第十一話 中村有希

視点 : 中村有希


 全国金賞の翌朝、ホームルームの雰囲気はこれまでになく重苦しいものだった。普段なら笑顔で挨拶を放つ熱血教師も、この日ばかりは暗い顔をしていた。

「今日は君たちに大切な話がある。静かに聞いてくれ」

 そう切り出され、ざわざわとしていた教室が嘘のように静まり返った。皆が皆、担任から漂うただならぬ雰囲気を感じ取ったんだと思う。何とはなしにクラス全体を見渡すと、二人の生徒が抜けていた。

「昨日親御さんから、河瀬が亡くなったという連絡があった」

 各所から悲鳴が上がる。河瀬は友人もいたし、彼のことを好いていた人も少なくない。クラス中が混沌に包まれ、けれど担任はそれを制止しなかった。教壇の上で両手をつき、苦しそうな表情で顔を俯けている。自分のクラスの生徒が自殺するというのはどういう気持ちなんだろうと、私は他人事のように考えた。


 それから先輩方は卒部した。河瀬が自殺したことで、卒部式ではどの生徒も表情が暗かった。最後には追悼式が執り行われ、皆が彼との別れを惜しんでいた。それは私も、夏菜子も、ツムギも、例外ではない。まさか死ぬだなんて思わなかったからだ。河瀬がそこまでか弱い奴だなんて、思っていなかったからだ。けれど不思議と罪悪感はなかった。虐めを遂行したのは私ではないし、はっきりとした目的だってある。自分が部長になるためなのであれば、仕方のない犠牲だと思った。


 秋が終わり、冬の片鱗が顔を出している。練習が終わり校舎を出ると、乾燥した空気に喉を焼かれてしまった。コンクール前でなければ、19時には終わる部活動。普段通りの賑やかな放課後の雰囲気に包まれつつ、私たちはいつもの三人で帰宅していた。

「今日、どっか寄って帰る?」

 浮かない顔をした二人に、私から声を掛ける。河瀬が死んでから、彼女らから話しかけてくることがなくなった。こちらから声を掛けてやらなければ、無言の気まずい時間となってしまう。

「私は帰る」

「私も、お迎えあるから」

 二人はあれからずっと、気を落としている。脅されていたとはいえ、彼のことを死に到らせたのは彼女らだったからだ。

 始めは執拗に嫌がらせをして、不登校に追い込もうと思っていた。けれど中々しぶとく、焦った私は最終的に彼の良心に付け込んだ。結果想定外のことになってしまったけれども仕方がない。ただそう思うのは私だけであって、二人はこれでもかというほどに自分を責めているはずだった。だからこそ、二人の心のケアをしてあげなければならなかった。

 私は恨まれていることだと思う。当たり前だ。私がいなければ彼女らは普通に学生生活を送れていただろうし、河瀬だって柳川と幸せな日々を送っていたはず。罪の意識がはっきりとこの身に募ったのは久方ぶりだった。

「私、たぶん病気なんだと思う」

 誰もいないタイミングを見計らって、下唇を噛みながらそう呟く。二人に向き合って、互いの目を交互に見つめた。

「有希……?」

「他人をコントロールしたいだとか、誰かを従える立場になりたいだとか、そういうことに自分でも怖いくらい固執しちゃうの。自分でも、自分のことが怖くて……。そのせいで二人を巻き込んで……河瀬も……」

 二人は真剣に話を聴いてくれていた。悪魔の戯言にも関わらず傾聴してくれるのは、彼女らが本当の意味で優しさに溢れているからだと思う。

「本当にごめんなさい……」

 許してくれだなんて言わない。別にそれでも構わない。だって、許してほしいわけではないのだから。ただ夏菜子とツムギが、自分から離れてしまうのが怖かっただけなんだ。二人がいなくなったら、ひとりぼっちになってしまうから。本当の意味で味方をしてくれるのは、それが例え偽りだったとしても、彼女らしかいなかったからだった。

「私は……有希のことを恨んでる」

 話し始めたのはツムギだった。私たちは立ち止まって、時折吹く空っ風に身を震わせていた。

「正直なこと言うとね。毎日毎日有希のこと、殺してやりたいって思ってた。包丁を隠し持って、有希の家まで行ったこともあったんだ。でもね、もうどうでも良くなっちゃった」

