第5話 影は、抱えきれない

 村の中央に、焚き火が三つ並べられた。


 その周囲を囲むのは、鬼の村に住まう妖怪たち。老いた者も、若い者も、力ある者も、弱き者も――全員が名を持つ存在だ。


 名は誇りであり、記憶であり、この地に生きてきた証。


 長老が杖を鳴らす。


影縫かげぬいは、我らを縛らぬ。奪わぬ。名を捨てさせぬ」


 ざわめきが、ゆっくりと静まる。


「ただ、縫い留める。守るために。逃げ場を増やすために」


 視線が、俺に集まった。


 ――正直に言おう。

 怖かった。


 鬼火小僧おにびこぞう一体との契約でさえ、限界を感じた。村全員となれば、耐えきれる保証はない。


 それでも。


「選ぶのは、お前たちだ」


 長老のその言葉に、嘘はなかった。


 沈黙の中、最初に一歩踏み出したのは――

 あの日、俺を拾った子鬼だった。


「……ぼくは、契る」


 小さな声。だが、はっきりしている。


「名は【トウマ】。逃げる場所……ほしい」


 胸の奥が、きしりと鳴った。


 影が、そっと伸びる。

 無理に縫わない。ただ、重ねるだけ。


 次々と、名が呼ばれる。


「【ガンゾウ】」「【ミヨ】」「【ハチロ】」


 鬼、半妖、老いた者、若き者。

 全員が、自分の名を口にして前に出た。


 焚き火の音が、遠くなる。


 影が増える。

 重なる。

 層を成し、村全体を覆い始める。


 ――《主従契約しゅじゅうけいやく、連続成立》。


 その瞬間だった。


 視界が、歪んだ。


 影が制御を離れかけ、地面の闇が脈打つ。村中の影が一斉に揺れ、引きずられるように俺へ流れ込む。


「……っ!」


 声にならない痛み。


 存在が、内側から引き裂かれる感覚。

 妖力が流れ出し、代わりに――


 名。

 記憶。

 恐れ。

 願い。


 すべてが、流れ込んでくる。


「影縫!」


 長老の声が、ひどく遠い。


 俺は膝をついた。

 いや、影そのものが崩れた。


 輪郭がほどけ、地面に溶け落ちそうになる。


 ――多すぎる。


 名を持つ妖怪の重みは、想像以上だった。


 鬼火小僧が駆け寄る。


「無理だ! やめろ、影縫!」


 だが、すでに遅い。

 契約は成立している。切れば、全員に反動が行く。


 俺は、逃げなかった。


 代わりに――

 縫い方を変えた。


 縫い目を、緩める。

 完全な主従ではなく、互いを支える形へ。


 ――《共同契約きょうどうけいやく、再定義》。


 圧が、わずかに下がった。


 息が、できた。


「……まだ、足りない」


 理解した。


 国を作るには、器が要る。

 影だけでは、足りない。


 長老が、静かに頷く。


「代償じゃ。お前は、まだ“雑妖”の器のままじゃ」


 焚き火が揺れ、森の奥から冷たい風が吹き込む。


 ――甘い妖気。


 狐の匂い。


 誰かが、小さく呟いた。


「……見られてる」


 俺は立ち上がった。影は不安定だが、繋がりは確かだ。


「大丈夫だ」


 自分に言い聞かせるように、そう告げる。


「もう、独りじゃない」


 だが同時に――

 限界も、はっきり見えた。


 次は、耐えられないかもしれない


 影の国は、

 まだ“器”を持たない。

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