第2話 雪だるま 後編
2025年12月24日 23:10 【幸佑】
「んふー、美味しい」
両手でパンを持った少女が美味しそうに頬張っていた。
自動販売機で売っていた、”ぎっしり激甘アンパン”だ。
健康な人でもなんだか体調を崩しそうなネーミングだな。
こんなの病院で売って良いのだろうか?
「ありがとうお兄ちゃん」
にこにこ笑顔の少女。
150円くらいならまあ奢るのも悪くないし、なにより美味しそうに食べてくれている。
そんな姿を可愛い、そう感じながら見ていた。
しかしパンを口に運ぶスピードが急に落ちてきた。
そしてなにか言いたげにこちらを見ている。
ああ、なるほど。
俺は苦笑して、一度はしまった財布をもう一度出した。
「お茶でいいか?」
「うん、ごめんなさい」
追加で130円奢って、あついお茶を渡した。
自動販売機コーナーのビニール張りの長椅子。
申し訳なさそうにしている少女。
「こんなことでそんな顔しないでくれ」
俺は隣に座り、できるだけ優しい声で話しかけた。
「でも……」
いまだに少し不安そう。
嫌われたくないような、見捨てられたくないような。
幼い少女があまりしないはずの顔。
「クリスマスに使う予定だったお金が余ってるから気にするな」
「だれかと遊んだりしないの?」
その言葉にちくりと胸がいたんだ。
「そいつがここに入院しててな」
「お見舞いに来てたんだね」
小さく頷いた。
「毎日来てるの?」
もう一度頷く。
「そうなんだね」
また悲しそうな表情をしていた。
どうしてそんな顔をするんだ?
「そうだお兄ちゃんの名前まだ聞いていなかった」
熱いお茶のペットボトルを手の中で転がしながら聞いてきた。
喉が詰まっているのか、パンを食べるのも止まっている。
「藤崎幸佑。
名乗ってなかったな、悪い」
「ううん!私のことは鈴(すず)って呼んで」
ニコニコと嬉しそうで、少しだけ救われた気がする。
機械の低い駆動音が響く部屋。
鈴がようやく温くなったお茶をひと口飲んだ。
「はい、幸佑お兄ちゃんも」
差し出された蓋の開いたままのペットボトル。
気にしすぎだというのは分かるが、受け取ることは出来なかった。
それならと一口大にちぎったアンパンを差し出してきた。
断面はぎっしりと黒いあんこで、パン生地が見当たらない。
「甘いのはあんまり得意じゃ……」
「美味しいよ?」
頑なに押し付けてくる。
「いや、だからな」
「はい、だよ?」
ぐいぐいと差し出される手。
諦めて摘もうとすると、ひょいっと取り上げられた。
「あーんだよ?」
にこにこと口元に持ってきている。
小学生にあーんをされる高校生って、絵面的にアウトな気がするんだが。
「オママゴトって年齢でもないだろ」
「もー。
女の子がしてって言ったらするの!」
仕方なく少しだけ口を開けた。
「……甘い」
そうは言ったが、冷えていた体にゆっくりと広がり悪くはなかった。
ひとりの時は甘い物なんて口にしないから、つい思い出してしまう。
「ご飯のあとは何にする?」
オママゴトの続きなのだろうか、笑顔の少女が聞いてきた。
お風呂?それとも私?という定番のことを言ってるのだろう。
「絶対意味分からず聞いてるだろ?」
「お兄ちゃんは分かるの?」
「……わからない」
嘘をついてから、ふと考えてしまった。
子どもが出来たらこういう無邪気さに困らされるのかな。
消えかかる未来を思い描いてしまった。
「なんでそんなに楽しそうなんだ?」
俺をずっと見ている鈴。
自慢ではないが子どもに好かれるタイプではない。
