な前提を覆すところでした。そして、結婚相手については戦いで望むままに得られるものでないのも、仰るとおりです。婚姻はまずは家の思惑、場合によっては当人同士の想いで決まるものですからね」

そして、彼女はまっすぐ俺に向き直った。

「レオン様が、結婚相手は望んでも手に入れられないと考えていて、かつ報酬として与えられることに抵抗が無いのであれば、協力の見返りとして、私がレオン様と婚約するのはどうでしょう。国内の安定のためには、王家と侯爵家が険悪になることを防ぐ必要があります。この報酬は一石二鳥です。我ながら素晴らしい案です」

その声は理性的で、論理的で、王女としての判断に満ちていた。

だが、ほんの一瞬だけ、言葉の端が震えたような気がした。

「……王女殿下がそこまで犠牲になる必要はありません。無理はなさらないでください」

エリスは首を横に振り、穏やかに微笑んだ。

「無事にお兄様とセレスティア様を元の鞘に納めることができれば、私たちは婚約解消になりますから、お気になさらず」

その言葉は優しく、どこか自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

俺は静かに頷いた。

「そこまで考えてのことであるならば……承知いたしました」

「受け入れていただけて、大変嬉しく思います。私のことはエリスと呼んでくださいね」

どうにか、両親からの命令を果たせたらしい。

王女殿下という婚約者を探し出すことで。


学園の朝は、冬の冷気がまだ残っていた。

高い窓から差し込む柔らかな陽光が廊下の床に淡い影を落とし、静かな空気が漂っている。

そんな中、俺とエリスは並んで歩いていた。

目が見えないエリスだが、その歩みに危ない様子はなく、相変わらず穏やかな表情を浮かべている。

だが、周囲の視線は冷たかった。

「エリス様、お気の毒に……あの醜い男と婚約だなんて……」

「少し前に目が見えなくなったらしいわ。だから、押し付けられたのね……」

囁き声が背中に刺さる。

俺は胸が痛んだ。

エリスは王女だ。

本来なら、誰もが羨むような相手と婚約するはずだった。

それなのに、俺なんかと――。

「……殿下、極力形だけの婚約にして、学園では離れていましょう。迷惑はかけられません」

そう言うと、エリスは小さく首を横に振った。

その仕草は柔らかく、どこか楽しげですらあった。

「エリスですよ、レオン様。私、またいい案を考えて、それにはレオン様の協力が必要なのです」

「案……ですか?」

「お兄様とセレスティア様が一緒に過ごす時間を作り、二人に仲直りしていただきたいのですが……突然二人にデートをしてもらおうとしても、きっと聞いてもらえません」

「それはまあ、そうでしょうね」

「そこで、私たちがデートをして、それぞれ不安だからという理由でお兄様とセレスティア様に一緒に来ていただくのです。途中で私たちは二人きりで話をしたいと離れれば、お兄様とセレスティア様のお二人で過ごさざるを得ないという作戦です」

なるほど、と俺は思った。

エリスはいつも静かで落ち着いているが、こういうときだけ妙に楽しそうだ。

「エリス様と俺がデート……本当に、そんなうまくいきますかね」

「私たち二人でうまくいかせるんです。そのためには、綿密な策を練る必要があります。私はいつも考えて、考え抜いて、絶対にうまくいく状況を作るようにしています」

エリスはそう言って、俺の手を握った。

「そういうわけで、これからお昼は一緒に食事をしながら策を練りましょう。来週のデートに向けて」

こうして俺は、姉と王太子の未来を取り戻すために、盲目の王女との婚約生活を始めることになった。

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醜悪令息レオンの婚約 @AutumnColor

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