第2話 影は、拾われる

 鬼の村は、思っていたよりも遠かった。


 森を抜け、斜面を越え、それでもまだ焚き火の明かりは小さいまま。影である俺の足取りは軽いが、それでも妖力は削れていく。存在そのものが、少しずつ薄くなっているのが分かった。


 ――まずいな。


 このまま辿り着く前に消える可能性もある。


 俺は木の根元の影に身を沈め、しばらく動かずに妖力の回復を待った。何もできない時間。だが、焦って動けば、それで終わりだ。


 その時だった。


「……ん?」


 声。


 近い。


 反射的に影を薄くする。完全には消えないが、気配は抑えられる。こちらに向かってくる足音は軽く、乱暴さはない。


 子供……いや、子鬼か。


 木々の間から現れたのは、背の低い鬼だった。角は小さく、まだ丸い。腰には粗末な袋を下げ、手には木の棒を持っている。


 村の見張りか、それとも使い走りか。


 どちらにせよ、見つかれば終わり――そう思った瞬間。


「……あれ?」


 子鬼が立ち止まった。


 視線が、俺のいる影を捉えている。


 ――見えるのか?


 心臓がないはずの影の内側が、きしりと軋んだ。


 子鬼は首を傾げ、恐る恐る近づいてくる。そして、俺の影の輪郭を、じっと見つめた。


「……変なの。影が、影じゃない」


 終わった、と思った。


 次の瞬間、殴られるか、叫ばれるか――


 だが、子鬼はそうしなかった。


「おまえ……生きてる?」


 拍子抜けするほど、素朴な声だった。


 俺は答えられなかった。答えれば、存在が揺らぐ気がしたからだ。ただ、影がわずかに揺れた。


「……やっぱり、生きてる影だ」


 子鬼は、少し考え込み――


「こんなとこにいたら、消えるぞ」


 そう言って、俺の影に手を伸ばした。


 触れられた瞬間、ぞくりとした感覚が走る。拒絶もできた。逃げることもできた。だが、なぜか――しなかった。


 子鬼は、俺を「拾う」ように影ごと抱え上げた。


「よいしょ……軽いな。落ちてたし、連れて帰ろ」


 連れて、帰る?


 意味を理解する前に、視界が揺れる。子鬼の影に重なるように、俺は運ばれていた。


 森を抜けると、村が近づいた。


 木と岩で作られた粗末な家々。焚き火の煙。笑い声。争いの気配はあるが、ここは“生きている場所”だった。


「村長に怒られるかな……」


 子鬼はそんなことを呟きながら、村の中へ入っていく。


 ――まずい。


 本能が警鐘を鳴らす。ここは鬼の村だ。俺のような雑妖が紛れ込めば、どうなるか分からない。


 それでも。


 影の中で、俺は初めて気づいた。


 誰かに触れられ、

 運ばれ、

 拒絶されなかったのは――


 生まれて初めてだということに。


 焚き火の明かりが、影を赤く染める。


 この村で何が起こるのか。

 生き延びられるのか。

 それとも――


 子鬼は、俺を抱えたまま笑った。


「大丈夫だよ。村、あったかいから」


 その言葉が、やけに胸に残った。

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