第2話 私はショタコンではない
あれから二年が経過した。
魔族の少年は、今では私の半分くらいの身長になった。少年からすれば長い時間だろうが、私からすれば数分みたいなものだ。エルフの時間感覚、ほんと便利……な時もある。
この二年で何が変わったか。大きく三つある。
一つ目。私が魔王討伐に貢献した事柄や、関与した出来事が"なかったこと"にされた。二つ目。世界の魔法教会が私を危険人物と認定した。三つ目。少年を連れて、今――故郷の里へ帰っている。
要するに、英雄のはずが消されて、危険人物にされて、帰省中。うん、人生って理不尽だね。
「先生、まだ寝てるんですか? もうお昼ですよ!」
「むにゃむにゃ……」
無理やり体を起こされ、私は魔族の少年に身の回りのことをさせていた。少年には、私が魔王討伐の旅で培ってきた経験を――不出来ながらも説明して、やらせた。
ようやく目を開けると、目の前には少年の心配そうな顔。大きな瞳が私を覗き込んでいる。銀色の髪が朝日に照らされて、きらきらと輝いていた。
まぁ物分かりがいい。私の身の回りのことはある程度やってくれている。もちろん私のことは「先生」と呼ばせている。そっちのほうが気持ちがいいからね。そこは譲れない。
「先生、朝ごはん作りましたよ。冷めないうちに食べてください」
「おぉ、偉いぞ少年」
私が頭を撫でると、少年は少し照れくさそうに頬を染めた。可愛い奴め。こういうところは二年前から変わらない。
さて、里まであと一ヶ月は掛かりそうだ。この二年間、私はもちろんユリウスたちとは会ってない。正直、今の彼らがどうなっていようが興味がない。それにお金ならたんまり貰った。魔王討伐の過程で地道に稼いでいたんだよ。私こう見えて、ちゃんと後先を考えるタイプのエルフだからね。
「先生、次の馬車を捕まえるにも、お金ないですよ」
「え?」
少年は呆れたように呟いた。その表情がまた可愛らしい。眉をハの字にして、ちょっと困ったような顔。
里へ向かうため、人が動かす馬車を捕まえて乗り継いできたが――限界が来たか。仕方ない。ここはもう。
「少年、それは違うさ。ここから歩いて、気づきを得ようじゃないか」
「何言ってるんですか? 先生、そもそも気づきを得る前に、ほぼ馬車の中で寝てたじゃないですか! 酷い時なんて、二週間ずっと寝たっきりの時もありましたからね?!」
少年が頬を膨らませて抗議してくる。うん、やっぱり可愛い。断じてショタコンではないが、客観的事実として可愛い。
「へぇー。そんなことあったんだ」
ふむ。どうしようか。里までの"一ヶ月"は馬車ありきの日数だ。ここから野宿して行くとしたら、三ヶ月はかかる。
……三ヶ月? いや、無理。私が無理。何より寝床がない。野宿なんて柔らかいベッドに慣れた体には拷問だ。
「少年。仕方ない。ここからは金策とやらをしようじゃないか」
「先生、何考えてるんですか?」
「人助けだよ。ちょっとした人助け」
私はにっこりと笑った。少年は不安そうな顔をしている。まぁ、大丈夫だ。たぶん。
※ ※ ※
【ユリウス視点】
魔王が討伐されて、早二年。
この世界で魔族が引き起こす事件は、めっきり減っていた――と思いたかった。が、その逆だ。魔王が討伐されたことで、魔王が統括していた魔族や危険な魔獣が、徐々に問題を引き起こしていた。統制を失った獣たちは、より凶暴に、より無秩序になっていた。
俺――恒星の勇者と呼ばれたユリウスは、その後処理に出向いていた。ダルフとセシルスを連れて魔王城の跡地に着けば、そこはすでに危険な魔族と魔獣の巣窟になっていた。
崩れかけた城壁。血と腐敗の臭い。そして、無数の気配。
俺はすぐさま剣を引き抜く。
それを見た魔獣と魔族が咆哮をあげた。国を挙げての魔獣・魔族討伐だ。正直、あの日リアがパーティから抜けたあと、魔法使い候補が何人か出たが、どれもパッとしない。リアほどの力量を持った魔法使いはそういない――いや、リアに匹敵する魔法使いはいない。
そもそもリアのように、あの量の魔法を使える魔法使いなんているわけがない。いたとしても、魔法教会の長に君臨する大魔法使い「ルナリス」ぐらいだろう。
あの日、リアを追放したのは間違いだったのだろうか。
脳裏に、あの時の光景が蘇る。剣を突きつけた自分。静かに城を出ていくリアの背中。そして――震える魔族の少年。
あの少年は、今どうしているのだろうか。まだ幼かった。恐怖に怯え、リアにしがみついていた小さな姿が――
いや、あれも仕方ないことだ。あの日もしリアを追放していなければ、俺の中の信念を折ることに等しい。魔族は――魔族だけは、許せない。
「ユリウス! 何ボケっとしてる!」
ダルフの声に、俺の意識は今に戻った。何を考えていたんだ俺は……今はやるべきことを成すべきだ。やることは勇者「ユリウス」として戦うことだけだ。