「病院にいると一人が多くて。
誰かと話ができるのは嬉しいよ?」
子どもの入院患者は少ないし、きっと寂しく過ごすことが多いんだろうな。
小さな少女にとってそれは凄く悲しいことだろう。
「気分転換の相手になれたなら良かった」
思わず手を伸ばし、髪を撫でた。
さらりとした絹の手触り。
「ごめん、無意識に」
「え?このくらい大丈夫だよ?」
鈴は何も気にしない様子で、むしろ甘えるように手に頭をこすりつけてきた。
ませた子どもだと、指先で突き返した。
「いじわる」
少し頬を膨らませて立ち上がった。
「ねえ幸佑お兄ちゃん、体は少し暖まった?」
「まあそれなりに」
「ならさ」
俺の左手を小さな両手がつつんだ。
「雪、見に行かないかな?」
申し訳なさそうにそう聞いてきた。
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2024年11月3日 【幸佑】
窓の外を見ると鳥が低く飛び、秋なのに暖かな空気が流れていた。
部屋の中では紫が俺の部屋のベッドに座り、スマホを楽しそうに見ている。
昔からファンの作家が新作を発売したらしく、数時間はあのままだ。
なら自分の部屋で読めば良いと思うが、あいついわく同じ空間にいることが大切らしい。
電子書籍を読み進めるたびに、不安そうにしたり、にこにこしたり、色とりどりの感情を全身で表現する紫。
見ていて飽きないな。
それからどれくらいたっただろう、読み終わって満足そうに顔を上げた。
「今回のもすごかった!」
嬉しそうに俺に拳を突き出してきた。
よほど楽しかったのか、口の両端が上がったり下がったり忙しそうだ。
それはなによりだったな。
「んーもうこんな時間なんだ」
時計を見て自分が四時間近く没頭していたのに気がついたらしい。
伸びをして凝り固まった背中と肩をほぐしている。
「幸佑はなにをしてたの?」
「俺は見てた」
言われて紫は何をだろうと周りを見回した。
「見てたって映画とか?」
「紫を」
「え?」
俺の言葉の意味がわからず、きょろきょろしている。
付き合いだしてだいぶ経つが、俺達の関係は変わっていなかった。
こうやって一緒にいる時間は増えたけれど、やっていること言えば話したりゲームしたり買い物に行ったり。
友だちの期間が長すぎたせいか、お互いが一番楽な距離を理解してしまっていてそこから抜け出せないでいる。
つまり恋人らしいことは何も出来ていない。
「私を……みていたの?」
「ああ」
「四時間も!?」
「ああ」
どういった反応をして良いのかわからないのだろう、俯いて床に話しかけている。
「私なんてつまんないし、そんなに見てると飽きちゃうよ」
「あのな」
相変わらずの自己評価の低さ。
いつまでたっても直らない紫の悪い癖だ。
「紫は俺が可愛いって思えた、たった一人の女の子だ。
飽きるわけ無いだろ」
ますますどうしたらいいのかわからなくなったらしく、今度は天井を眺めていた。
やっぱりどれだけ見ていても、退屈はしないな。
俺は立ち上がって紫の隣、ベッドに座った。
「ち、近いよ?」
「嫌か?」
「そうじゃないけど」
それ以上何も言わず手を差し出した。
何をすれば良いのか理解はしているけど踏み出せない紫。
苦笑しながらあいつの手を取り、重ねた。
おずおずと手を繋いで来たのでそうではないと、一度ほどいてから恋人繋ぎをした。
指の一本一本が絡み、ふたりの手が溶けるようにひとつになった錯覚。
よく考えれば、紫と手を繋いだのは初めてだったかもしれない。
「も、もういいかな?
