第3話 影縫と、名を持つ者たち

 焚き火の前は、静まり返っていた。


 赤く揺れる炎を囲むように、数体の鬼が立っている。皆、俺よりもはっきりとした輪郭と妖気を持ち、名前を持つ存在だと、一目で分かった。


 ――俺だけが、異物。


 子鬼に抱えられたまま、俺は地面の影へと戻された。逃げることもできたが、そうしなかった。ここまで来てしまった以上、逃げても意味はない。


「拾ってきたってのは……これか」


 低く、しわがれた声。


 焚き火の向こうから、一体の老いた鬼が現れた。背は低いが、角は太く、折れた痕がある。長い年月を生き抜いた者の重みが、その妖気に宿っていた。


 この村の長老だ。


「……影の妖怪とは、珍しい」


 長老は俺を見下ろし、しばらく黙り込んだ。


 その沈黙が、妙に重い。


「名は?」


 問われて、俺は答えに詰まった。


 ――名。


 妖怪にとって、名は存在の証だ。力であり、誇りであり、縛りでもある。ここにいる鬼たちは、皆、名を持っている。だからこそ、村を成している。


 だが、俺には――ない。


「……ない」


 短く答えると、周囲がざわついた。


「名がない?」「雑妖か」「そんなものを村に?」


 囁きが飛ぶ。


 子鬼が、不安そうにこちらを見た。


「長老……悪いやつじゃないよ。ちゃんと、生きてる」


 長老は手を上げ、声を制した。


「静かにせい」


 そして、俺に視線を戻す。


「名を持たぬ妖怪は、弱い。だが――消えやすい」


 その言葉は、事実だった。


 名を持たない妖怪は、忘れられれば消える。誰にも呼ばれず、誰にも覚えられず、影のように薄れていく。


「だが、お前は……縫われておるな」


 ぞくりとした。


 長老の視線が、俺の影の奥を見抜いている。


「影の中に、ことわりがある。妖を留め、結ぶ理だ」


 ――見抜かれた。


 この村で、俺の異能を見抜ける存在がいるとは思わなかった。


「教えよ」


 長老は焚き火の前に座り、低く告げる。


「お前は、何者だ」


 俺は、しばらく黙った。


 嘘をついても意味はない。ここにいる全員が、俺より格上だ。だが――


「……俺は、影縫かげぬい


 名を、口にした。


 それは正式な名ではない。ただ、自分をそう呼んでいるだけの仮の名だ。それでも。


「妖怪を、ちぎれる」


 焚き火が、ぱちりと弾けた。


 鬼たちの妖気が、一斉に揺れる。


「討ち、説き、願いを叶え……縫い留める。式神として、影に」


 長老は目を細めた。


「……ほう」


 しばしの沈黙。


 やがて、長老は笑った。


「面白い。実に、面白い雑妖じゃ」


 鬼たちがざわめく。


「長老!?」「危険だ!」「そんな力――」


「だからこそ、じゃ」


 長老は立ち上がり、焚き火を背に俺を見下ろした。


「この村は小さい。力も、数も、足りぬ」


 そして、静かに告げる。


「お前の力――試させてもらう」


 その視線の先に、一体の若い鬼がいた。


 青白い鬼火を纏った、小柄な鬼。


鬼火小僧おにびこぞう


 名を呼ばれ、鬼火の鬼が一歩前に出る。


「こやつは未熟だが、力はある。もし、お前が言う“契り”が真であれば――」


 長老の声が、低く響いた。


「ここからが始まりじゃ。影縫」


 焚き火の光が揺れる。


 俺は、鬼火小僧を見た。


 初めてだ。


 逃げるのではなく、

 試されるのではなく、

 選ぶ側に立つのは。


 影の奥で、異能が脈打つ。


 ――ここからだ。


 俺の契約は、

 この村から始まる。

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