俺は剣を構え直し、迫り来る魔獣の群れへと斬り込んだ。
※ ※ ※
【リア視点】
「先生、これって……」
金策を提案して一日。
少し歩くと、道端に明らかに怪我をして倒れている人がいた。身なりや装備を見る限り、どこかの冒険者のようだ。血に染まった革鎧、折れかけた剣。深い傷からはまだ血が滲んでいる。
エルフの里の近くにはダンジョンがある。金策目的で冒険者がよく行き来する。そして道中で負傷して倒れている冒険者や、道中で息絶えた冒険者がいるのも珍しくない。
つまり、日常。嫌な日常だね。
「その傷、痛そうだね」
「な、なんだお前ら……言っとくが、俺は何も持ってないぞ」
男は警戒するように私たちを睨む。まぁ、当然の反応だ。この世界、善人ばかりじゃないからね。
「私の子供が治癒魔法を持ってるから、回復させてあげるよ」
私が少年の頭をぽんぽんと撫でると、少年は少し恥ずかしそうに俯いた。その仕草がまた可愛い。
男は苦しそうな顔をしていた。だが、それを聞いた瞬間、希望に満ちた目をした。
「ほ、本当か!?」
ふ、かかったな。
私は隣で男を心配している少年に、顎で指示をする。少年は私の顔を見上げて、小さく頷いた。素直でよろしい。そして、少年が魔法を入れる前に、私は話を切り出した。
「その代わり、治療代をもらうよ」
男は少し出し渋るような顔をした。でもその傷は、普通の自然治癒じゃ治らない。高度な治癒魔法が必要なレベルだ。放置すれば、半日も持たないだろう。男は不満そうに頷いた。まぁ生きる方が大事だよね。
「いいよ、少年。治してあげて」
少年はそのまま治癒魔法を男に施した。小さな手を傷口にかざすと、淡い緑色の光が溢れ出す。深い切り傷や裂傷が、みるみる修復される。肉が繋がり、皮膚が再生し、血色が戻っていく。
治癒を終えた少年は、少し疲れたような顔で私を見上げた。私は頭を撫でてやる。「よくやった」と。少年は嬉しそうに微笑んだ。
さすが希少価値のある魔導書を消費しただけあって、治癒魔法の精度はピカイチだ。
男はふらつきながら立ち上がり、軽く舌打ちして、私の手に金貨を一枚置いた。
「……おい、そこの坊主。お前、魔族だろ?」
「――ッ!」
男が何かを見透かしたように言う。少年はびくついて震えた。私の服の裾をぎゅっと握りしめている。その小さな手が震えているのがわかる。
正直、二年前のあの日この子がどこで生まれて、どこから拾われて、どうやって奴隷市場に出されたのか――その事情は私は知らない。いや、知る興味がない。でも少年にとっては、奥に眠る何かを刺激されたのだろう。体を小さく震わせている。
人ってなんでこうも勘のいい奴がいるのだろうか。ユリウスとかもそうだったな。逆にダルフは鈍感すぎたが。
「ぼ、僕は……」
少年が不安そうに私を見上げる。その瞳には涙が浮かんでいた。私は少年の頭を撫でて、安心させるように微笑んだ。
「この子は私の養子だから。気にしないでくれ。それより、ここ付近に冒険者ギルドとかってある?」
「あぁ……それなら北の方に素朴な村がある。そこで一応、冒険者登録とギルド登録もできるぞ。……それより、アンタどこかで――」
あ、しまった。
男が顎をさすりながら私の顔を覗き込む。これはまずい。
私は魔法教会から危険人物として名と顔を挙げられている。別にそれは構わないが、これが原因で国に捕まったり、殺し屋やら何やらに狙われたりすると聞いたことがある。
面倒事はできるだけ避けたいなー。馬車の乗り継ぎの時も「名前と顔は他人の空似」で突き通してたけど、冒険者ギルドで通るか? いや、それよりこの場をどうにかせねば。
「私はしがない魔法使いだよ。うん」
「いや――アンタ、もしや! 勇者パーティから追放されたっていうリアか?!」
バレちゃった☆ ……じゃない。
少年はオドオドしながら、私と男を見ている。私の服の裾を両手でぎゅっと握って、不安そうにしている。仕方ない。バレたなら、それなりのことはしなければならないね。
「そーだよ。私は史上最強の魔法使い『リア』! 誰もが――いや、自他ともに認める最強の魔法使いだよー!」
私は胸を張って宣言した。少年が小さく頭を抱えている。「先生……」と小声で呟く姿がまた可愛い。まぁ、気にしない。
男は震えた顔をした。まるで犯罪者を見るような顔だ。おいおい、そんな顔をされると私の自己紹介の覇気が薄れるじゃないか。
男はその場から颯爽と去っていった。希少価値レアモンスター級の足の速さだ。生きる力だけはある。
「逃げられましたね。いいんですか? 先生」
「いいよ、別に。どこから私を襲おうが、私に敵う相手なんて存在しない。それより、ギルド登録しに行こうか」
私は少年の手を取った。小さくて柔らかい手。守ってやらなければ、と改めて思う。決してショタコンではないが。
私は道中で拾った馬車を捕まえて、北の方にあると言われた冒険者ギルドへ向かった。
