第3話:千年前の伝承
宿は、ギルドの裏手の小さな建物だった。
窓からは王都の灯りが見える。
部屋は狭いが、清潔だ。
ベッドは硬いが、地面よりマシだ。
俺は、備え付けの服に着替えた。
布は粗いが丈夫で、動きやすい。
“冒険者の世界の標準”が、こういうのだと分かる。
窓を開けると、夜の空気が冷たく、澄んでいた。
二つの月が、静かに浮かぶ。
街の灯りは、花火じゃない。
城の塔に並んだ魔法灯と、街中のランタンと、篝火が混ざって、夜の空気そのものがほんのり明るい。
(……現実味がねぇ)
なのに、心臓だけは現実的に鼓動している。
(……俺、戻れるのか?)
考えた瞬間に、脳が拒否した。
答えがない問いは、人を壊す。
今は――生きる。
生き残って、情報を集めて、状況を掴む。
それが最優先だ。
◆
翌朝。
俺はギルドの倉庫で、依頼票の束を運んでいた。
紙の束は意外と重い。
腕がじわじわと疲れてくる。
だが、こういう単純作業は、頭を守るにはちょうどいい。
掲示板の前に依頼票を補充していると、昨日の騎士が現れた。
「新入り。お前、物怖じしないな」
「物怖じしてる。ただ、表に出さないだけだ」
自分で言って、自分で笑いそうになる。
騎士は鼻で笑った。
「いい答えだ。手伝え。今から食料搬入の荷車を隊商に付ける」
「……護送?」
「補助だ。戦う必要はない。
だが“国の外”を知るにはちょうどいい。ついてこい」
俺は頷いた。
“国の外”。
それは今の俺に一番必要な情報源だ。
◆
城門を抜けると、壁の外は広い。
草原が広がり、遠くに森があり、さらに遠くに山の影が見える。
王都の壁は近くで見ると、凄まじい厚みだった。
しかも、ただの石壁じゃない。
ところどころに刻まれた文様が、薄く光っている。
俺が見上げていると、騎士が言った。
「ウルシア王国はな、大陸で二番目にデカい。
だが、本当にすごいのは……あの壁だ」
「壁?」
「魔物や魔族を寄せつけない《聖域障壁》が埋め込まれてる。
千年前の封魔戦争の時に造られた技術らしい」
封魔戦争。
またその言葉だ。
「封魔戦争って?」
騎士は肩をすくめた。
「ああ。千年前、大陸を支配しようとしていた魔族に対し、
人間、亜人、獣人、ドワーフ、エルフ……色々な種族が同盟して戦った戦争だ」
「……どうなった?」
「勝ったさ。魔族は封印された。
まあ、俺も文献と伝承でしか知らんがな」
封印。
その言葉が、妙に嫌な形で胸に残った。
封印ってのは、“倒せないから閉じ込める”って意味でもある。
つまり――
今もどこかに、“倒せなかったもの”が眠っている。
◆
隊商は、食料と布と道具を積んだ荷車を数台。
護衛に冒険者が数名ついている。
俺は荷車を押しながら、周囲の会話を拾う。
この世界で生きるなら、会話は“無料の情報”だ。
「なぁ、最近また増えてんだろ?」
冒険者が言う。
「《聖剣》だの《魔剣》だの、《アーティファクト》の噂」
「ウルシアには聖剣ラナと魔剣オボロの伝承があるらしいぞ」
「グリンデル王国には、実際に聖剣の所持者もいるって噂だ」
グリンデル。
その名前は、なぜか不思議と耳に残った。
多種族が共存する国。芸術が栄え、訪れるだけで楽しい国――と、昨日ギルドで誰かが言っていた気がする。
別の冒険者が声を潜めた。
「八咫烏って名乗る連中が動いてるって噂も聞いたぞ。
聖剣六本、魔剣四本、アーティファクト五つ――
それ全部回収して世界統一するとか言ってるって」
「馬鹿げてる」
「でも、一人一人が“聖騎士”並みって話だぞ」
その瞬間、荷車を押す手に力が入った。
聖騎士。
それがどれくらい強いかは知らないが、周囲の反応で“桁が違う”ことだけは分かる。
「……マジか」
俺は思わず呟いた。
剣も魔法も使えない俺が、そんな世界に放り込まれた。
冗談じゃない。
でも、同時に――
胸の奥で、小さく火が灯る。
“それでも知りたい”という火だ。
世界の仕組み。
武具の真実。
封魔戦争のこと。
知りすぎるのは危険だ。
でも知らなければ、確実に死ぬ。
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