第12話 国と国のあいだ
影の国の広場は、静まり返っていた。
建設されたばかりの石畳の中央。
迎える側として。
森の結界が、音もなく開いた。
現れたのは五体。
全員が人の姿に近いが、歩調が揃いすぎている。妖都【クグツ】の正式交渉団だ。
先頭に立つのは、あの使者――【アヤト】。
「影国主。
このたびは、妖都【クグツ】より正式な交渉の場を受けていただき、感謝する」
言葉は丁寧だが、距離がある。
これは友好ではない。
査定だ。
「用件を」
俺は短く応じた。
【アヤト】は頷き、背後の一体が一歩前へ出る。
「妖都【クグツ】は問う。
影の国は――“拡張する国”か?」
空気が張り詰める。
鬼も、妖狐も、言葉を挟まない。
俺は、少し考えてから答えた。
「しない」
即答だった。
「奪って広がるつもりはない」
【アヤト】の目が、わずかに細まる。
「ならば、なぜ“国”を名乗った?」
「守るためだ」
影が、足元で揺れる。
「居場所を守るには、個では足りなかった。それだけだ」
沈黙。
やがて、別の交渉官が言う。
「だが、力はある。
九尾【ミズハ】を従えた事実が、それを示している」
俺は否定しない。
「力はある。だから、縛る」
「縛る?」
「ルールでだ」
俺は、建てた国を見渡す。
「力を、衝動で使わないために」
【アヤト】は、しばらく俺を見つめてから、口を開いた。
「……妖都【クグツ】は、影の国を“準国家”として認める」
小さなどよめき。
「ただし」
条件は、必ずある。
「外征を行わぬこと。
他国妖怪を強制的に取り込まぬこと。
そして――」
一拍置いて。
「人間国家との無断衝突を起こさぬこと」
俺は、静かに頷いた。
「受け入れる」
迷いはなかった。
【アヤト】が、深く頭を下げる。
「これにより、影の国と妖都【クグツ】は、不可侵を結ぶ」
影が、確かに重みを増した。
――国として、認められた。
だが。
その瞬間だった。
妖狐衆の一体が、結界の外を睨む。
「……来ている」
嫌な気配。
今度は、甘くない。
鉄と血の匂い。
森の向こう、丘の上に、旗が翻っていた。
【セイラン王国】の軍旗。
数は多くない。
だが、明確な意図がある。
【ミズハ】が低く呟く。
「監視ではないな」
「ああ」
俺も理解した。
「干渉だ」
ほどなく、使者が一人、前に出てきた。
人間の騎士。
兜を脱ぎ、名を名乗る。
「我は【セイラン王国】騎士団、【ローディス】」
その視線が、俺に向く。
「影の国の王よ。
王国は、貴国を“脅威”と再定義した」
空気が、凍る。
「よって、通告する」
彼は、はっきりと言った。
「これより、セイラン王国は貴国に干渉する」
俺は、影を踏みしめ、一歩前に出た。
「理由は?」
「妖怪国家の成立は、人の世の秩序を乱す」
予想通りの答え。
【アヤト】が、静かに後ろへ下がる。
これは、もう――
人と妖の問題だ。
俺は、騎士【ローディス】を見据えた。
「交渉か?」
「――圧力だ」
風が、強く吹いた。
影の国の周囲で、影がざわめく。
妖都【クグツ】との不可侵は結ばれた。
だが、人間は違う。
俺は、静かに告げた。
「なら、覚悟しろ」
影が、地面を這う。
「この国は、もう“消せる村”じゃない」
騎士は、微かに目を細めた。
「それを、確かめに来た」
こうして。
影の国は、
二つの世界から注視される存在となった。
外交は終わり、
次は――干渉への対応だ。
【セイラン王国】の騎士【ローディス】が去ったあとも、空気は緩まなかった。
丘の向こうに残された軍旗。
撤退ではない。位置取りだ。
「露骨だな」
「攻めない。でも下がらない。圧力だけかける気だ」
【ミズハ】が、静かに尾を揺らした。
「人間は“正義”を盾にする。
力ではなく、理由で潰しに来る」
俺は、影を踏みしめる。
「だから、戦わない」
視線が集まる。
「戦えば、相手の正義を完成させる」
だが、そのときだった。
影が――沈んだ。
昼だというのに、光が薄れる。
音が、消える。
結界が、抵抗すらせずに開いた。
「……来たか」
【ミズハ】が、膝をつく。
鬼も、妖狐も、言葉を失った。
歩いてくるのは、一体。
人の形をしているが、存在感が違う。
影よりも深い“何か”が、背後に広がっている。
「影の国の主よ」
声は低く、静かで、抗えない。
「我が名は――」
一歩、踏み出す。
「【クグツ王・オロチ】」
妖都【クグツ】の王。
空気が、完全に止まった。
九尾【ミズハ】でさえ、視線を伏せる。
俺は、逃げなかった。
「
名を、正面から返す。
【オロチ】は、わずかに笑った。
「良い。名を持つ王だ」
その視線が、丘の向こう――
セイラン王国の陣地へ向く。
「人の国が、干渉を始めたな」
「ああ」
俺は、否定しない。
「どう対応するつもりだ」
試されている。
俺は、言葉を選んだ。
「排除しない。だが、従わない」
【オロチ】の目が、細くなる。
「弱い答えだ」
一瞬、殺気が走る。
だが、俺は続けた。
「その代わり――」
影が、国全体へ伸びる。
「壊せない国になる」
沈黙。
やがて、【オロチ】は低く笑った。
「……なるほど」
彼は、地面に杖を突いた。
影の国の境界が、一段深く沈む。
「これは、我からの“干渉への返礼”だ」
【ミズハ】が、息を呑む。
「王……それは……」
「防壁ではない」
【オロチ】は言った。
「格付けだ」
王は、俺を見る。
「この国は、我が都【クグツ】の背後にある」
その言葉の意味は、重い。
セイラン王国が動けば、
妖都【クグツ】を敵に回す。
【オロチ】は、静かに告げた。
「人は、力より“面倒”を嫌う」
そして、俺にだけ聞こえる声で続ける。
「生き残りたければ、王らしく在れ」
影が、微かに震えた。
【オロチ】は、踵を返す。
「次に会うときは――」
振り返らずに言った。
「お前が“国”であるか、見せてもらう」
姿が消え、音が戻る。
空気が、ようやく動き出した。
鬼火小僧が、ぽつりと呟く。
「……挟まれたな」
「そうだ」
俺は、丘の向こうを見る。
「人と妖怪。
両方から、な」
だが、恐怖はなかった。
影は、もう一人分ではない。
「準備を進める」
俺は、国へ告げる。
「干渉には、戦わずに対処する」
影の国は、
“消されない存在”になる道を選んだ。
その先にあるのが、
戦争か、共存かは――
まだ、誰にも分からない。
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