※ ※ ※
冒険者ギルドの扉を開けると、荒くれ者たちの笑い声と酒の臭いが押し寄せてくる。何度来てもこの場には慣れないな。鼻が先に拒否する。
木造の建物は年季が入っていて、床は無数の足跡で黒ずんでいる。壁には討伐クエストの張り紙が乱雑に貼られ、テーブルには酒瓶が転がっている。
少年は私の後ろに隠れるようにしている。こういう場所は初めてなのだろう。私は少年の肩に手を置いて、安心させるように軽く叩いた。
そう思いながら、私はカウンターにいる受付嬢に声をかけた。
「どうしましたか? 見ない顔ですね……いや、もしかしてあなた!」
受付嬢は私の顔を見て、私の名前を口にしかけた。その声に、周囲の冒険者たちも一斉にこちらへ視線を向ける。ざわめきが広がり、誰かが小声で何かを囁いている。
少年がびくっと体を震わせた。私は少年の頭を撫でて、大丈夫だと伝える。
しかし私は表情を崩さず、口を挟んだ。
「リア――ではないよ。よく似てると言われる。私は……リアビス。他人の空似だよ」
「そ、そうですか……で、では貴方は何を?」
受付嬢の顔が若干引きつっているが、関係ない。私は冒険者登録の旨を伝えた。
受付嬢は私と少年の前に、登録用の紙を一枚差し出す。名前欄、武器種、魔法などを書く欄がある。
私は迷わず、咄嗟に作った「リアビス」という名前を書いた。
……だが、困ったな。
私は少年のほうへ視線を向ける。少年は少し困惑している。やはり名前を持ってないか。この二年間、私は彼のことを「少年」あるいは「魔族の少年」と呼んでいた。名前なんて知らない。というか、聞いたこともなかった。
そこで私は、少年の代わりに名前欄へ書き込んだ。
「これでお願いするよ」
「はい! えーっと……リアビスさんと、アメルさんですね!」
少年――いや、アメルは驚いた顔をした。大きな瞳がさらに大きく見開かれ、口が小さく開いている。その驚きが「名前が付いたこと」へのものなのか、「私のネーミングセンス」へのものなのか――私には分からない。
「どうした? アメル。君はアメルだろ? 違うか?」
「い、いえ、先生――ありがとうございます!」
アメルは今にも泣きそうな顔をしている。せっかくの可愛い顔が台無しだな。泣くのは後で。今は前を向け。
私はアメルの頭をくしゃくしゃと撫でた。アメルは嬉しそうに目を細めている。
私はそのまま手続きを進めた。やがて私たちは冒険者ランクを決める、いわば試験を受けることになった。
大きな国なら実技試験がしっかりしているだろうが、こういう辺鄙な村のギルドは少し面倒な方式だ。面倒というか、雑というか。まぁ、田舎の味だね。嫌いじゃないけど。
「それでは冒険者登録手続きとして、このクエストを受けてください。ローラット・トカゲ五匹の狩猟をお願いします! その際、試験官兼受付嬢でもある私が同伴しますので、よろしくお願いします!」
受付嬢は元気よく説明してくれた。なるほど、同行して実力を見極めるタイプか。
「そうかい。分かった。じゃあお願いするね」
私とアメルは、ローラット・トカゲが出没する森へ向かった。村から近場で、徒歩二十分ほどで辿り着く。
森の中は奇妙に落ち着いた雰囲気だ。木々の隙間から差し込む陽光が、地面に複雑な影を作っている。だがどこかで、何かに狙われている感覚がある。
それは獲物を捉えた相手の視線にほかならない。
アメルは少し緊張した面持ちで周囲を警戒している。私の服の裾を軽く握っているのが微笑ましい。
「大丈夫だ、アメル。先生がついてる」
「はい! 先生!」
アメルが元気よく返事をした。その表情には、私への信頼が溢れている。
――ドサッ。
音とともに、数匹のローラット・トカゲが姿を現した。体長は人の腰ほど。鱗は緑褐色で、鋭い爪と牙を持っている。群れで狩りをする習性があり、油断すれば新米冒険者でも命を落とす。
この試験の厄介なところは、おそらく非戦闘員である受付嬢を護衛する形式でもあることだ。数十年前、遊びで冒険者をやっていた頃の記憶がよぎる。その時も、こういう試験だった気がするな。
曖昧な記憶を読み解きながら、私は虚空から魔法の杖を取り出した。評価基準は多分――武器種、または魔法に応じた働きがどれくらいできるか。
たとえばアメルなら、味方を治癒できる魔法がどれほどのものか。それと状況判断。……要は、先生としての私の見せ場でもある。
「行くよ、アメル」
「はい! 先生!」
アメルが私の後ろに立つ。小さな体が少し震えているが、目には決意が宿っている。
見せてやろうじゃないか。私が最強たるゆえんを。
トカゲたちが一斉に飛びかかってくる。だが私は動じない。杖を軽く振るだけで、魔力が空間に満ちていく。
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