私、手汗かいちゃって恥ずかしい」
「だめに決まってるだろ」
膝を抱え縮こまり、丸くなっている。
「せっかく読んだ内容忘れちゃったよ」
「もう一回楽しめるな」
「……いじわる」
ようやく俺のほうを見た紫は隙間なく染め上がり、唯一白い瞳だけが潤んでいた。
「恥ずかしくて死にそう」
「手をつないだだけだろ?」
「だけじゃないよ!特別なことだよ!」
振りほどこうとぶんぶん振るが、しっかり握ったその手は離れることがない。
むしろ汗をかいてしっとりとして、なんか密着感が。
ムキになったその姿がとても可愛くて、紫の顎に指をかけた。
「あっ」
それが何を意味するかを察した少女。
幾瞬か戸惑い、悩み、嬉しそうに瞳を閉じた。
握った小さな手、俺を受けて入れてくれる思い、全てが俺にとって。
言葉にできない感情が胸を絞め、空いている手を背中に当てて引き寄せた。
ずっと一緒だった女の子。
ずっと好きだった女の子。
ほんの数秒のふれあいが、永遠に感じられた。
「……ありがとう」
離れた紫が唇を抑えつつ伏し目がちに言ってきた。
初めての感想にしては少し的外れに感じるけど、こいつらしい。
「今日の幸佑は積極的すぎるよ」
俺の胸に頭をこつんと押し当て、ぶつぶつと文句を言っている。
「いいもん、私もわがままになるもん」
気まずいと悔しいが混ざりあった紫。
いまだに離してもらえない手にぎゅっと爪を立ててきた。
どんな姿もいじらしくて可愛く思えるのは、俺がバカだからだろう。
「……ってして」
「え?」
小さすぎて聞こえなかった声。
思わず聞き返した。
「……ゅってして」
「ごめん、ほんとうに聞こえない」
痺れを切らした紫が俺の胸から顔を上げ、震える声で伝えてきた。
「ぎゅってしてほしいです」
消え入りそうな声。
それでも思いを伝えたくて、精一杯だした声。
手をようやく離した俺は片方を腰に、片方を頭に回して、どこかに行かないように胸に抱いた。
小さな体、柔らかな感触、熱い体温、甘酸っぱい香り。
「え、えへへへ」
色々な感情が交差して整理できない。
それでも俺の中でこの子だけは、紫だけは、何があっても。
独りよがりな誓いを立てていた。
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2025年12月24日 23:30 【紫】
病院の裏庭、偽りの姿の私は空を見上げていた。
再び振り出した雪が視界を埋めて、まるでずるい心を清めてくれるみたい。
「きれいだねお兄ちゃん」
私の横に立つ幸佑。
いつものように見上げる横顔。
ずっと見ていたかった。
ううん、最後にもう一度見れた。
それだけで私にはもったいないご褒美だよ。
「ああ、きれいだな」
雪の降らない街に舞い降りた白。
忘れたくないこの光景。
「ほら」
ベンチの雪を掃い、私を座らせてくれた。
そしてコートを脱いで、肩にかけてくれる。
「……お兄ちゃんは寒くないの」
「寒いに決まってんだろ」
残った不器用さがいつまでも消えないように、私はコートの前を閉じた。
「だね、寒いね」
「寒いな」
「でもこういうのも楽しくないかな?」
「寒すぎて楽しくない」
「もーお兄ちゃんってすぐそういうこと言う」
「素直なんだ」
「協調性がないんだよ」
「一応友だちは多い方だけど」
「……嘘」
「おい、まて」
「ごめんごめん。
お兄ちゃんはモテるもんね?」
中身がなくて意味のない、そんな会話。
私たちはこれが、一番好きだった。
「そうだお返ししないと」
ベンチの背もたれに積もった雪。
私はかき集めて、きゅっきゅっと握った。
大きさの違うふたつの雪玉。
アンバランスだけど、積み重ねると不思議と調和する。
私たちみたいだね。
「ごちそうさまだよ。
はい、メリークリスマス」
飾りも何もないただの冷たい塊。
明日の朝には溶けてなくなる。
いまの私にはぴったりだね。
「ありがとう」
茶化すでもなく、本当に嬉しそうに雪だるまを受け取ってくれた。
壊れないようにそっと自分の隣に置いてくれると、ベンチの上に並んだ三人。
クリスマスイブ。
奇跡が舞う夜に本当に叶っちゃったな。
裏庭に立つ屋外時計を見た。
