第2話



 講義が終わり、次の授業まで少し時間が空いた。

 特別、目的があったわけじゃない。

 ただ、家に帰るには早すぎて、外に出るほどの気力もなくて、足が勝手に大学の図書館へ向かった。

 

 入口で学生証をかざす。

 機械音が鳴って、静かな空間に入る。

 冷房の匂い。

 紙と埃が混ざった、少しだけ古い空気。

 人の少ない奥の方へ歩き、隅の席に腰を下ろす。

 周囲を見渡すと、数人の学生がいるだけだった。

 誰もこちらを気にしていない。

 棚から適当に一冊、内容も見ずに本を抜き取って机に置く。 

 開いたままにして、携帯を取り出した。

 さっき、後ろの席で聞いた話。

 断片的で、曖昧で、冗談みたいな話。

 

 ――廃神社

 ――卵

 ――会える

 

 検索欄に、思いつくまま打ち込む。

 すぐに、いくつかのページが表示された。

 掲示板。

 まとめサイト。

 個人ブログのようなもの。

 どれも書き方は違うのに、内容は妙に似通っていた。

 

 ・行う時刻が決まっている

 ・満月の夜であること

 ・卵が現れても、決して触れてはいけない

 ・触れた場合、元の場所へ戻れない

 

 俺はノートを取り出し、要点だけを拾って書き留めていく。

 

 戻れない。

 その一文を書いたところで、ペンが止まった。

 

 ……おかしい……

 

 戻れなくなるなら、どうして、その話がこうして残っている。

 誰が、書いた。

 誰が、戻ってきた。

 嘘だ。

 そう結論づけるのは簡単だった。

 それでも、ページを閉じる気にはならなかった。

 

 携帯を見ていると、次の講義が始まる時刻が迫っていることに気づく。

 本を元に戻し、図書館を出た。

 廊下を歩きながら、ふと空のことを思い出す。

 

 ……今夜の月、どうだったっけ……

 

 調べる。

 表示された文字を見て、思わず鼻で息を吐いた。

 

 ……満月……

 

 ……馬鹿馬鹿しい。

 そう思った。

 けれど同時に、

 

「ああ、今日は満月なんだな」

 

 と、妙に落ち着いた自分もいた。

 すべての講義が終わり、家に戻る。

 夕方の道路。

 信号待ちの間、さっき書いたノートの内容が頭をよぎる。

 意味なんて、ない。

 卵なんて、出てくるはずがない。

 そう考えながら、それでも必要そうなものを揃えていく自分がいた。

 準備した物を、車の後部座席に積み込む。

 

 夕食を済ませ、風呂に入り、部屋へ戻る。

 視線が、自然とケージへ向かった。

 そこに、ぷぅはいない。

 分かっている。

 

 そんな事は、分かっているのに、一瞬だけ、そこにいる気がした。

 

 胸の奥が、じくりと痛む。

 ……仮に卵が出てきても、触らなければいい。

 それだけだ。

 時間を確認する。

 指定された時刻までは、まだ余裕があった。

 玄関の鍵を閉め、車に乗り込む。

 エンジンをかけ、廃神社へ向かう。

 

 廃神社に着いたとき、風の音に混じって――

 

 ……ぷぅ……

 

 そんな音が、確かに聞こえた気がした。

 振り返る。

 当然、誰もいない。

 気のせいだ。

 

 そう言い聞かせて、境内へ入る。

 賽銭を入れ、二礼、二拍手、一礼。

 会えたら、嬉しいかな。

 そんなことを考えた自分に、少しだけ苦笑した。

 顔を上げると、雲ひとつない夜空に、満月が浮かんでいる。

 夜風が、頬を撫でた。

 

 指定の時刻。

 ネットに書かれていた通りの行動を、一つずつ終わらせる。

 最後に、ケージに残っていた、ぷぅの抜け毛を取り出した。

 袋に入れ、指定された場所へ置いた。

 飛ばないよう、上に小さな石を乗せる。 

 これで、終わりだ。

 そう思い、念のため携帯で確認する。

 顔を上げた、そのときだった。

 

 ……ない……

 

 さっきまで、そこにあったはずの抜け毛が、消えている。

 袋に入れていた。

 飛ぶかもしれないから袋の上に石も乗せた。

 風で飛ぶはずがない。

 周囲を見渡す。

 

 その時、境内の奥、影が重なった場所から――

 白い光が、まるで呼吸するみたいに、静かに漏れているのが見えた。


 

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