第4話:真実の祝福と追放
亜矢の最後の言葉が、シンと静まり返った会場に響き渡った後、最初に動いたのは健太くんだった。彼は、まるで悪夢から覚めたかのような表情で、ふらふらと数歩、私の方へ歩み寄った。そして、次の瞬間、私の目の前で、ためらうことなくその場にひざまずいた。
「美咲…、ごめん…! 本当に、ごめん…!」
ウェディングドレスの裾を掴み、顔を上げられないまま、健太くんは何度も何度も謝罪の言葉を繰り返した。その声は、後悔と自己嫌悪で震えている。姉の嘘を信じかけたこと、愛する妻を疑いの目で見てしまったこと、そして何より、彼女が一人で苦しんでいる時に、守ってあげられなかった自分の不甲斐なさ。そのすべてを悔いる、魂からの叫びだった。
「俺は…、なんて馬鹿なんだ…。君が一番辛い時に、傍にいてあげられなかった。守るって誓ったばかりなのに…。夫失格だ…」
彼の肩が、小刻みに震えている。私は溢れる涙を手の甲で拭うと、そっと屈んで彼の肩に手を置いた。
「…顔を上げて、健太くん」
私の声に、健太くんはゆっくりと顔を上げた。その瞳は涙で赤く腫れ、私を真っ直ぐに見つめている。
「私こそ、ごめんね。健太くんを、ずっと悩ませてたと思う。お姉さんのこと、本当はもっと早く相談すればよかった」
「違う! 美咲は何も悪くない! 悪いのは全部、姉さんと、姉さんの嘘に気づけなかった俺だ!」
健太くんは勢いよく立ち上がると、今度は怒りに燃える目で、由香里さんがいる席を睨みつけた。その剣幕は、私が今まで見たことのない、彼の厳しい一面だった。
「姉さん。どうしてこんなことをしたんだ」
地を這うような低い声。それは、家族だからという甘えを一切排した、他人に対する詰問の声だった。
由香里さんは、もはや言い逃れの言葉も見つけられず、ただ「だって…」「あんな女に健太が…」と意味のない言葉を繰り返すばかりだ。その姿は、先ほどまでの自信に満ちた彼女とはまるで別人だった。
「もういい。何も聞きたくない」
健太くんは、冷たく言い放った。
「姉さん、もう帰ってくれ。今すぐ、この会場から出て行ってほしい。そして、二度と僕たちの前に現れないでくれ。あなたを、姉だと思ったことは今日限り、金輪際ない」
絶縁宣言。
それは、弟を溺愛し、自分の所有物のように思っていた由香里さんにとって、何よりも残酷な宣告だったに違いない。彼女は「そんな…、健太…」と絶望の声を漏らし、その場にへたり込みそうになった。
その時、ずっと黙って成り行きを見守っていた由香里さんの夫が、静かに立ち上がった。彼は冷え切った目で妻を見下ろすと、低い声で告げた。
「由香里、もうやめろ。見苦しい。…帰るぞ。君のご両親や、俺の両親にどう説明するのか、家でゆっくり聞かせてもらうからな」
その言葉は、由香里さんにとって最後のとどめとなった。夫からの突き放すような一言。それは、彼女が築き上げてきた「幸せな家庭」という名の砦が、今、まさに足元から崩れ落ちたことを意味していた。彼女は、もはや誰からも見放されたのだ。
「父さん、母さん…」
次に健太くんが向き直ったのは、蒼白な顔で固まっている両親だった。
「父さんと母さんも、姉さんの話を鵜呑みにして、美咲さんを傷つけた。謝ってほしい」
健太くんの毅然とした態度に、ご両親ははっと我に返った。特に、世間体を気にして私に非難の目を向けていたお母様は、罪悪感と羞恥で顔を上げられないようだった。やがて、お父様がお母様の肩を支えながら、二人で私たちの前までやってくると、深々と、本当に深く、頭を下げた。
「美咲さん…、本当に、申し訳ありませんでした。私たちは、娘の言葉だけを信じ、あなたという素晴らしい女性の心を、深く傷つけてしまった。どうか、許してほしい。そして、こんな愚かな親ですが…これからも、息子の健太を、どうかよろしくお願いいたします」
絞り出すようなお父様の言葉に、お母様も「ごめんなさい…」と涙声で謝罪する。その姿に、私の心にあったわだかまりが、すうっと溶けていくのを感じた。
由香里さんは、そのすべての光景を、ただ茫然と見つめていた。自分の嘘が暴かれ、弟に絶縁され、夫に突き放され、両親が嫁に謝罪する。プライドの高い彼女にとって、これ以上の地獄はなかっただろう。彼女は、誰の手も借りず、おぼつかない足取りで立ち上がると、招待客たちの冷たい視線の中を、逃げるように会場の出口へと向かっていった。そのフューシャピンクのドレスが、まるで敗走者の烙印のように見えた。