今日が残り十五分を切ろうとしてる。
もう少し一緒にいたかったな。
わがままだと思いながら私は立ち上がった。
コートを脱ぎ、幸佑に渡す。
「もういくね。
たくさん話してくれてありがとう」
これ以上いると離れられなくなるから。
きっと君に迷惑をかけちゃうから。
だから、私はいくね。
「もう少しだけでも無理か?」
立ち去ろうとする背中にかけられた声。
振り返ることはできなかった。
顔を見てしまうと、私の弱い決意なんてすぐ消えちゃうから。
「ごめんねお兄ちゃん。
また話せるといいね」
嘘。
そんなことできない。
知っているのに。
「……せめてこっちを向いてくれ」
そんなこと言わないで。
「わがままで悪いと思う」
違う、悪いのは私なの。
幸佑は何も悪くないんだよ。
消えるはずの、忘れられるはずの私が、わがままでこうしてここにいる。
お願い、これ以上引き止めないで。
「さよなら、それすら言わせてくれないのか?」
私は歩くことができなくなった。
裏口のドアまであと数歩。
たったそれだけ進む勇気があれば。
でも私はそんなに強くなくて、卑怯で、ずるくて。
もう会えないことが何より怖くて、背中を向けて立ち尽くしていた。
「なあ、紫。
こっちを向いてほしい」
幸佑の言葉。
全てを知って、それでも私といてくれた男の子。
そう、だよね。
隠し事なんて出来るわけがないよね。
一陣の風が吹く。
粉雪が舞い上がり、ふたりの間をさえぎった。
次いで吹いた風に雪が流される。
夜の裏庭。
息も凍る寒い中。
私は、紫は、そこに立っていた。
「なんで気づくの」
彼の前では泣きたくない。
なけなしの私の決意。
震える声で背中越しに聞いた。
「なんで気が付かないと思った?
俺とお前だぞ」
後ろから近づいてくる足音。
ゆっくりと雪を踏みしめていた。
その音が私の後ろで、止まる。
振り返りたい。
でも……。
こんな時でも私は幸佑に甘えてしまう私。
肩を掴まれ振り向かされた。
笑ってた。
本当に幸せそうに、笑ってくれていた。
「こうすけぇ」
声にならない声をあげて、私はその胸に頭を預けた。
包み込んでくれる冷たい両手。
私には何より暖かい。
「会えて良かった」
かけてくれる言葉はどこまでも真っ直ぐで。
「最後に何も言わず、何も言わせず。
そんなの許すわけないだろ」
「うん、ごめんね、怖かったの」
この人の前ではどれだけでも、弱く、素直になれる。
本当の私になれる。
「お返しもまだだしな」
渡された小さな白い箱。
私にだってわかる、これは。
「可愛い」
リングケースの中で銀光を放つ二つの指輪。
飾り気がなくてシンプルで、私たちにそっくりだった。
ふたりの行先を誓いあう物。
その中の小さい方を幸佑が取る。
「手を出して」
促されて私は右手を差し出した。
でもその手に指輪がはめられることはなかった。
「こっちでも、いいか?」
左手をとられた。
永久を誓う約束の指。
この気持ちを表す言葉なんて知らない。
だから私は何も言えず、何度も、何度も、何度も頷いたんだ。
左手薬指に冷たい輪っか。
「……ありがとう」
それだけしか言えなかった。
思いつかなかった。
そんな私に彼はいつものようにちょっと意地悪な表情を浮かべて。
「メリークリスマス……だったよな?」
一年に一度の挨拶。
奇跡を祝う言葉。
「ねえ、幸佑」
見上げる私。
見下ろしてくれる彼。
もう一度胸に頭を預けた。
「私、幸せだよ。
幸佑に出会えて、好きになってもらえて。
好きになれて」
「ばか」
いつものように私を撫ぜてくれる大きな手。
「俺のほうがお前を愛してる」
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2025年12月24日 23:50 【幸佑と紫】
病院の裏庭のベンチ。
雪を払って並んで座る。
誰もいない、ふたりだけの世界。
それぞれの手には真新しい指輪。
降り積もる雪が冷たくて、でも隣にいる愛しい人が暖かくて。
「いつ私ってバレてたの?」
隠せてるはずだったのに。
紫は少し不服そうに幸佑の肩にもたれ掛かっている。
「だいぶ最初から」
