第7話 器を選び、刃を取る

 霧は、まだ晴れていなかった。


 村の外れ、開けた岩場に、俺と鬼たちは立っている。焚き火は消され、結界代わりの護符が地面に置かれていた。これは話し合いの場であり――最後の猶予でもある。


 森の向こうから、足音がした。


 軽い。

 だが、隠す気がない。


「失礼するよ」


 現れたのは、三体の妖狐ようこ

 先日現れた斥候よりも明らかに格が上だ。衣をまとい、人の姿に近い。尾は三本、五本と揺れている。


 中央の妖狐が、名乗った。


「我が名は【カガリ】。妖狐衆が一柱の代弁者だ」


 その視線が、俺を射抜く。


影縫かげぬい。お前が、この村の“主”か」


「違う」


 即答だった。


「俺は縫っているだけだ。主は、ここにいる全員だ」


 鬼火小僧おにびこぞうが、一歩前に出る。


「用件を言え、狐」


 【カガリ】は、楽しそうに笑った。


「簡単な話だ」


 その声が、霧を切り裂く。


「その契約のことわりを、差し出せ」


 村の空気が、一瞬で凍りついた。


「影を縫い、妖を束ねる異能。危険すぎる。管理が必要だ」


 長老が、低く唸る。


「管理、じゃと?」


「そうだ。妖狐衆が預かる」


 【カガリ】は、平然と続けた。


「代わりに、この村は守ってやろう。妖狐の庇護下に置く。悪い話ではない」


 ――なるほど。


 俺は理解した。


 彼らは、力そのものではなく、仕組みを欲している。

 影を縫う理。国を作る可能性。


 俺は、一歩前に出た。


「拒否する」


 はっきりと告げる。


「この村の契約は、取引の道具じゃない」


 【カガリ】の笑みが、薄くなる。


「なら、代案は?」


 問われて、俺は少しだけ黙った。


 ――ここだ。


 器をどうするか。

 俺が、選ぶべき場所。


「俺は、器を広げる」


 影が、足元で揺れる。


「力を分け渡さない。奪わせない。代わりに――」


 村の方を振り返る。


「背負う」


 鬼火小僧が、目を見開いた。


 【トウマ】が、拳を握る。


「名も、恐れも、責任も。全部、俺が引き受ける」


 それが、俺の選択だった。


 【カガリ】は、ため息をついた。


「……愚かだな」


 次の瞬間。


 霧が、裂けた。


「交渉は決裂だ」


 妖狐たちの妖気が、一斉に膨れ上がる。地面に狐火が走り、結界符が一枚、燃え落ちた。


「影縫、下がれ!」


 鬼火小僧が前に出る。


 だが、俺は動かなかった。


「いや」


 影が、村全体へと広がる。


「ここは、俺の番だ」


 胸の奥が、きしむ。

 器は、まだ足りない。


 それでも。


 ――守ると決めた。


「《領域宣言りょういきせんげん》」


 初めて、意図して使う術。


 村の影が、地面から立ち上がる。焚き火の跡、家屋の影、鬼たち自身の影――すべてが、俺へと繋がった。


 【カガリ】の目が、細くなる。


「……面白い」


 狐火が、宙を舞った。


「なら、力づくで確かめよう。お前の器が――どこまで耐えられるかを」


 狐火と影が、ぶつかる。


 その瞬間、

 戦いが、始まった。


影と狐火が、正面からぶつかった。


 夜の村が、きしむ。


 狐火は熱を持たない炎だ。触れれば肉体ではなく妖力を焼く。対する影は、温度も質量もない。ただ“在る”という概念そのもの。


 相殺ではない。

 削り合いだ。


「――来るぞ!」


 鬼火小僧おにびこぞうが叫び、青白い炎を腕に集めた。


「《鬼火弾おにびだん》!」


 撃ち出された鬼火が、狐の一体を直撃する。だが、妖狐は軽やかに跳び、尾を翻して着地した。


「ほう……鬼どもが、統率されている」


 【カガリ】が笑う。


「影縫。お前が軸か」


 その言葉と同時に、妖狐たちが散開した。


 速い。

 個々が強いのではない。連携が洗練されている。


 左右から狐火が放たれ、上空から幻惑の霧が降る。


「っ……!」


 視界が歪む。村が二重に、三重に見える。


 だが。


「――惑わされるな!」


 俺は影を強く引いた。


「ここは、俺たちの領域だ!」


 《領域宣言りょういきせんげん》は、まだ完全ではない。だが、村の影はすべて俺に繋がっている。


 地面の影が、槍のように立ち上がる。


「《影糸操作かげいとそうさ》!」


 影の糸が狐の足元を絡め取る。完全な拘束ではないが、一瞬の隙は生まれる。


「今だ!」


 鬼火小僧が突っ込む。


「《憤火ふんか》!」


 鬼火が爆ぜ、狐が一体、吹き飛ばされた。


 ――だが。


 胸の奥が、悲鳴を上げた。


「……っ」


 影が重い。

 器が、限界を訴えている。


 村全体を支えながら戦う――

 これは、明らかに無茶だ。


 【トウマ】たちが必死に避難を誘導し、結界の内側へ村人を集めている。

 皆、俺の影の中で動いている。


 俺が崩れれば、全部終わる。


「影縫!」


 鬼火小僧の声。


「後ろだ!」


 振り向いた瞬間、狐火が迫る。


 避けきれない――

 そう思った瞬間。


 影が、勝手に動いた。


 俺の意思とは別に、影が壁となって立ち上がり、狐火を受け止める。


「……?」


 焼けない。

 いや、焼けきれない。


 影が、少しずつ“厚み”を持ち始めていた。


 ――器が、変わっている。


 契約妖怪たちの恐れと決意が、影に混じっている。

 ただ抱えるのではない。支え合っている。


 【カガリ】が目を見開いた。


「……なるほど。これが“国”か」


 その瞬間だった。


 森の奥から、圧が来た。


 空気が、沈む。

 妖気が、地面に落ちる。


 狐火が、すべて一斉に静止した。


 【カガリ】が、膝をつく。


「……来られましたか」


 闇の向こうから、一人の妖狐が歩いてくる。


 衣は古く、豪奢。

 尾は――九つ。


 その一歩ごとに、領域が軋む。


「初めまして、影を縫う者」


 声は穏やかで、しかし逃げ場がない。


「我は【ミズハ】」


 妖狐衆の首領。


「貴様が作ろうとしている“国”……」


 九尾が、ゆらりと揺れた。


「――少し、興味が湧いた」


 村の影が、ざわめく。


 俺は、影を引き締め、前に出た。


「……歓迎しよう」


 震えは、なかった。


 ただ一つ、分かっていることがある。


 ここからが、本当の戦争だ。

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