第13話 剣を抜かず、影を伸ばす

 戦わずに勝つ。


 それは、最も難しい選択だった。


 影の国の広場。

 鬼、妖狐、付喪神――すべてが集まっている。


 丘の向こうでは、【セイラン王国】の軍旗がまだ翻っていた。

 攻めてこない。

 だが、去りもしない。


「力比べを望んでいるわけじゃない」


 俺――影国主えいこくしゅは、静かに告げた。


「相手が欲しいのは、“理由”だ」


 【ミズハ】が頷く。


「妖怪国家を討つ理由。

 それさえ整えば、人は躊躇しない」


 鬼火小僧おにびこぞうが拳を握る。


「じゃあ、どうするんだ」


 俺は、影を地面に伸ばした。


「理由を与えない」


 視線が集まる。


「剣を抜かず、影を外へ伸ばす」



 その日、影の国は三つの決定を下した。


 一つ。

 人間の交易路を、守る。


 妖狐衆が森を巡り、魔物や盗賊を排除する。

 鬼族は街道沿いの崩落を修復する。


 だが――

 名は出さない。


 影の国がやったとは、告げない。


 二つ。

 人間を、救う。


 病に倒れた村へ、薬草と食糧が届く。

 誰が運んだかは分からない。


 影だけが、残る。


 三つ。

 奪わない。


 セイラン王国の領に、妖怪は一歩も踏み込まない。

 挑発にも、反応しない。


「……これは、戦だな」


 ミズハが、低く呟いた。


「そうだ」


 俺は頷く。


「正義の取り合いだ」



 三日後。


 【セイラン王国】の陣営に、動揺が走った。


 補給路が、妙に安全になった。

 盗賊が消え、魔物が近づかない。


「……おかしい」


 騎士【ローディス】が、報告書を睨む。


「妖怪の国は、何もしていないはずだ」


 だが、結果だけはある。


 そして、民の噂が変わり始めた。


「影の国が、守ってるらしい」

「戦わない妖怪だってさ」


 正義が、揺らぐ。


 剣を抜く理由が、削れていく。



 その夜。


 影の国の境界に、再び影が落ちた。


 【オロチ】だ。


 王は、俺の隣に立ち、丘の向こうを見た。


「……見事だ」


 素直な声だった。


「戦わずに、人の“理由”を奪った」


 俺は答える。


「剣で勝てば、恨みが残る。

 だが、守られてしまえば――」


「討てなくなる」


 オロチは、笑った。


「それが、我の狙いだ」


 俺は、視線を向ける。


「最初から、これを?」


「そうだ」


 オロチは、はっきりと言った。


「妖都【クグツ】は、強い。

 だが、強さだけでは、人の世は渡れぬ」


 影が、静かに揺れる。


「だから、お前を王にした」


 その言葉は、重かった。


「我が前に立つ盾ではない。

 人と妖の間に立つ、“形”だ」


 俺は、少しだけ黙った。


「……利用している?」


「共犯だ」


 オロチは否定した。


「どちらかが欠ければ、成立しない」


 王は、背を向ける。


「影国主。

 お前は、もう逃げ場を失った」


 だが、声は穏やかだった。


「――それでいい」


 オロチは、消える。


 夜が、戻る。



 丘の向こうで、【セイラン王国】の軍旗が一つ、降ろされた。


 完全な撤退ではない。

 だが、干渉は弱まる。


 戦わずに、勝った。


 影の国は、

 剣を抜かずに存在を通した。


 そして俺は、理解した。


 王とは、

 命令する者ではない。


 選び続ける者だ。


 影は、さらに広がっていく。

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