由香里さんが姿を消すと、会場を支配していた重苦しい空気が嘘のように霧散した。その瞬間、誰からともなく、拍手が起こった。一人、また一人と、その輪は広がり、やがて会場全体が、嵐のような温かい拍手に包まれた。それは、私の友人たちの勇気と友情を称え、そして、困難を乗り越えた私たち夫婦の門出を祝福する、心からの拍手だった。
「改めて、皆様!」
亜矢が、再びマイクを握り、明るい声を張り上げた。
「いろいろありましたが、気を取り直して! 私たちの最高の友人、高坂美咲と、これからは私たちの最高の友人でもある、篠田健太さんの輝かしい門出を、心から祝福します! 皆様、どうか盛大な拍手をお願いいたします!」
亜矢の言葉に、会場のボルテージは最高潮に達した。「おめでとう!」という声が、あちこちから飛び交う。私は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、健太くんと見つめ合った。彼の瞳にも、光るものがあった。
「美咲、本当に、世界で一番きれいだよ」
そう言って、健太くんは私の涙を優しく指で拭ってくれた。
私は、友人たちのテーブルに向かって、何度も何度も頭を下げた。亜矢、詩織、奈々。三人は、笑顔で私に手を振っている。言葉にしなくても、私たちの間には、友情という名の揺るぎない絆が確かにある。
その後、披露宴は何事もなかったかのように、しかし、以前にも増して温かく、和やかな雰囲気で進んでいった。ケーキカットの時も、キャンドルサービスの時も、招待客たちの笑顔は心からの祝福に満ちていた。健太くんの会社の同僚も、私の同僚も、「大変だったね」「でも、本当に良かった!」と声をかけてくれる。
最後に、私はマイクを握り、自分の言葉で感謝を伝えた。
「本日は、私たちのために、本当にありがとうございました。途中、お見苦しいところをお見せしてしまい、大変申し訳ありませんでした。ですが、あの出来事のおかげで、私は、大切なことに改めて気づくことができました」
私は、友人たちの顔、両親の顔、そして健太くんの両親の顔を、一人一人見つめながら語りかけた。
「それは、本当に大切なものは、決して失われないということです。私のことを信じ、守ってくれた友人たちの友情。どんな時も私の味方でいてくれた両親の愛情。そして…これから私が生涯をかけて大切にしていく、夫との愛。今日のこの日を、私は一生忘れません」
そして、最後に健太くんに向き直る。
「健太くん。いろいろあったけど、私は、あなたと結婚できて、本当に幸せです。これから、二人で、世界で一番幸せな家庭を築いていきましょうね」
私の言葉に、健太くんは力強く頷き、私の手を固く、固く握り返してくれた。
披露宴が終わり、二次会へと向かう喧騒の中、私は亜矢、詩織、奈々の三人に駆け寄って、力いっぱい抱きしめた。
「本当に、本当にありがとう…! みんながいなかったら、私、どうなっていたか…」
「何言ってるの、当たり前でしょ!」
奈々が、笑いながら私の背中を叩く。
「でも、あの義姉の最後の顔、すごかったね。まさに『ざまぁ』って感じ」
詩織が、少し意地悪く笑う。
「法的に言えば、名誉毀損で訴えることもできたけど、今日のところは社会的な制裁で十分でしょう。最高の結婚祝いになったかしら?」
亜矢が、クールな表情を崩さずに言う。
その言葉に、私たちは四人で顔を見合わせて、声を上げて笑った。
祝福の日に泥を塗ろうとした悪意は、真実の友情の前に打ち砕かれた。雨降って地固まる、という言葉があるけれど、私たちの結婚式は、まさにそれだったかもしれない。嵐のような出来事を乗り越えたからこそ、健太くんとの絆はより深くなり、本当の意味での家族が始まった気がする。
高砂から見た、あの絶望的な光景はもうない。私の目の前には、愛する夫と、かけがえのない友人たち、そして私たちを温かく見守ってくれる人々の笑顔が広がっている。
きっと、これから先も、いろんなことがあるだろう。でも、もう何も怖くない。この日のことを思い出せば、どんな困難も乗り越えていける。
そう、私の人生は、今日、本当の意味で始まったのだから。
祝福の日に泥を塗った義姉へ捧ぐ、涙と友情のカウンター・スピーチ @jnkjnk
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