「……」

「なんだか有希のことが可哀想に思えちゃって。私と同じ、可哀想な子なんだなって」

 ツムギが私の背中に手を置いた。優しくそっと、上から下へとその手を移動させる。背中をさすってくれているんだ。共感と同情。その穏やかな眼差しは、彼女が妹たちを見ていたあの目、優しい母の目をしていた。夏菜子は何を考えているのか、その場でじっと目を伏せている。その時私は、ようやく人間に戻れたような気がしたのだった。


 冬の定期演奏会が終わってしばらく経つ。二学期が今日で終わるという頃、不登校になっていたクラスの子が学校に来た。ずっと空いていた私の前の席、そこに彼女は座っていた。

「有希、おはよ!」

「ああ、うん、おはよ」

 以前と同じように愛想の良い挨拶。しばらくぶりだったから一瞬戸惑ってしまったけれど、何とか普通に返事ができた。危ない。つい動揺してしまった。彼女は何も知らないはずだから、怯えなくても大丈夫なのに。しかし彼女のその強い眼光は、私の心の中までも見透かしているような感じがして、少しだけ怖くなってしまった。

 今日は授業が午前で終わる。明日は終業式があり、明後日からは冬休み。今日と明日は部活が休みで、明後日からまた練習の日々。河瀬の一件があってからは雰囲気が暗くなっていた我が吹奏楽部だったけれど、最近は段々と明るさを取り戻し始めている気がする。私のほうも部長としてはまだまだ歴が浅いけれど、先輩のご教示通りに上手くやれていると思う。ピリピリとしていた部の雰囲気はだいぶ柔和になり、連帯責任制度も消え去った。本当は河瀬にやらせたかったみたいだけど、私でもそのくらい出来るということを身をもって証明できているつもりだ。

 夏菜子とツムギとは、あれ以来さらに仲が深まった。お互いに弱みを見せ合えたこともあり、以前よりも強固な絆で結ばれたような気がしている。やっぱり親友とはこうあるべきなんだと、再認識された出来事だった。

 

 午前で学校が終わった今日も、いつもの三人で学校を出た。昼前でお腹が空いていて、これからお昼でも食べに行こうかと話し合っていたところだった。

「ねね、みんな帰るとこ?」

 例の不登校の子が突然現れた。背後から足音も立てず忍び寄り、だから私たちは全員が全員飛び上がってしまった。何のつもり……? 気色悪いんだけど……。代表して私が返事をした。

「えっ、ああ、うん。ご飯食べに行こうかなって」

「あ、ほんと? 私も行きたいなあ」

 クラスではたまに話していたし、名前で呼び合うくらいには冗談も言える。でも一緒にご飯に行くとか、遊びに行くだとか、そういうのは一切無い。突然学校に来たかと思えば、突拍子もなく私たちに声を掛けてきて。まさか……でもそんなはずは……。嫌な予感がどうしても拭えなかった。

「私、寂しくて。有希たち吹部でしょ? 春輝との思い出話とか聴けるかなと思って。迷惑だったらごめんなさい……」

「ううん、迷惑じゃないよ。行こ?」

 彼女の様子を見るに、私たちが河瀬を殺しただなんて想像もついていないように思える。ただただ苦しくて、近くで河瀬のことを見ていた私たちに縋っているようにしか見えない。

 それにしても強い子だ。あんなにラブラブだった恋人が自殺して、ここまでちゃんと話せているなんてマトモじゃない。これまで不登校になってはいたけれど、普通の人間ならもう登校することもできなかったんじゃないかな。彼女は相当強靭な心を持っているに違いない。それは河瀬も見習うべきだったと思う。とはいえ、だからこそ彼女らは惹かれ合ったのかもしれないけれど。


 柳川咲良を交えた食事会は、夕方の日暮れ頃にようやく解散した。美味しいハンバーグを食べた後、デザートにケーキバイキングをして、最後はフリータイムのカラオケで締めた。柳川は私の想像以上にはっちゃけていて、本当に私たちと遊びたかっただけなんだと心から安心したものだった。

「有希、今日はありがとね。おかげで元気になっちゃった」

「うん、こちらこそ。咲良と遊ぶの楽しかったし、また行こう?」

「りょーかいっ!」

 そう言って、満面の笑みで敬礼ポーズをとる柳川。可愛くて愛嬌のある優しい子。河瀬はさぞ幸せだったろうなと、どうしてか彼のことが羨ましくなった。


 その日の晩、悪夢を見た。信頼していたはずの夏菜子とツムギに裏切られる夢。彼女らが柳川と結託して、私のことを縄で縛り付けていた。そして何もない部屋に蹴り放られ、ひたすらに殴られる。髪を引っ張られ、顔面を踏まれた。それらはすべて、私がツムギに行った暴力と同じだった。夢なのに痛みを感じて、彼女らの笑みが、背筋が凍るくらいに怖かった。

