触れてはいけない卵
秋刀魚
第1話
少し前まで、ペットを飼っていた。
白と茶色のうさぎだ。
耳の垂れたホーランドロップ。
特別、珍しい種類でもない。
ショップで見かけたときも、
「…可愛いな」
それくらいの気持ちだった。
両親の許可を貰い、貯めていた貯金で迎えて家に連れて帰る。
でも、家に連れて帰って暫くしてからは違った。
学校から帰ると、いつも、玄関の気配を察している気がした。
玄関に入り、靴を脱ぐ。
自室のドアを開けた。
……トトトッ……
床を叩く軽い音。
次の瞬間、短い前足が、
必死に足元へしがみついてきた。
……ぷう…ぷう……
喉の奥を鳴らすみたいな、不思議な音。
撫でると、目を少しだけ閉じて、じっとしている。
ああ、ぷぅは、
「待ってた」
って顔をしてるんだな、そう思った。
部屋の掃除をしながら、見るとぷぅはうさぎ用のタイルカーペットの上で横になっている。
夜も、さみしいのか、ベッドに飛び乗ってくることがあった。
布団の端。
俺の動きに合わせて、少しずつ距離を詰めてくる。
気がつくと、手の届くところにいる。
頭を撫でて欲しいのか、頭を手の下に押し込んでくる。
撫でると、目を細めて、気持ちよさそうに力を抜いた。
何も言わない。
ただ、そこにいる。
それだけで、
部屋の中が、ちゃんと“生きている”気がした。
そんな生活が5年は続いた。
ずっと続けば良いと思っていた。
でも――
大学に通い始めて、そう時間が経たないうちに、
可愛いうさぎは天国に行ってしまった。
理由は、よくある話だ。
突然、消化器系の病気になってしまった。
病院に連れていっても、
「食欲はありませんか、お腹は張ってないですか」
と色々聞かれ懸命に治療しようとしてくれたが残念ながら完治する事はなかった……
納得できないほど長く一緒にいたわけじゃない。
それなのに、部屋に残った静けさが、やけに広く感じた。
ぷぅがいた部屋だけが虚しく其処に残っている。
夜、無意識に足元を見る癖が、しばらく抜けなかった。
それから、少し時間が経った。
大学の講義を受けるため、
いつも通り車で通学し、
いつも通りの教室に入り、
いつも通りの席に座る。
後ろの方から、学生たちの話し声が聞こえてくる。
今日の講義が終わったら何をするか。
課題が面倒だとか、
誰それがどうとか。
どれも、頭に残らない話ばかりだった。
俺は携帯を見ながら、
講義が始まるまでの時間を潰していた。
そのときだった。
「……あの話、知ってる?」
背後から、声が聞こえてくる。
「なに?」
「ほら……廃神社のとこで……」
言葉が、妙に途切れ途切れになる。
「……“したら”、………なるってやつ」
笑い混じりの声。
でも、少しだけ、調子が違う。
「なにそれ。怖」
「でさ……そのあと、卵が落ちてるんだって」
「卵?」
「そう。白くて……少し、あったかいらしい」
なぜか、その部分だけ、やけに具体的だった。
「それが――」
一拍、間が空く。
「羽化したら、会えるって話」
「……絶対、嘘でしょ」
「まあ、たぶんね。でも、調べたら出てくるって」
そこで、会話は途切れた。教授が教室に入ってきて、
講義が始まったからだ。
ノートを開く音。
椅子が軋む音。
いつもと変わらない風景。
なのに。
俺の頭の中には、
さっきの会話の続きを考える余白が、
不自然なくらい残っていた。
卵。
羽化。
会える。
理屈じゃない。
ただ、その言葉だけが、
胸の奥に、ゆっくり沈んでいく。
……会える…
もし、あのとき。
もし、あの夜。
もし、あの部屋で。
そんな考えが、
自分でも驚くほど、自然に浮かんでしまった。
講義が終わるまで、
その言葉は、
一度も、頭から離れなかった。
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