第3話 任務の終わり②

 隣のルード、はす向かいのリザベルの顔を交互に見やるが、言葉が出てこない。


 突然の結婚報告――まさしく青天の霹靂と言うべき内容だった。


 ルードは二十六歳、リザベルは二十四歳。どちらも所帯を持っていて不思議ではない年齢である。おまけに一年ものあいだ、仕事のためとはいえ一つ屋根の下に暮らしていれば、年頃の男女が「そのような」関係に発展することなど不思議でもなんでもない。


 だが、それでも、ノクトの受けた驚きと衝撃は並々ならないものだった。まさかこの二人が、というのは、それなりの期間を近くで過ごしてきたにもかかわらず――いや、だからこそノクトの心に起爆した驚愕であったのだ。


「あれれれれエェ~? ノックちゃーん……ひょっとして、ガッカリしちゃったあ?」


 グラス越しにノクトを見やるリザベルの目には、先ほどよりも色濃いいたずらっぽさが宿っていた。


「い、いや……べつに、そういうわけじゃ……」

「自惚れが過ぎるんじゃないのか、リザベル。我々の関係性を鑑みれば、ノクトの反応はごく自然なものだ。彼の中におまえに対するとくべつな感情があったと捉えるのは、いくらなんでも自意識過剰だと自分は考える」


 アンナが淡々と諭し、リザベルが「ジョーダンですウ~ノックちゃんがあたしにホレてるとか思ってませェ~ん」と肩をすぼめてみせる。


「この場で報告するつもりだったんだよ、ノック。タイミング見てたんだけどな、もうちょい酒が入ってからのほうがいいかな、とかよ」

「べつに酒入れる必要ないっしょ」

「な、なあ」


 ノクトが口を挟んだ。突然の結婚報告による驚きと衝撃がようやく収まってきた、といったところか。

 ただ、その顔には今度は縋るような色が滲んでいる――まるで母親から置いてきぼりを食わされそうな幼子のようだった。


「どしたよ、ノック?」

「いや……おまえたち……結婚するってことは、その……出て行くのか、ここ」


 一瞬、きょとんとなるルードとリザベル。ついでにアンナ。

 と、ルードがぷっと吹き出した。


「あたりめーだろ、ノック! 籍入れてからもアジトで共同生活ってか? そりゃねーだろうよ、いくらなんでも!」

「そもそも、任務は終わったんだしねー」

「い、いや……まあ、任務が終わったというのは、それはそうだが……いつ出て行くんだ?」

「明日には荷造りして二、三日内ってとこか!」

「え。そんなに急な話なのか……」


 ノクトにとっては完全に寝耳に水の話だった。クールな風貌にも、その動揺はありありと浮かんでいる。

 つかのま固まっていたノクトの、その瞳がスライドする。リザベルの隣で、終始涼しげな顔を崩さずに淡々とビールを口へ運んでいたアンナに向けられた。


「なあ、アンナ……おまえは、まだしばらくここにいるんだろ?」

「いない」


 即答だった。そのあまりの返答の早さに、ノクトはまた打ちのめされる心地がする。


「な、なんでだ? おまえは誰かと結婚するとか、そういうわけじゃないんだろ。だったら、もう少しここにいても……」


 アンナはすぐには答えず、グラスのビールを呷った。

 その頬が、ほんのり染まる。

 アルコールによる紅潮ではない。アルコールでは、いくらなんでもこんなに速やかな反応は起こらないはずだ。 


「……自分は、待たせている」

「え……誰を」

「……自分の、恋人」

「え――」


 またまたフリーズするノクト。


(恋人……恋人と言ったのか、アンナは? なんだ、この違和感は……堅物で無表情で、一見、何を考えているんだかさっぱりで……要は俺と同じ朴念仁タイプだとばかり思っていたアンナの口から、まさか恋人なんて単語が洩れるとは……)