「え、これでも頑張ってたんだけど」
「苦手なあんこたくさん食べたりしてな」
「うっ」
たしかに自分を隠すために頑張って食べた。
最後はギブアップして幸佑に押し付けてしまってが。
「そんなのでバレるなんて」
「いや、そうでなくて」
照れながら、それでもいつものようにまっすぐと幸佑は伝える。
「可愛いなって思ったから」
「ちっちゃい私を?」
その言葉に少しだけむずかしい顔をして考えたが、諦めて続けた。
「俺が可愛いって思うのは紫だけだから。
そう思ったならどんな姿をしていようが、それはお前なんだ」
紫には愛されているという自覚と自惚れがあった。
それでもこれほど真剣にだと感じたのは、初めてだ。
「……幸佑はバカだよ」
「残念だな知ってる」
「ほんとバカだもん」
時計の針が十二時を指そうとしていた。
今日が終わり、明日が始まる。
ふたりにとって分かれ道となる。
時計の長針がまたひとつ、かちりと動く。
最後の時を迎えていた。
一緒にいることが当たり前だった。
これからも、ずっとずっと、終わりなんてなくて、生きていける。
無邪気にそう信じていた。
「幸佑」
噛み締めるように紡がれた名前。
口にするだけで、呼ぶだけで、心があたたかくなる名前。
「……ありがとう。一緒にいてくれて。
私ほんとに」
感謝と後悔が交差する懺悔。
同じ時を歩めぬ謝罪。
「私がいなくなったら、忘れてほしい」
死んでなお自分が彼の負担になんてなりたくない。
これから続く愛しい人の人生が幸せで溢れますよう、心からそう願うんだ。
その時隣にいるのが自分ではないとしても。
「忘れるわけない」
少年の声。
聞き逃しそうなほど小さい。
「これからどんな人生を歩いて、どんなことがあっても」
初めて見た少年の涙。
強がってどんな時も弱さは見せてこなかった少年。
「俺の人生の中で紫は」
最後の言葉は少女のキスによって遮られた。
この先を口にすると、彼の人生に影を落とす。
だからお願い、これ以上は秘密にしていて。
紫がおどけるように立ち上がると、満月の木漏れ日の中で手を広げた。
「ぎゅってしてほしいな!」
死ぬなら好きな人の腕の中で。
このくらいのわがままなら、きっと神様も許してくれる。
幸佑は何も言わずに立ち上がり、紫を強く抱きしめた。
今日まで彼女を何度抱きしめて来ただろう。
数えきれないどの抱擁よりも、強く引き寄せる。
「もー痛いって」
少女の泣き声。
自分が泣いたら彼の重荷になる。
そう決心してずっと我慢していた。
でもだめだった。
一度流れた涙はとめることができず、とめる勇気もなく。
溢れ続ける。
好きな人、幸佑といることで生まれた恐怖。
嫌だ、誰か助けて。
そう心が叫びだした。
「死にたくないよ。
ずっと傍にいたいよ」
痛いほどの愛情。
少女の本音。
「なんで私が……どうして」
叫びに似た涙。
「一緒に生きたい、それだけなのに」
繰り返される少女の恨み、小さな願い。
特別なことなんて何もない。
望んだほとんどの人が叶えられる、そんなこと。
幸佑は何も答えることが出来ず、何もしてあげる事が出来ず。
ただ、ただ、その腕に力を込めた。
こんな小さな願いさえ叶えてあげられない、無力さに打ちひしがれる。
だからせめて、この泣き声が止むまでこうしていてあげたかった。
――遠くで鐘の音が鳴る。
クリスマスイブからクリスマスに変わる鐘の音。
奇跡の夜が終わる音。
少女から重さが消えた。
腕をすり抜けた紫は薄らぎ、雪にとけかけていた。
涙を払い、健気に笑う。
「最後くらいかっこいい彼女になろうとしたんだけどな」
「泣き虫なお前にできるわけないだろ」
小さくふたりで笑う。
「ひとつだけお願いがあるんだけど」
消える少女の願い。
「やっぱり忘れないで。
クリスマスの夜だけでいい」
泣き虫が再び小さく震える。
それでもなお、笑顔で。
「あんなやついたなって、思い出してほしいな」
それだけで私は満足だから。
小さな願いに少年が頷く。
「約束する。
忘れられるかお前みたいなやつ」
それぞれの強がり、最後のつながり。
消える糸をお互いに必死に手繰り寄せる。
どこまでも繋がっていたくて。