「はっ……はぁはぁ……」

 過呼吸寸前で目が覚めて、真冬だというのに汗でびしょ濡れだった。蹴られた腹部と殴られた顔面、引きちぎられた毛根がひどく傷んだ。

 

 ――プルルルルルル

 

 唐突に着信音が響き、身体がビクッと震わされた。心臓がバクバクとにかくやかましい。深呼吸をして、いったん冷静になる。右手をスマートフォンのほうへと伸ばし、眩しい画面に目をやった。そこにあったのは夏菜子の名前。時刻は深夜二時。こんな時間にどうしたんだろう。彼女も私と同じように悪夢を見たのかな、と親近感を覚えながら電話を取った。

「夏菜子? どうしたの?」

「有希っ……有希いっ……! ううっ、どうしよ……どうしよう……」

 電話の先では夏菜子が咽び泣いていた。必死に言葉を紡いで、私に助けを求めている。彼女のこんな姿、今までに見たことがない。怒ることはあるけれど、どんな時も温和で冷静。頭は悪いけれど、他人に弱いところはほとんど見せない子。

 何……? まさか、河瀬の件がバレたとか……?

 けれど夏菜子から返ってきた答えは、予想を裏切るものだった。

「私っ、咲良さんっ、のこと……殺しちゃった……」

「……は?」

 

 柳川を、殺した……?

 夏菜子が?

 どうして?

 

「咲良さんが……うっ……わた……部屋に、で……」

 要領を得ない。というか、何を言っているのか分からない。とりあえず落ち着いてほしい。

「落ち着いて。一緒に深呼吸しよ」

「うん……うん……」

 しばらく二人で、ゆっくりと呼吸をし合った。夏菜子はなかなか落ち着かず、まともに話せるようになるまで相当の時間が掛かった。


 ようやく荒い息遣いが止み、事の顛末を説明してくれた。

「有希と別れたあと、咲良さんから、家に遊びに行きたいって言われて……どうしてもって言うから……私も楽しくなっちゃってて。だから、連れてきたのね」

「うんうん、それで?」

「私が河瀬くんに嫌がらせしてたのを知ってて……部屋で、殺されそうになって……」

「殺されそうに……?」

「ナイフを持ってて、それで……私、死にたくなくて……包丁を……部屋で……」

 言葉は途切れ途切れだったけれど、何があったかはよく分かった。どういう経路を辿ったのか分からないが、柳川は夏菜子による虐めを見破っていたんだ。そして復讐をしようとした。学校に来たのも、きっとそのためだろう。私たちに声を掛けてきたのだってそう。最初から彼女を殺すつもりだったんだ。

 けれど夏菜子が憔悴している一方で、私は安心していた。この様子だと、柳川は私が真犯人だということに気が付いていないはずだからだ。嫌がらせの実行犯は夏菜子だけ。脅しの実行犯は夏菜子とツムギ。私は指示を出しただけで、何もしていない。

 本来なら夏菜子と協力して、死体処理をしてあげるべきだ。そもそもは私が原因なんだし、私たちは運命共同体だから。でも、できなかった。まだ自分の人生を捨てる覚悟ができていなかったのだ。せっかくバレていないのに、どうしてわざわざ危ない橋を渡る必要があるのか。

 私は夏菜子を捨てることに決めた。元々嫌いだったし、別にいいよね。

「夏菜子」

「うん……どうしよ……」

「あんたが殺したんだから、自分で何とかして。もし私らが関わっていることがバレたら、ツムギがどうなるか分かってるよね?」

「有希……? 有希っ……有希、ゆき、ゆき……」

 どうしてか私の名前を連呼している。おかしくなっちゃったのかな? はあ、面倒くさい。鬱陶しいからやめてほしい。

 私は夏菜子の言葉を遮って電話を切った。あいつのことだから掛け直してくるかと思ったけれど、そんなことはなかった。彼女はどうするんだろう。柳川のことは部屋で包丁を使い、殺したと言っていた。つまり室内は大量の血液でごった返しているはず。外にバレなかったとしても、親には必ず気付かれる。腐敗臭だって尋常ではないだろう。

