【短編SF】御厩満里奈の出産【卵】
山本倫木
前編
〈受胎0日目〉
「おめでとうございます。満里奈さんの『子宮』には、無事に新しい命が宿りましたよ」
彩教授は血液検査の数値を指してから、
「本当に、そんなことが……」
満里奈はつぶやくように言う。無意識に左手が自分の下腹部に伸びていた。この奥に、新しい命が宿ったらしい。そして、数百日という時間をかけて成長を遂げ、赤ちゃんになる。そんなことが自分に、いや、人間に起こる日が来るなんて。これまで何度も繰り返し説明を受けてきたことではあるが、まだ、実感はなかった。
「大丈夫だよ」
夫、京太郎の大きな手が、満里奈の手に重なる。その手は満里奈の物よりも大きく、温かかった。満里奈の出産プロジェクトにあたっては、最高の医療施設とスタッフが用意されている。一般的な産卵よりも安全なくらいなドリームチームだよ、と京太郎は笑って説明をしてくれた。主治医として満里奈の正面に座っている彩教授も、生殖医療の高名な研究者であると同時に、優秀な女医でもあるのだという。それは理解している。それでも、満里奈はぼんやりとした不安をぬぐえなかった。確かに、ドリームチームなのかもしれない。けれど、その中で満里奈の役割は、『実験動物』なのだから。
〇
動物は、卵で生まれる。それは、陸海空問わず、地球の動物の共通事項だ。例外は微生物くらい。それは満里奈も小学生のころに習った覚えのある、普遍的な事実だ。何十億年という進化を経て洗練させ続けてきた、美しい生命の摂理。もちろん、人間も例外ではない。人間の卵は、通常、産卵から10カ月ほど温め続けることで孵化をする。
卵黄欠乏症。それが、満里奈の病だった。卵黄を形成する能力に問題があり、産卵は出来てもそこに卵黄は含まれない奇病。胚は成長に必要な養分が無いので、卵の中で死んでしまう。
満里奈が自分にその病があると知ったのは、ある年の健康診断がきっかけだった。精密検査を担当した医師は、子供はあきらめた方がいいです、という内容をオブラートに厚く包んで説明をしてくれた。ショックが無かったと言えば嘘になる。けれど、その時の満里奈はまだ若すぎて、その意味するところが実感として捉えきれなかった。それは、のちに夫となった、京太郎も同じだった。だから、互いに、子供は作らないつもりで結婚を決めた。
そして、二年が経ち、四年が経ち、六年が経った。それなりに充実した結婚生活だった。その間に京太郎の弟が結婚をし、やがて子供も産まれる。満里奈たちは、赤ちゃんを連れて家に戻った義弟夫婦を見舞った。
「赤ちゃんって、可愛いなあ」
初めて甥っ子を抱っこした京太郎は、目を細めてそう言った。満里奈も、一目見て息が詰まった。無垢な表情、ぷにぷにした頬っぺた、紅葉のような小さな手。間近で見る新生児は、想像以上に愛らしかった。お義姉さんも抱いてあげてください。義弟ににこやかに勧められるまま、満里奈もおずおずと赤ちゃんを抱き上げた。確か、体重は、四キロくらいだっただろうか。重くはなかった。けれど、抱いた瞬間、満里奈の中で何かが弾けた。そして、その例えようのない特別な重みは、満里奈の胸に特別な感情を呼び起こすのに十分な衝撃だった。
「赤ちゃんって、可愛いね」
その夜、満里奈はため息をつくように、そう言った。京太郎も頷いていた。二人とも赤ちゃんに感動はしたが、この時点では、それは深い意味を持つ会話ではなかった。卵黄欠乏症は、治療法のない病。二人ともそれを理解していたから、子供は自分たちには縁のないものとあきらめることが出来た。
ところがある日、京太郎が取材先で一つのニュースを仕入れてきた。京太郎は、とある科学雑誌のライターをしている。先端の科学技術について取材し、記事を書くのが仕事だ。その日、京太郎は帰宅するなり、満里奈にこう告げた。その声には、抑えきれない興奮が滲んでいた。
「満里奈。O大学医学部で卵黄欠乏症の画期的な治療法が完成間近らしいんだ。しかも、今、その被験者を募集しているって。話を聞きに行ってみないか」
〇
京太郎に連れられて訪れたO大学で、満里奈は詳しい説明を受けた。話をしてくれた産科の教授は、不思議な雰囲気をたたえた女性だった。立花彩という名のその教授は、若く見積もれば満里奈と同世代にも見えたし、実は親の世代だと言われても納得できた。どうにも年齢不詳だった。おとぎ話の魔女が、現代に蘇った。満里奈はそんな印象を持った。
彩の話は専門用語が多かったので、満里奈には分かりにくかった。まるで外国の人と話しているようだったが、京太郎が満里奈にも分かりやすいように嚙み砕いて説明をしてくれた。職業柄、京太郎は専門的な話を一般人に分かるように伝えるのは慣れている。
要は、こういうことらしい。卵黄欠乏症は、胚が栄養を取れないので成長できなくなる病気。だから、何らかの方法で栄養を与えることさえ出来れば、胚は無事に成長できる。では、どうやって栄養を与えるか? そのために、彩は新しい臓器を研究しているのだという。
「新しい臓器ですか?」
「そう。私はその臓器に『子宮』という名前を付けた。子供を育てる、
