第3話:千年前の伝承

宿は、ギルドの裏手の小さな建物だった。

窓からは王都の灯りが見える。


部屋は狭いが、清潔だ。

ベッドは硬いが、地面よりマシだ。


俺は、備え付けの服に着替えた。

布は粗いが丈夫で、動きやすい。

“冒険者の世界の標準”が、こういうのだと分かる。


窓を開けると、夜の空気が冷たく、澄んでいた。


二つの月が、静かに浮かぶ。


街の灯りは、花火じゃない。

城の塔に並んだ魔法灯と、街中のランタンと、篝火が混ざって、夜の空気そのものがほんのり明るい。


(……現実味がねぇ)


なのに、心臓だけは現実的に鼓動している。


(……俺、戻れるのか?)


考えた瞬間に、脳が拒否した。

答えがない問いは、人を壊す。


今は――生きる。

生き残って、情報を集めて、状況を掴む。

それが最優先だ。



翌朝。


俺はギルドの倉庫で、依頼票の束を運んでいた。


紙の束は意外と重い。

腕がじわじわと疲れてくる。

だが、こういう単純作業は、頭を守るにはちょうどいい。


掲示板の前に依頼票を補充していると、昨日の騎士が現れた。


「新入り。お前、物怖じしないな」


「物怖じしてる。ただ、表に出さないだけだ」


自分で言って、自分で笑いそうになる。

騎士は鼻で笑った。


「いい答えだ。手伝え。今から食料搬入の荷車を隊商に付ける」


「……護送?」


「補助だ。戦う必要はない。

だが“国の外”を知るにはちょうどいい。ついてこい」


俺は頷いた。


“国の外”。

それは今の俺に一番必要な情報源だ。



城門を抜けると、壁の外は広い。

草原が広がり、遠くに森があり、さらに遠くに山の影が見える。


王都の壁は近くで見ると、凄まじい厚みだった。

しかも、ただの石壁じゃない。

ところどころに刻まれた文様が、薄く光っている。


俺が見上げていると、騎士が言った。


「ウルシア王国はな、大陸で二番目にデカい。

だが、本当にすごいのは……あの壁だ」


「壁?」


「魔物や魔族を寄せつけない《聖域障壁》が埋め込まれてる。

千年前の封魔戦争の時に造られた技術らしい」


封魔戦争。

またその言葉だ。


「封魔戦争って?」


騎士は肩をすくめた。


「ああ。千年前、大陸を支配しようとしていた魔族に対し、

人間、亜人、獣人、ドワーフ、エルフ……色々な種族が同盟して戦った戦争だ」


「……どうなった?」


「勝ったさ。魔族は封印された。

まあ、俺も文献と伝承でしか知らんがな」


封印。

その言葉が、妙に嫌な形で胸に残った。


封印ってのは、“倒せないから閉じ込める”って意味でもある。


つまり――

今もどこかに、“倒せなかったもの”が眠っている。



隊商は、食料と布と道具を積んだ荷車を数台。

護衛に冒険者が数名ついている。


俺は荷車を押しながら、周囲の会話を拾う。


この世界で生きるなら、会話は“無料の情報”だ。


「なぁ、最近また増えてんだろ?」


冒険者が言う。


「《聖剣》だの《魔剣》だの、《アーティファクト》の噂」


「ウルシアには聖剣ラナと魔剣オボロの伝承があるらしいぞ」


「グリンデル王国には、実際に聖剣の所持者もいるって噂だ」


グリンデル。

その名前は、なぜか不思議と耳に残った。

多種族が共存する国。芸術が栄え、訪れるだけで楽しい国――と、昨日ギルドで誰かが言っていた気がする。


別の冒険者が声を潜めた。


「八咫烏って名乗る連中が動いてるって噂も聞いたぞ。

聖剣六本、魔剣四本、アーティファクト五つ――

それ全部回収して世界統一するとか言ってるって」


「馬鹿げてる」


「でも、一人一人が“聖騎士”並みって話だぞ」


その瞬間、荷車を押す手に力が入った。


聖騎士。

それがどれくらい強いかは知らないが、周囲の反応で“桁が違う”ことだけは分かる。


「……マジか」


俺は思わず呟いた。


剣も魔法も使えない俺が、そんな世界に放り込まれた。

冗談じゃない。


でも、同時に――


胸の奥で、小さく火が灯る。


“それでも知りたい”という火だ。

世界の仕組み。

武具の真実。

封魔戦争のこと。


知りすぎるのは危険だ。

でも知らなければ、確実に死ぬ。

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