Ⅲ.海〈シーア〉

蒼い蒼い空がどこまでも続く。

その下に広がる広大な海は幾分か濁りを持ちながらも、太陽のまばゆい光を反射させている。


その眩しさにリズは少しだけ瞳を細める。

風が海の匂いを漂わせ、ツンとした潮の香りがリズの鼻先をくすぐる。


砂浜にしゃがみ込んだリズはじっと打ち寄せる波を見つめた。


一度瞬きをしたリズはゆっくりと手を伸ばし、波へ触れようとする。

その時――。


「海(ぼく)に触れてはいけないよ、リズ。君の生命まで穢れてしまう」


低めの声がリズの手を止める。

立ち上がり、彼女は黒ずんだ水の上に姿を現した海・シーアを見た。

青緑色の長い髪を揺らしながら、シーアはリズのいる波打ち際まで近づいてくる。


海・シーア。

アースと対を成す、もうひとつの存在だ。


彼は……以前、生命の妖精ゼールに助けられたことがある。

その頃のリズはまだ生まれて間もない頃だったから、ゼールがシーアを守ると言ったことの意味がよくわからなかった。

なぜ、ゼールがいなくなったのかも。

生命の妖精の理を知ったのはその後の事だった。

それでもリズはシーアの事は大好きだった。

だからこそ、人間を許すことができなかった。

地球を、海を追い詰め、仲間を、ゼールを消してしまった人間たちを。


ゼールの生命によって救われたシーアだが、今再び、生命の危機にさらされている。

今日も懸命に生きるシーア。

ゼールの想いを無駄にしないために。


シーアは己より身長の低いリズをのぞきこみ、困ったように笑んだ。


「そんな顔しないで、僕は大丈夫だよ」


つられてリズもわずかに頬が緩む。

澄んだ海色の瞳が優しく彼女を映す。


「アースを助けてくれてありがとう」


にこやかな笑顔。

しかし次の瞬間にはそれが少し翳る。

彼の青白い手が、リズの右手首を指差す。

それはあの夜以来、僅かに濁りを宿したままだった。


「無理をしてはいけないよ……地球の穢れはリズには辛いはずだ」


それまでとは違う厳しい口調で彼は言った。

身をもってその苦しみを知っている彼の言葉には妙に説得力がある。


迫力に押され、リズは頷いた。

事実、彼女の体調はよくなかった。

しかし、意地っ張りのリズはあえてそんなことは言わない。


シーアは、彼女の右手から目を逸らした。

あの石は、もう以前の色ではない。

ほんのわずか――けれど確かに、地球の穢れを帯びている。

それが、どれほどの意味を持つか。

彼は知っていた。

だからこそ、彼は笑った。

笑うしかなかった。

これ以上、生命の妖精を失うわけにはいかない。



「そんな顔しないでって言っただろう。本当に感謝しているよ。アースはよく無理をするからね」


いたずらっぽく笑ってシーアは続ける。


「強情だし、何考えてるのかわからないときもあるけど、あんなのでも兄だからね」


ふと真顔に戻り、何かに気づいたようにまた微笑む。

風に揺れる長い髪の合間から、優しく細められた海色の瞳がリズを見据えた。


「リズ」


涼し気な声が呼ぶ。


「アースが来ているよ」


それだけを言い残し、シーアは青緑の髪をなびかせながら背を向ける。

そのままふっと彼の姿は海に消えた。


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Tears of the Earth 蒼空灯 @sorahi-aoi

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