第11話 名を呼ばれる影

 使者が戻ったのは、三日後だった。


 森の結界を越え、影の国へ入った瞬間、妖狐衆の空気が変わる。緊張ではない。警戒だ。


 俺は、焚き火の前に立っていた。


「……戻ったか」


 使者の一体が膝をつく。


「はい。人の国――【セイラン王国】より、返答を」


 鬼火小僧おにびこぞうが、唾を飲み込む。


 使者は、淡々と報告した。


「“影の国”の存在は、すでに把握済み。

 鬼族・妖狐族の統合は、前例なし。

 ゆえに――」


 一拍、置く。


「正式な国家としては認めない、とのことです」


 焚き火が、ぱちりと鳴った。


 予想通りだ。

 だが、胸の奥が少しだけ冷えた。


「ただし」


 使者は続ける。


「敵対もしない、と。

 現時点では“危険度不明の勢力”として、監視対象に置くそうです」


 【ミズハ】が、静かに笑った。


「随分と人間らしい判断だ」


 俺は頷いた。


「分かった。十分だ」


 認められなくていい。

 今は、斬られなかっただけで十分だ。


 そのときだった。


 結界が、静かに揺れた。


 風が、重い。


 妖狐衆が一斉に振り向く。


「……来たな」


 ミズハの声が低くなる。


 森の奥から、音もなく現れたのは一体の妖怪。


 人の姿に近いが、どこか歪んでいる。

 糸のような妖気が、身体の周囲を漂っていた。


「失礼する」


 声は、中性的で、よく通る。


「我は、妖都【クグツ】の使者――【アヤト】」


 その名を聞いた瞬間、空気が張り詰めた。


 別の妖怪国家。

 人間ですら迂闊に近づかぬ、古い都。


 【アヤト】は、俺を見る。


「影を縫う者。貴殿に会いに来た」


 俺は、一歩前に出た。


「用件は?」


「単純だ」


 【アヤト】は、微笑む。


「妖都【クグツ】は、“影の国”を国家として認める」


 どよめきが走る。


「ただし」


 言葉が、刃のように続く。


「条件がある。

 王の名を示せ」


 視線が、俺に集まった。


 ――来たか。


 これまでは、逃げてきた。

 名も、称号も、背負わずに。


 だが、国を名乗った以上、避けられない。


 俺は、影を見下ろした。


 縫い留めてきた影。

 名を呼ばれ、居場所を得た者たち。

 逃げなかった選択の積み重ね。


 長老が、静かに言う。


「名は、縛りでもある。だが――」


 ミズハが続ける。


「名は、守りにもなる」


 鬼火小僧が、はっきりと言った。


「俺たちは、もう呼んでる」


 胸の奥で、影が静かに形を成す。


 ――影縫、では足りない。


 雑妖の名だ。


 俺は、顔を上げた。


「……名は」


 一度、息を吸う。


影国主えいこくしゅ


 影が、揺れた。


「影を縫い、名を守り、国を支える者」


 静寂。


 【アヤト】が、ゆっくりと頷く。


「記した」


 糸のような妖気が、空中に文字を刻む。


「影の国、国主――

 影国主えいこくしゅ


 その瞬間。


 影が、確かに“定まった”。


 逃げ道が、一つ消えた。

 だが――


 不思議と、軽かった。


「妖都【クグツ】は、使者を改めて送る」


 【アヤト】は、踵を返す。


「次は、交渉だ」


 結界の向こうへ、姿が消える。


 俺は、焚き火を見つめながら呟いた。


「……名前がついたな」


 鬼火小僧が笑う。


「今さらだろ、王」


「やめろ」


 そう言いながら、否定はしなかった。


 影の国は、

 世界に“名”を刻んだ。


 そして俺は、

 影国主として、次の選択を迫られる。


 影の国は、まだ未完成だった。


 国と名乗った。

 王も名乗った。


 だが、形が追いついていない。


「まずは、場だな」


 俺――影国主えいこくしゅは、村の外れを見渡した。


 焚き火と木柵だけの集落。

 戦いには耐えたが、国としては脆い。


「妖都【クグツ】と交渉するなら、これでは舐められる」


 【ミズハ】が、即座に理解したように頷く。


威容いようは、力の一部だ。

 妖怪の国なら、なおさら」


 その日から、建設が始まった。



 最初に決めたのは、役割の再確認だった。


「鬼族は、力仕事と防衛を担う」


 俺の言葉に、鬼火小僧おにびこぞうが胸を張る。


「任せろ。柵も、塔も、全部だ」


「妖狐衆は、設計と結界」


 【シラユキ】が一歩前に出る。


「影と幻を重ねれば、見た目以上に堅い城になる」


 付喪神たち――釜鳴かまなりを中心に、生活の基盤が整えられていく。


 火。

 水。

 食。


 国は、戦力だけでは立たない。



 俺は、影を地面へ伸ばした。


「《領域宣言りょういきせんげん・構築式》」


 戦闘用ではない、初めての用途。


 影が、線となって走る。

 建物の輪郭。

 道の配置。

 中心となる広場。


 「影の国」の骨組みが、地面に浮かび上がった。


「……すげえ」


 【トウマ】が、目を丸くする。


「全部、見えてるみたいだ」


「国は、迷わせちゃいけない」


 俺は答えた。


「迷う国は、弱い」



 三日で、村は変わった。


 木と石で組まれた簡易の城郭。

 影と結界を重ねた見張り塔。

 外交用の広場――“名を交わす場”。


 それらは豪奢ではない。

 だが、意思がある。


「これで、形は整ったな」


 【ミズハ】が、満足そうに尾を揺らす。


「交渉に出す“顔”としては、十分だ」


 俺は、焚き火の前に立った。


「最後に、国の取り決めを一つ追加する」


 皆が静まる。


「この国では、建てる前に壊す理由を示せ」


 首を傾げる者もいる。


「争いも、拡張も、復讐も――」


 影が、揺れる。


「理由のない破壊は、敵と同じだ」


 誰も、反論しなかった。


 それが、この国の性質だからだ。



 夕刻。


 建設が一段落した頃、妖狐の一体が駆けてきた。


「影国主。妖都【クグツ】より、正式な交渉団が動いたとの報」


 胸の奥で、影が静かに締まる。


「……来るか」


 国は、まだ若い。

 だが、形は持った。


 逃げ場ではない。

 交渉の場だ。


 俺は、完成した広場を見渡し、静かに言った。


「迎える準備はできている」


 影の国は、

 ついに“内”を整え、

 外と向き合う段階に入った。

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