影に縫われし妖怪、式神を集めて国を成す

羽蟲蛇 響太郎

第1話 影縫は、洞窟を出る

 冷たかった。


 湿った岩肌に染みついた冷気が、影の身体をじわじわと削っていく。洞窟の奥は暗く、光と呼べるものは何一つない。


 だが、俺には関係がなかった。


 俺自身が、影なのだから。


 地面に落ちた闇が、わずかに揺れる。人の形をしているが、輪郭は曖昧で、今にも溶けて消えそうな存在だ。


 ――目、覚めたか。


 そんな感覚とともに、意識がはっきりする。


 ここがどこかは分からない。

 ただ、一つだけ確かなことがある。


 俺は、妖怪だ。


 名もない。

 力もない。

 格もない。


 妖怪の中でも最底辺。雑妖と呼ばれる存在だ。


 洞窟の奥で、小石が転がる音がした。


 反射的に、俺は岩壁の影へと溶け込む。完全には消えない。ただ、気配を薄くするだけの、貧弱な能力。それでも、これがなければとっくに消えている。


 ――いる。


 洞窟の外から、微かに濁った妖気が流れ込んでくる。鬼……か、それに近い何か。この場所に長く留まれば、いずれ見つかる。


 戦えば、死ぬ。


 それは考えるまでもない事実だった。


 俺は洞窟の出口へ向かった。岩の隙間から、淡い月光が差し込んでいる。外は夜だ。だが、闇は嫌いじゃない。影である俺にとって、光よりも優しい。


 洞窟を出た瞬間、冷たい夜風が吹き抜けた。


 山中だった。


 木々が連なり、遠くで獣の声が響く。人の気配はない。妖怪の世界では、よくある光景だ。


 ――だが。


 俺は足を止めた。


 視線の先。山を一つ越えた向こう側に、微かな明かりが見えた。


 赤い炎。

 点々と並ぶ焚き火の光。


 妖気視ようきしを使う。


 ――鬼。


 複数いる。だが、どれも強くはない。若い鬼、小鬼、あるいは半妖。まとまってはいるが、大妖怪の気配は感じられなかった。


「……鬼の村、か」


 呟いた声は、夜に溶けて消えた。


 危険なのは分かっている。鬼は好戦的で、弱い妖怪を見逃さない。俺のような雑妖が近づけば、捕まるか、殺されるか。


 それでも。


 ここに留まる理由はなかった。


 洞窟は安全だが、何も生まない。

 逃げ続けるだけでは、いずれ消える。


 影の奥で、微かな違和感が脈打つ。


 生まれついて持っていた、唯一の異常。

 妖怪を縫い留める――契約の力。


 使えば、削れる。

 使い続ければ、いずれ壊れる。


 だが、使わなければ、何も変わらない。


 俺は、鬼の村の明かりを見据えた。


「……とりあえず、あそこを目指すか」


 理由は単純だ。


 独りでいるのに、飽きた。


 影は静かに地面を滑り、森の中へと溶け込んでいく。

 月明かりの下、遠くの鬼の村だけが、赤く瞬いていた。


 そこが、

 俺の運命の始まりになるとも知らずに。

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