「相手はとても理解のある男性だ……今回の任務のことも把握していて、承知の上で待ってくれていた……自分は、彼の誠意に応えなければならないと考える」

「そ、それで……ここを出て行く、というのか」

「すでに共に暮らす部屋は決まっている」

「――ッ!!!」


 つかのまの、沈黙。


「てーこーとーはぁ……ノックちゃん、ここでボッチになっちゃうねぇ!?」


 リザベルがいたずらっぽいまなざしを向けてくる。


「おまえ、アホか!? 任務は終わったんだぜ。ノックだって、いつまでもアジトに居座り続けるわけねーだろ。俺らみたいに明日荷造りして、ってなわけにはさすがにいかねーだろうが、そう遠くねえ時期にここからはおサラバするんだよ。なあ、ノック? そうだろ?」

「あ、ああ……」


 そう答えはしたものの、この部屋を出るなどと考えたことはこれまで一度もなかった、というのがほんとうのところだ。


「ここに長居することには自分は賛同できない。〈星の盾〉殲滅が周囲に与えた影響は、とてつもなく大きい。任務前に比べ、我々の敵は増えたと考えるべきだと自分は思う」


 淡々と語るアンナ。


「仕事上の思想がないというおまえの考えは正しい。しかし今回の任務に限らず、これまで〈リビアーナ〉からの依頼を多くこなしてきた我々は、マクロ視点で言えば国家に敵対してきたも同然だ。これまでは対立構造も玉虫色だったかもしれないが、それが今度の一件で確定的なものとなった……そう捉えて差し支えないと自分は考える」

「自然保護の理念に基づいてるにせよ、マナ軍拡反対、なんてのは軍事国家アンバースの指針とは真逆の方向向いてるよーなもんだからな!」

「ま、ミッショナーやってる以上はいつ誰に狙われるかわからない、ぐらいのことは覚悟してるけどさー」

「この場所もいつ敵に割れるか知れない。早々に離れるべきだと自分は判断する」


 アンナの主張に、異を唱える者はいなかった。ただ一人ノクトだけが少し複雑そうな顔をしているのは、アンナの意見に納得していないのではなく、三人と早々に別れなければならないという、そのことに対する抵抗ゆえだ。


 つかのま、沈黙の帳がリビングに降りていた。


「ホラホラ! なぁにしんみりしちまってんだよ、ノック!」


 沈黙を破ったのはルードだ。


「ここで四人で一緒にメシ食えるのなんて、もう何回もねえんだからな! それに今夜は祝賀会だろ。ノるべき時ぐらいノらねぇと女にモテねーぞ!」

「それ……さっきも聞いた気がするが」

「ハハハ! いーからいーから! おし、空気変えっぞ空気! 仕切り直しだ!」

「おーっ、こういう時だけは世界一頼りになるルーちゃん、よろ!」

「だけ、はよけいだっつーの、リザベル! こういう時『も』だろ!」

「他にどんな時に頼りになるのか教えてもらいたいけどねェ!」

「乾杯の音頭でしか頼れない男と所帯を持つ気になれたおまえに、自分は感心する」

「きゃははっ! アンちゃん、それって突っ込みとして的確過ぎるゥ!」

「考え直すなら今が最後のチャンスだ」

「お、おいおいアンナ、勘弁してくれよ! 俺がこの半年間、こいつを落とすためにどんだけ苦労してきたと思ってんだよ?」


 聞いて、愕然となるノクト。


「は、半年……? ルード、おまえ、半年って……そんな前から、リザベルのことを……」

「馬鹿野郎、なに言ってやがる! 想ってたってんなら一年前からだぜ! 一目惚れだったんだよ、〈セツナ〉として初めて顔合わせした時の!」

「――ッ!」


 ノクトがさらに驚きを示し、リザベルが(本人に言わせればおそらく「柄にもなく」ということになるのだろうが)ほんのり頬を染め、眉をそびやかした。


「お、俺たちのことはいいからっ! 仕切り直しすっぞ、仕切り直し! ホラ!」


 ルードもまた顔を赤らめて叫ぶ。


「あ、ああ……そうだな……」


 ノクトが戸惑いながらオレンジジュースのグラスを持ち直し、リザベルとアンナもそれに倣った。


「ごほん……それではっ! チーム〈セツナ〉! 一年越しの任務の完了と成功を祝して!」


 掲げられたルードのグラスに、他の三人のグラスが合わさり、チン、と音を立てる。

「「「「乾杯!」」」」

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2025年12月31日 08:00
2025年12月31日 20:00
2026年1月1日 08:00

ミッショナーズ・ロード 左右 @jun1374

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