それでも長い糸はふたりの真ん中で、ぷつりと切れていた。
「最後まで意地悪なんだもん」
少女の声は雪音に紛れ、すでに幸佑には届かなくなった。
終わりを悟った紫が、幸せそうに大きく口を動かして何かを伝え、大きな涙と共に消えた。
彼女がいた痕跡は何もなく、幻のようであった。
でも違う、紫は確かにここにいた。
大好きな人に最後に甘えたい、そんなわがままの為に。
自分勝手で誰よりも純粋な少女。
その最後の言葉に幸佑が返事をした。
「またな、紫」
世界に一人残された少年。
雪が降っていた。
街を、そこにいたふたりを、白く、白く、染めていた。
一つの指輪と不格好な雪だるまが、雪の上に残されていた。
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2027年3月20日 【幸佑】
窓から差し込む光が暖かい日。
高校を卒業した俺は教科書を縛り上げて放り捨てた。
大学が始まるまでのしばらくの間は難しい本なんて見たくもない。
自分にしては頑張ったと言えるくらい良いところに進学できたのだから、文句は言われないだろう。
ひとりで机に向かうことにいつまでも慣れず、悪戦苦闘をしたが良い経験になった。
「まったく。あいつがいればもう少し楽だったのに」
いつまでもぎこちない一人の日々。
たいくつで物足りない。
けれど他の人で埋めようとは思えない。
誰かで紛らわすくらいなら、なくていい。
自分のことながら面倒くさい性格だと思う。
それでも嫌いではない。
紫が好きになってくれた自分なのだから。
約束の時間まで少し手持無沙汰になったな。
以前ならぎりぎりを攻めすぎて遅いと怒られていた。
少しは成長してるようだ俺も。
机の上に飾られた小さな指輪。
毎日拭いているので今もあの夜の輝きを保っている。
ずいぶんくすんでしまった俺の左手の指輪と見比べてしまう。
待たされるのにも慣れてしまったな。
そうひとりぼやいてしまう。
その時――小さな軋む音がした。
「え、えへへへ」
振り返ると少女が定まらない表情で、そこにいた。
「い、一年ぶりだね」
車いすを不器用に操る少女。
「けっきょく歩けなくなりまして」
申し訳なさそうに、それでも再会の喜びを隠せていない。
あの夜から随分経った、今日みたいに暖かな日。
紫は目を覚ました。
毎日病室に通っていた俺の目の前で、お昼寝から目覚めるように。
まだハッキリとしていない意識のなか手を伸ばしてきてくれた。
掴んだ手は細くやつれていたけど、どうしようもない温もりが溢れていた。
『生きたいと、そう思えることがあったのかもしれません』
慌てて呼んだ医師はそう言っていた。
出来すぎた都合の良い奇跡かもしれない。
ただ俺は、微笑みかけてくれるだけで、それだけで。
しばらくして紫は遠方の病院へ移り、今日ようやく戻ってきた。
血のにじむリハビリの結果、日常生活を送ることができるようになったらしい。
「約束より10分遅れてるぞ」
言葉と同時に手元のものを放り投げた。
あわてた紫がなんとかキャッチをする。
「わ!わあ!
こんな大事なもの投げないでほしいな」
小さな指輪を大切そうに左手にはめた。
うん、似合っているな。
俺は車椅子の手押しハンドルを掴み、慎重に力を入れた。
「天気もいいし散歩でもいこうか」
いつものように下から見上げてくる紫。
その瞳は最後に会った時よりも少しだけ大人びていた。
「押してくれるの?」
「ああ、ずーとな」
「そっか、ずーとか」
回りだす車輪。
再び動き出す紫との時間。
「ねえ幸佑」
「どうした?」
「……大好きだよ」
泣き虫の声がした。
だから俺はいつものように、こう返すんだ。
だってこの再会は特別なものじゃなくて、止まっていた日常が動き出しただけだから。
そうだよな、紫。
「俺のほうが好きだ」
一緒に歩くふたりに訪れた、小さなせっかち。
短い冬が終わり、永い春がいま始まった。
【了】
雪だるま(泣ける系恋愛) 岡山みこと @okayamamikoto
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