第16話 影は、街になる

 気づけば、影の国は――

 村ではなくなっていた。


 焚き火は、道になった。

 仮設の天幕は、屋根を持った建物になった。


 最初は、ただの避難だった。


 難民を雨から守るために、壁を作り。

 食料を分けるために、倉を増やし。

 争いを避けるために、区画を分けた。


 それだけだったはずなのに。


「……街だな、これ」


 鬼火小僧おにびこぞうが、屋根の上から見下ろして呟く。


 広場を中心に、道が放射状に伸びている。

 鬼族の鍛冶場。

 妖狐衆の結界塔。

 人間たちの住居区。


 雑然としているが、混ざり合っている。


「意図して作ったわけじゃない」


 俺――影国主えいこくしゅは、影を足元に揺らしながら言った。


「必要だったから、増えただけだ」


 【ミズハ】が、静かに頷く。


「それが“街”というものだ」



 変化は、静かに進んでいた。


 鬼族が石を積み、

 人間が木を組み、

 付喪神が道具を直す。


 誰かが命じたわけではない。


 居るために、整えただけだ。


 市場が生まれたのは、三日前。


 難民同士が物々交換を始め、

 やがて値がつき、

 “場”になった。


「……金は使わないのか」


 俺が聞くと、商人の男が苦笑した。


「使える国が、ないんでね」


「なら、どうする」


「影の国の札を作るさ。

 信用は――」


 男は、街を見回した。


「ここに、ある」


 その言葉が、妙に重かった。



 問題も、当然増える。


「水が足りない」

「夜が怖い」

「隣人の文化が違う」


 すべてを、俺一人で裁けるはずがない。


 だから――

 委ねた。


「区域代表を置く」


 鬼族、人間、妖怪、それぞれに。


「争いは、まず代表同士で解決する。

 それでも駄目なら――」


 影が、わずかに濃くなる。


「俺が出る」


 誰も反対しなかった。


 王が、最後に立つと分かっているからだ。



 夜。


 街の灯りが、闇を押し返している。


 焚き火ではない。

 生活の灯だ。


「……ここまで来たか」


 俺は、街の端で立ち止まった。


 かつては、誰もいなかった洞窟。

 逃げ場を探して、影だけだった場所。


 今は――

 帰る者がいる。


 【ミズハ】が、隣に立つ。


「後戻りはできんな」


「ああ」


 俺は、否定しない。


「村なら、消えられた。

 だが、街は――」


「消せば、恨みが残る」


 その通りだ。


 街は、責任だ。



 翌朝。


 影の国は、正式に宣言した。


「影の国は、

 これより――**影都えいと**を持つ」


 国の中心となる街。


 中立を名乗る国の、

 中立を試される場所。


 俺は、街を見渡し、静かに言った。


「ここは、逃げ場じゃない」


 影が、道に沿って伸びる。


「生き直す場所だ」


 誰も、拍手しなかった。

 だが、誰も背を向けなかった。


 それで、十分だった。


 影の国は、

 村を捨て、

 街を持った。


 そして――

 もう、簡単には崩れない存在になった。



 影都えいとは、眠らなくなった。


 夜でも灯りが消えず、

 人も妖怪も、静かに動いている。


 それは活気ではない。

 機能だった。


「……街が、勝手に回り始めてるな」


 鬼火小僧おにびこぞうが、見張り塔の上から言った。


「誰も命令してねえのに」


 俺――影国主えいこくしゅは、下の通りを見ていた。


 市場では、物が流れ。

 井戸の周りでは、水の順番が守られ。

 夜警が、影の合図で巡回する。


「理念だけじゃ、ここまでは来ない」


 影が、足元で静かに揺れる。


「街は……構造を欲しがる」



 それは、必然だった。


 人が増えれば、問題も増える。

 善意だけでは、間に合わない。


「盗みがあった」


「境界近くで、争いが起きた」


「物資の偏りが出ている」


 報告が、毎日上がる。


 俺がすべて裁けば、街は止まる。

 裁かなければ、街は壊れる。


「……だから、作る」


 俺は、円卓の前に立った。


 鬼族の代表。

 妖狐衆の代表。

 人間区画の代表。


「影都には、役所を置く」


 ざわめき。


「裁き、分配、警備。

 すべてを、制度で回す」


 ミズハが、静かに言った。


「理念が、骨になるな」


「ああ」


 俺は頷く。


「中立は、感情じゃ守れない」


 仕組みが、必要だ。



 その日から、街は変わった。


 影の国の法が、書かれ。

 影都の地図が、刻まれ。

 責任の所在が、明確になる。


「王がいなくても、回るようにする」


 その言葉に、誰かが驚いた。


「……それで、いいのか」


「いい」


 俺は、迷わなかった。


「王が必要な国は、脆い」


 王が倒れれば、終わるからだ。


 街が、自分で立てるようにする。


 それが、都市国家への第一歩だった。



 だが。


 街が“価値”を持てば、

 必ず――狙われる。


 最初に気づいたのは、妖狐衆だった。


「視線が増えている」


 ミズハの声は、低い。


「商人を装った者。

 難民に紛れた者。

 どれも、同じ匂いがする」


 俺は、影を引いた。


「どこだ」


「複数ある」


 そして、名前が出る。


「【リオネス公国】」


 あの、中立を“使おう”とした国。


「街を、交渉地ではなく――

 拠点にしたい」


 影都は、立地がいい。

 安全で、中立で、流通の要だ。


 誰かが、支配したくなる。


「……来るな」


 俺は、静かに言った。


 まだ、軍ではない。

 だが、前触れはある。


 街を買おうとする者。

 法を曲げようとする者。

 内部から、糸を引く者。


 剣よりも、厄介だ。



 夜。


 影都の中央塔で、俺は一人立っていた。


 街の灯りが、広がっている。


 村だった場所。

 逃げ場だった影。


 今は――

 奪い合われる価値になった。


「……中立を名乗った時点で、覚悟はしていた」


 影が、答えるように揺れる。


 戦わないために作った国が、

 戦わずに済ませるには――


 選び続けなければならない。


 街は、もう理念だけでは守れない。


 次に来るのは、

 剣ではなく、

 金でもなく――


 内部からの侵食だ。


 影の国は、

 都市国家として、

 本当の試練に足を踏み入れた。

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