 正当防衛ということにする手もある。実際柳川はナイフを持って夏菜子を殺そうとしていたわけだし、実際正当防衛なわけだし。けれどあの動揺した彼女がその発想に至り、至ったところで上手く理論だった説明を出来るとは思えない。夏菜子は性格が良いだけで要領が悪く、頭も弱い。そもそもそんな発想にさえ至らないかもしれない。私は最初から、死体の処理に関しては期待していなかった。先にも言ったように、私は夏菜子のことを捨てたんだ。柳川を殺したのは夏菜子。私は関係ない。私とツムギのために、娑婆からいなくなってほしい。


 次の日、ホームルームが長引いた。担任の熱血教師がやってきて、河瀬の時以上に暗い顔をして壇上に立った。教壇に両手をついて項垂れている。それは前にも見た光景だった。

「落ち着いて、よく聴いてくれ……」

 クラスを見回すと、全生徒のうち三人が欠けていた。それは、私のよく知る三人だった。

「今朝、杉山が亡くなったと連絡があった。自宅が火事で燃えて、家族全員助からなかった」

 担任の言葉を聞き、今度は悲鳴は上がらなかった。それは別に夏菜子が不人気だからというわけではないと思う。同じようなことが二度も続いて、悲哀より恐怖が上回ったからなのかも分からない。声を上げて仕舞えば次は自分が死ぬ……という、まるで化け物に追われている時のような感覚。

それに、今日は……

「先生、咲良は欠席ですか……?」

 柳川と仲の良い女子が、担任にそう尋ねる。ひどく震えて、何かに怯えているような声色だった。

「はあ、柳川は……」

 少しだけざわめいていた教室が、しんと静まり返った。熱血教師は躊躇うように白状する。

「柳川は昨日から行方不明らしい」

 ツムギのほうに目をやる。後ろ姿しか見えないけれど、彼女は他の生徒たちと同じ背中をしていた。肩をすくませ、得体の知れない何かに怯えているようだった。


 終業式が終わると、ツムギとともに学内の一室に拘束された。スクールカウンセラーとやらがやってきて、友人が亡くなったことに対するケアを施されたのだ。それからやたらと心配されたのち、こうして二人で帰宅していた。隣を歩くのは大人しい彼女。冬の真っ只中、明日は雪の予報だとテレビで見たような気がする。マフラーも巻かずに小さく震えているツムギに、私は自分のマフラーと手袋を貸してやった。

「いいの……?」

「うん」

「……ありがと」

 断られるかと思ったけれど、素直に受け取ってくれた。すでに頭上は曇り空で、降雪の香りが漂っている。首元と手先に冷気を感じたが、今の私には痛いくらいが丁度良かった。

「ねえ、有希?」

 ツムギがそう、ぼそっと呟いた。ゆっくりとした歩みは止めないまま、顔は真正面を向き続けている。

「私、死のうと思う」

「……え?」

 彼女は相変わらずこちらに目を向けないまま、同じようなトーンで口から言葉を紡ぎ出す。冷たい風が吹いて、いつの間にか長くなった彼女の前髪がふわふわと揺れていた。

「柳川が自分の部屋に遺書残してたんだって」

「遺書……? 誰に聞いたの?」

「夏菜子。その遺書に、私と夏菜子が河瀬を虐めていたことも書いたんだってさ」

「私のことは……?」

「たぶんバレてない。うちら三人は仲良かったし、疑われてたと思うから保証はできないけどね」

「……そっか」

 ツムギが一呼吸置く。もうしばらく歩けば、最寄り駅に着いてしまう。何とはなしに彼女の目を見ると、焦点の合わない虚ろな目をしていた。

「私、もう疲れちゃったんだ。ずっとずっと苦しんで、毎日毎日泣きながら頑張ってきて、やっと普通に生きていけると思ったら、こんなことになっちゃって」

「……」

「もういいやって。だから、今日でお別れだね……有希」

 私は立ち止まった。不審に思ったツムギもその場に留まって、こちらを振り返る。ふと彼女との間に何かが見えた。雨でもない、枯れ葉でもない、何か。

 ――雪だ

 風に揺られる不安定な純白の結晶たちは、まるで今の私たちを表しているような気がした。枝毛の生えたツムギの黒髪に、白い斑点が積もり始める。彼女に近づいて、雪をさっさと払ってあげた。


「ツムギ、私と一緒にどこか遠くに行こっか。私たちのことを誰も知らないような……遠いところに」

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