第3話
境内の奥から、白い光が漏れている。
……廃神社に、俺以外の誰かがいるのか。
誰ともすれ違っていない。
人の気配も、足音も、なかった。
……白い光。
噂話が、耳の奥で、何度も反芻される。
白い光。
卵。
……会える。
無意識に、生唾を飲み込んだ。
身体を、光の方へ向ける。
ゆっくりと、一歩ずつ歩き出す。
まっすぐ歩いているつもりなのに、足元が、ぐにゃりと歪むような感覚があった。
手足が、わずかに震えている。
「……っ」
舌打ちして、自分の頬を軽く叩いた。
乾いた音が、境内に響く。
目を閉じ、深呼吸する。
今、自分がどこに立っているのか、意識を戻す。
……立ち位置は、さっきと、ほとんど変わっていない。
次第に、手足の震えが、治まっていく。
目を開ける。
白い光は、まだ、そこにあった。
逃げる理由も、戻る理由も、見つからないまま、俺は、もう一度、歩き出した。
……ジャリ……
……ジャリ……
境内の砂利が、靴の裏で音を立てる。
光の場所に辿り着いて、ようやく分かった。
思ったほど、眩しくはない。
むしろ、どこか、暖かい。
呼吸しているみたいに、
ゆっくり、脈打つ光。
その中心に――
卵が、あった。
白くて、柔らかな毛に覆われた、卵。
ぷぅの毛。
俺が、袋に入れて置いたはずの、その上に、卵は、静かに乗っていた。
……触るな…
確か、そう書いてあった。
俺は、その場にしゃがみ込み、卵を、ただ見つめる。
時間の感覚が、曖昧になる。
そのときだった。
……パキッ…
小さな音。
卵に、ひびが入った。
……パリッ…
ひびは、一本、また一本と増えていく。
……バリッ…
……パリン…
殻が割れ、中から、現れたものを見て、言葉を失った。
小さな、うさぎ。
白と茶色。
耳の垂れた、ホーランドロップ。
……ぷぅ…
思わず、名前が零れた。
うさぎは、俺を見ると、
嬉しそうに、いつもの仕草で近づいてくる。
短い前足で、俺の足に、しがみついた。
……ぷう……ぷう……
喉を鳴らす音まで、同じだった。
気がついたときには――
俺は、もう、撫でていた。
昔と、同じように。
その瞬間。
……ピシッ…
どこかで、何かが、割れる音がした。
撫でる手を、止める。
境内が、異様なほど静かだった。
風がない。
虫の声も、木々のざわめきも、消えている。
耳が、詰まったみたいに、音が遠い。
顔を上げる。
……空が、低い。
さっきまで、確かに見えていた…満月がない…
雲に隠れたんじゃない、星も見当たらない。
夜空そのものが、薄く、平ら…いや楕円の様になっている。
まるで、卵の殻だ。
背中を、冷たい汗が流れた。
「……帰るか…」
声が、思ったよりも近くで響いた。
立ち上がろうとして――
足に、力が入らない。
ぷぅが、しがみついている。
……重い…
さっきより、はっきりと。
「……ぷぅ?」
声をかける。
うさぎが、顔を上げる。
目が合った。
確かに、ぷぅの目なのに…その奥に…底がない。
後ずさろうとした。
……ジャリ…
足元の音が、違った。
砂利じゃない。
柔らかい。
地面を見る。
そこには、もう、砂利はなかった。
土でも、石でもない。
踏み込むと、沈む。
生き物みたいに、脈打つ感触。
「……なんだ、これ」
声が、震える。
……キュッ…
何かが、締まる音。
足首に、冷たい感触が絡みついた。
影のようなものが、地面から伸びて、俺の足を掴んでいる。
……嘘だろ。
引き抜こうとしても、抜けない。
ぷぅは、俺を見上げている。
安心しきった顔で。
懐かしい顔で。
――待ってた。
そう、言われた気がした。
……触るな…離せ…
頭の中で、俺が叫ぶ。
遅い。
もう、とっくに。
後ずさる。
一歩。
もう一歩。
……ズルッ…
足が、闇に沈む。
境内が。
神社が。
夜空が。
少しずつ、歪んでいく。
まるで、最初から「外」なんて、存在しなかったみたいに。
「……やめ…」
声は、喉で潰れた。
ぷぅが、足元から離れた。
……よかった。
一瞬、そう思った。
次の瞬間。
ぷぅは、俺の腕にしがみついたまま、離れなかった。
その温もりが、あまりにも、懐かしくて。
俺は、もう、
振りほどけなかった。
…ため息と共に腕に引っ付いている…ぷぅを撫でながら…
「…何処にも行かないよ」
背後で、境内の奥の白い光が、ゆっくりと、閉じていく。
……扉が、閉まるみたいに…
最後に見えたのは、車を停めたはずの場所。
そこには、何も、なかった。
――カチリ―
何かが、はまる音がした。
その瞬間、夜は、完全に終わった。
触れてはいけない卵 秋刀魚 @ritsu_void
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます