第4話 名を縫う

 焚き火の音だけが、静かに響いていた。


 鬼火小僧おにびこぞうは、焚き火の前に立っている。青白い鬼火が小さく揺れ、彼自身の迷いを映すようだった。


 武器は抜かれていない。

 構えもない。


 これは戦いではない。


 長老は地面に杖を突き、低く告げた。


影縫かげぬい。お前の力は、力尽くではないと言ったな」


「……ああ」


 俺は焚き火の向こうに立ち、影を揺らす。


「俺は、縫うだけだ。選ぶのは、そっちだ」


 鬼火小僧が、ぴくりと肩を揺らした。


 周囲の鬼たちが息を呑む。

 妖怪にとって、契約とは主従だ。自由を捨てることでもある。


 だからこそ――

 選ばされる契約は、契約ではない。


「おにび」


 長老が、鬼火小僧の名を呼んだ。


「お前は、この村で生きる。だが、この村は小さい。守りきれぬ未来もある」


 鬼火小僧は唇を噛み、俯いた。


「……分かってる。でも、外は怖い」


 正直な言葉だった。


 俺は一歩、焚き火に近づく。


「外に出ろとは言わない」


 影が、静かに伸びる。


「俺は、逃げる場所を作る。居場所を、増やす」


 鬼火小僧が顔を上げた。


「おまえ……強いのか?」


「弱い」


 即答だった。


「この村の誰よりも弱い」


 ざわめきが走る。


 だが、俺は続けた。


「だから、集める。名前を持つ妖怪を。力を持つ妖怪を。生きたいと思うやつを」


 焚き火が、ぱちりと弾けた。


「俺は、鬼火小僧おにびこぞう


 鬼火小僧が、震える声で言った。


「名前は、捨てない」


「捨てなくていい」


 影が、足元に触れる。


「縫うのは、存在だ。名前じゃない」


 長老が、深く頷いた。


「……よかろう」


 鬼火小僧は、目を閉じた。


「一つ、条件がある」


「言え」


「この村を……見捨てないでくれ」


 胸の奥が、きしりと鳴った。


「約束する」


 影が、鬼火小僧の影と重なる。


 細く、慎重に。

 無理に縫わず、絡めるように。


 世界が、静かになる。


 ――《主従契約しゅじゅうけいやく、成立》


 鬼火小僧の鬼火が、わずかに色を変えた。青白さの中に、影の色が混じる。


「……なんか、変な感じだ」


 鬼火小僧は苦笑した。


「だが、悪くない」


 長老は杖を鳴らす。


「これより、鬼火小僧おにびこぞうは、影縫の式神となる」


 村に、どよめきが広がった。


 だが――

 それは祝福だけではなかった。


 長老は、焚き火から目を逸らし、闇を見つめた。


「……風向きが変わった」


 俺も、感じていた。


 森の奥。

 甘く、冷たい妖気。


 ――狐。


 それも、一体ではない。


 鬼火小僧が、ぽつりと呟く。


「最近……山の向こうで、狐火を見た」


 長老の表情が、硬くなる。


妖狐ようこどもか……」


 焚き火が、強く揺れた。


 契約は始まった。

 だが同時に――


 争いの影も、また近づいていた。

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