第15話 中立は、都合よく使われる

 最初に来たのは、剣ではなかった。


 言葉だった。


 影の国の境界に現れた使者は、人間だった。

 粗末すぎず、豪奢すぎない衣。軍でも商人でもない。


「我が国は、影の国の中立宣言を歓迎する」


 名を名乗った使者【ユリウス】は、丁寧に頭を下げた。


「【リオネス公国】の者です」


 俺――影国主えいこくしゅは、相手をよく見た。


 目が、笑っていない。


「用件は?」


「簡単なことです」


 ユリウスは、あくまで柔らかく言った。


「我が国と【セイラン王国】は、現在、緊張状態にあります。

 そこで――」


 一拍。


「影の国を、交渉地として使わせていただきたい」


 周囲が、ざわつく。


 ミズハが一歩前に出るが、俺は手で制した。


「……続けろ」


「セイラン王国は、貴国へ干渉を始めています。

 ですが、我が国は違う」


 使者は、にこやかに言った。


「中立国である影の国に話し合いの場を設ければ、

 我々は“戦争を避けた”という形を取れる」


 ――なるほど。


 便利だ。


 剣を抜かずに、

 責任を影の国に預けられる。


「条件は?」


 俺が問うと、ユリウスは即答した。


「影の国は、いかなる軍事行動にも関与しない。

 ただ、場を提供するだけです」


 言葉の裏が、透けて見えた。


 もし交渉が決裂すれば――

 「中立国での失敗」という形になる。


 血を流すのは、別の場所で。


 俺は、少しだけ目を伏せた。


 中立とは、

 誰の味方もしないことではない。


 誰の責任も背負わされる立場だ。


「……答えは、すぐには出せない」


 そう告げると、ユリウスは満足そうに頷いた。


「賢明な判断です。

 我々は、待ちます」


 その背が、境界の向こうへ消える。


 鬼火小僧おにびこぞうが、苛立ちを隠さず言った。


「利用する気満々じゃねえか」


「ああ」


 俺は否定しない。


「だが、拒めば“中立を破った”と言われる」


 ミズハが、低く笑う。


「中立とは、甘い言葉だな」


 俺は、影を見つめた。


「……だから、選ばなきゃならない」


 何を受け、

 何を拒むか。


 中立は、

 放っておけば“都合のいい空白”になる。



 同じ頃。


 【セイラン王国】王都。


 石造りの円卓に、王たちが集まっていた。


 【レオン王】が、静かに口を開く。


「影の国が、中立を宣言した」


 重い沈黙。


 隣国の王【アルベルト】が、鼻を鳴らす。


「妖怪国家が中立? 笑えん冗談だ」


「だが、事実だ」


 別の王が言う。


「剣を抜かず、交易路を守り、民の支持を集めている」


 レオン王は、指を組んだ。


「問題は――」


 視線を巡らせる。


「あれを、どう使うかだ」


 ざわり、と空気が動く。


「潰すには、理由が足りない」

「だが、放置すれば前例になる」

「中立国を名乗る妖怪など、増えられては困る」


 議論が、熱を帯びる。


 レオン王は、最後にこう言った。


「直接叩くな」


 静まり返る。


「代わりに――

 中立を、重荷にさせろ」


 誰かが、笑った。


「なるほど。

 交渉、調停、難民……」


「すべて、影の国へ流す」


 レオン王は、冷たく言い切った。


「中立は、最も疲弊する立場だ」


 円卓の中央で、影の国の名が囁かれる。


 誰も知らない。


 その影の中心にいる存在が、

 逃げずに選び続ける王だということを。



 その夜。


 影の国の焚き火の前で、俺は静かに呟いた。


「……中立を、使わせない」


 剣は、抜かない。


 だが――

 選別はする。


 影の国の試練は、

 ここからが本番だった。



 最初は、三人だった。


 影の国の境界、結界の外に立つ――

 疲れ切った人間の家族。


 父と母、そして子供。


「……お願いです」


 男は、地面に額を擦りつけた。


「戦が、始まるかもしれない。

 どこへ行っても、門を閉ざされた」


 影国主えいこくしゅである俺は、結界の内側からそれを見ていた。


 敵意はない。

 武器もない。


 ただ――行き場がない。


「中立国……なんでしょう?」


 女が、震える声で言う。


「ここなら、争わないって……」


 その言葉が、胸に重く落ちた。


 俺は、結界を開いた。


「入れ」


 三人は、泣きながら礼を言った。


 それが、始まりだった。



 二日後。


 十人。

 三十人。

 百人。


 人間だけではない。

 争いに敗れた小妖怪、主を失った付喪神。


 誰もが、同じ言葉を口にする。


「中立だから」

「影の国なら」

「ここなら、殺されない」


 広場は、急ごしらえの天幕で埋まった。


 焚き火の数が増え、

 食料の消費が跳ね上がる。


 鬼火小僧おにびこぞうが、焦りを隠さず言った。


「……このままじゃ、国が持たねえ」


 【ミズハ】も、表情を硬くする。


「中立は、逃げ場になる。

 だが――逃げ場は、溢れる」


 俺は、否定しなかった。


 すでに、分かっていた。



 問題は、量だけじゃない。


「妖怪と一緒に住むなんて無理だ!」

「人間がいるせいで、結界が薄くなる!」


 小さな諍いが、毎日起きる。


 悪意ではない。

 恐怖だ。


 文化も、寿命も、常識も違う。


 ――ここは、本当に“中立”でいられるのか。


 夜。


 俺は、影の国の外れで立ち尽くしていた。


「……王」


 【ミズハ】が、静かに声をかける。


「全てを受け入れれば、国は壊れる」


「分かっている」


 俺は、拳を握る。


「だが、拒めば――」


「中立を裏切る、と言われる」


 ミズハは、はっきりと言った。


「だからこそ、線を引け」


 影が、足元で揺れる。


「中立とは、無制限ではない」


 その言葉に、俺は目を閉じた。


 ――そうだ。


 戦わずに勝つには、

 受け入れない勇気も必要だ。



 翌朝。


 広場に、全員を集めた。


 難民も、国民も。


 俺は、円の中心に立つ。


「聞いてほしい」


 声は、疲れていた。

 だが、逃げなかった。


「影の国は、中立だ。

 だが――無限ではない」


 ざわめき。


「今日から、受け入れに条件を設ける」


 人々の表情が、変わる。


「ここで争わないこと。

 ここで奪わないこと。

 ここを“利用”しないこと」


 影が、静かに濃くなる。


「それを守れない者は、

 誰であろうと、影の国には居られない」


 沈黙。


 だが、誰も反論しなかった。


 分かっているからだ。


 ここが最後の場所だということを。



 集会の後。


 一人の少年が、俺に近づいてきた。


「……ここにいても、いい?」


 俺は、頷いた。


「守るならな」


 少年は、小さく笑った。


 その笑顔を見て、胸が締めつけられた。


 中立とは、

 優しさではない。


 選び続ける地獄だ。


 だが。


 それでも。


 影の国は、今日も灯を消さなかった。


 世界が押しつけてきた重みを、

 王は、逃げずに背負っている。

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