満里奈が聞き返すのに、彩は自信ありげに頷いた。満里奈には意味が分からなかった。『新しい臓器』と言われてもピンと来なかったし、『しきゅう』なんて単語も初めて聞く。ちらりと京太郎の方に目を向けたが、京太郎も満里奈と同じような顔をしていた。
「
京太郎が頷く。満里奈も覚えがあった。確か昔、京太郎が特集記事を書いていたっけ。確か、その時の雑誌は自宅にも保管してある。
「IPS細胞を使って、胚に栄養を送る胚盤のような組織を作るんだよ。これを生体組織に埋め込めば、胚は栄養を得て、成長することが出来る。『子宮』というのは、胚盤を埋め込みやすい内部表面を持った、袋のようなものだね。胚が成長して赤ちゃんになっても中を保護できるよう、伸縮性を持った構造になっている。まあ、形はしわくちゃの膀胱みたいなものだよ」
ぼうこう、と言われても満里奈にはすぐには漢字が思いつかなかった。少し遅れて、おしっこを溜めておく膀胱の事だと気が付いて、眉をひそめる。子供が育つという臓器をそんなものに例えるなんて、無神経だ。
「研究はどれくらい進んでいるのですか」
満里奈の内心のいら立ちをよそに、京太郎が教授に尋ねる。声は少し弾んでいる。科学ライターの血が騒ぐのだろうか。
「動物実験は成功。マウス、ラット、ウサギ、サル。全て問題なかった。産まれた子供の成長にもね。関連局の許可も得られて、あとは臨床で人間のデータを集めるだけ、という段階だよ」
彩の声もなんだか楽しそうだった。京太郎は、この手の人種にウケが良い。専門的な事柄への理解が早いし、質問のツボも心得ている。何より、京太郎自身が新しい科学技術を楽しんでいるフシがある。そういった部分が、科学者と呼ばれる人たちの心をくすぐるのだろうか。京太郎が質問を続ける。
「先生の研究では、受精した胚が『子宮』から栄養を受け取るということは分かりました。素人質問で恐縮ですが、その『子宮』にはどうやって栄養を送るんですか?」
「それは簡単だよ。子宮を腹部に移植するんだ。血管をつないであげれば、子宮は血液を通じて養分を取り込むことが出来る」
満里奈はぎょっとした。満里奈は『子宮』というのは、卵の一種だと想像していた。赤ちゃんを作るための臓器というのだから、当然のことだ。だが、どうも違うらしい。お腹に移植する? 『新しい臓器』という言葉の意味を、満里奈はようやく理解した。
「ちょ、ちょっと待ってください」
冗談じゃない、と思った。体の中で、赤ちゃんを育てる? そんな生き物、聞いたことも無い。
「卵を孵化させるのを、母親一人にやらせるって事ですか?」
満里奈は、やや気色ばんで彩に尋ねた。今でこそ、卵の保育は専用の保育器を使うことが一般的だけれど、本来は違う。国や時代によっても違いがあるけれど、夫婦を中心に複数人で卵を温め続けるというのを、伝統的には大抵の文化圏で行っていたはずだ。それをたった一人に任せるなんて。それでは、母親の負担が大きすぎる。
満里奈の言葉に、彩は重々しく首を振る。彩は、そういった意見があるだろうとは承知しているよ、と言ってから、しかしね、と言葉を接いだ。
「命を繋ぐために出来ることを行う。それも、生き物の摂理ではないかな?」
彩の目が、まっすぐに満里奈を貫いた。さっきまで京太郎と楽し気に歓談していた時とは違う、真剣な眼差しだった。満里奈は言葉に詰まった。彩の言葉には、強い信念が滲んでいた。体の中で卵を育てるという、一見、生命の摂理に反する奇抜な発想。けれど、それは命を繋ぐという崇高な目的の前では許容されるべきだ。彩がそう信じているということが、無言のうちに伝わってきた。
彩はそれ以上には無駄に言葉を重ねなかった。実験に協力していただけるか、決める前にこの動画を見てほしい。そう言うと、彩は机の上のパソコンを操作する。モニタ上に動画が表示された。殺風景な部屋が映っていて、中に一匹のサルが居た。定点カメラからの映像のようで、被写体は少し遠い。
「お腹の中で赤ちゃんを育てているサルの様子だよ。これは、お腹の中で子供が成長しきった状態だ。この数日後に、我々は新生児を取り出している」
満里奈は思わず口を押えた。京太郎は食い入るように画面を見つめている。部屋の中では、茶色い獣がのたのたと歩き回っていた。そのお腹は、不自然に膨らんでいることが遠目にも分かる。膨らみ方は不格好で、見るからに重そうだ。お腹で赤ちゃんを育てる。自然に逆らうその営みの代償は、決して小さくはないように思えた。研究に協力するかどうかは、よく考えて決めてほしい。動画の再生を終えると、彩はもう一度そう言った。
数カ月迷った末、満里奈たちは研究への協力を申し出た。
子宮の移植手術は、満里奈が受けることになった。理論上、子宮の移植手術は、男女を問わず受けることが可能らしい。が、性刺激ホルモンのバランスの都合上、現時点では女性に移植した方が安定しやすいとの事だった。だから、京太郎に手術を受けてもらうという選択肢は最初からなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます