第8話 影は、器となる

 ――格が、違う。


 【ミズハ】が一歩踏み出しただけで、領域が歪んだ。


 狐火でも、幻術でもない。

 存在そのものが、圧力となって押し潰してくる。


「っ……!」


 影が、軋む。


 《領域宣言りょういきせんげん》は維持されている。

 だが、村の影が押し返され、地面に縫い止められていく。


「これが……九尾……」


 鬼火小僧おにびこぞうが歯を食いしばる。


「影縫、無理だ! 下がれ!」


 だが、俺は下がらなかった。


 ――下がれない。


 ここは、もう俺の背中にある。


「安心しろ」


 声は、思ったより落ち着いていた。


「俺は……まだ、折れてない」


 【ミズハ】は、興味深そうに目を細める。


「ほう。まだ立つか」


 九つの尾が、同時に揺れた。


 次の瞬間、世界が裏返る。


 上下が消え、影と光が反転する。

 完全な幻界。


「《狐幻界こげんかい》」


 逃げ場はない。

 影は引き裂かれ、村の気配が遠のく。


 ――まずい。


 このままでは、領域ごと潰される。


「影縫!」


 【トウマ】の声が、かすかに届いた。


「俺たちは……ここにいる!」


 名。


 呼ばれた。


 その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


 ――そうだ。


 俺は、抱えていた。

 だが、背負ってはいなかった。


 影が、俺の内側へと引き込まれる。


 村の影、鬼の影、妖狐の影――

 すべてが、一つの器に収まっていく感覚。


「……なるほど」


 【ミズハ】が、静かに呟く。


「貴様、自分を“器”にしたか」


 影が、安定する。


 重い。

 だが、崩れない。


 ――進化だ。


 雑妖としての器が、国を支える器へ変わった。


「《影国主形態えいこくしゅけいたい》」


 名を、影が理解する。


 幻界が、裂けた。


 影が地面に戻り、村の輪郭がはっきりと浮かび上がる。


「……面白い」


 【ミズハ】は、笑った。


「だが、それでも――」


 九尾が、収束する。


 全力の一撃。


 影が、真正面から受け止めた。


 砕ける。

 裂ける。

 ――それでも、縫い直す。


「《影糸再縫かげいとさいほう》!」


 俺は、前に出た。


 逃げない。

 避けない。


 ――討つ。


 影が、【ミズハ】を包み込む。


 力で押さえつけるのではない。

 逃げ道を、すべて塞ぐ。


「……敗れたな」


 【ミズハ】は、静かに膝をついた。


 九尾が、影に沈む。


 周囲の妖狐たちが、一斉に息を呑んだ。


 俺は、影を緩める。


「終わりだ」


 だが、刃は振るわない。


「殺さない」


 【ミズハ】が、顔を上げた。


「……ほう?」


「討伐はした」


 影が、静かに脈打つ。


「だが、滅ぼすとは言ってない」


 影が、【ミズハ】の影と重なる。


 ――《主従契約しゅじゅうけいやく、成立》。


 村の空気が、変わった。


 妖狐たちが、次々と膝をつく。


「首領が認めた……」


「影の国に……」


 【ミズハ】は、苦笑した。


「まさか、この身が“国力”になる日が来るとはな」


 そして、頭を下げる。


「妖狐衆、ここに属する」


 影が、さらに厚みを増した。


 器は、もう崩れない。


 俺は、静かに息を吐いた。


「……ようこそ」


 影の国へ。


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