第5話:影を売った男
初投稿:完璧な虚像
「今日も完璧な朝から始まる。」
SNS総フォロワー200万を超える人気インフルエンサーの綾瀬カイ(28)は、毎朝8時に生配信を行っている。
タイトルは決まって「#完璧な朝」。
元々は、フィットネス系インフルエンサーとして、朝の筋トレ生配信で投稿を始めたカイであったが、スタイルの良さと、時折見せる子犬のような笑顔で一躍有名になった。
「飼ってるワンちゃんと同じ表情www」「いま、しっぽが見えた」視聴者のコメントと共に、画面にはハートが滝のように流れる。
8時30分、いつもの配信を終え、ソファに寝転がる。
撮影用に借りたこの部屋は、白を基調として、必要最低限なものしか置いていない。部屋も無駄がなく、完璧でないといけないからだ。
「今日も、完璧をやる」
あやうく、眠りに落ちそうになった時、マネージャーの楓がコーヒーを差し出す。
「寝てないでしょ」
カイは笑ってごまかす。
「完璧には、睡眠がいらないんだ」
撮影帰りの裏路地。
自宅まで、ジャスト5分の道を歩きながら、前までは心地よかった日の光が目の奥を刺すのを感じる。
「年かな、、、」
自宅まで残り一つの角を曲がったとき、見慣れない建物が、異物として視界に入ってきた。
「四次元ストア」の看板。建物の外観は白を基調としていたコンビニだった。無駄なポスターはなく、周辺には葉一枚すら落ちてない。
その完璧さに、カイは目を奪われた。
普段であれば、どんな店も事前に調べて入るのだが、この時ばかりは、好奇心と疲労、そして、完璧さから中に入った。
店主らしき男は、逆光の中に立ち迎える。
「お探しの時間は?」
カイは、鏡を見るように店主を覗き込んだ。
「僕が思う、完璧な時間を、過ごしたい」
店の床に落ちる彼の影は薄かった。
二投稿目:影売渡契約
店内もカイの完璧さに近かった。
画面を通して見た時の内観の余白が、広くも狭くもない完璧な面積で、配置されている商品がカラフルできれいに整頓されている。
どこまでも続く商品棚が、サムネ映えする。
何より、店主のキャラクターが話題を集めそうだ。
180㎝ぐらいの長身に、全身黒のスーツ。堀の深いモデルのような整った顔立ちに、影のある表情が、若い女性の需要を満たしそうだった。
その店主がカイに黒い封筒を差し出す。
黒い封筒には「影売渡契約」と書かれていた。
「影を手放せば、光はあなたを選び続ける」
そして、男より代償が告げられる。
「ただし、影の濃さはあなたの輪郭。薄れるほど、人はあなたを見失う」
カイはサインした。床の影が薄くなり、店主が黒い封筒を棚に置く。封筒には「綾瀬カイの影」と書かれている。
店出た直後、カイの動画は爆発的に拡散され、次々と企業案件が舞い込んできた。
フィットネス系から、誰もが知っている高級ジュエリーまで、種類は問わず、カイに広告塔を依頼した。
その影響か、普段の視聴者層から離れたファンもでき、総フォロワー数は、400万人を超えた。
「数字が、僕の体温」
一方、撮影スタジオでは、スタッフが一瞬カイを探す場面が増えた。
「あれ、カイさん……どこ?」
床の影はさらに薄い。
撮影終わり、いつもの道を歩く。
隣を自分のグッズのキーホルダーを、カバンに下げたファンが通り過ぎる。
「似てる人かと思った」
三投稿目:認知のほころび
東京ガールズコレクションに、トークゲストとしての仕事が入った。
「インフルエンサーとしての名刺になる」
マネージャーの楓に言われ、前半の終わり間際に会場に入る。雰囲気を感じるため、カイは裏口から顔を出した。
地鳴りのような歓声がドーム全体を揺らしていた。空気は既に熱狂で満たされている。
画面と自分の目で見るのは、まるで違った。
巨大なランウェイは、異世界への滑走路のようで、天井からは無数のスポットライトが降り注ぎ、眩い光のシャワーが観客席の興奮を煽る。
客席を埋め尽くす観客は、思い思いのおしゃれを楽しんだ、トレンドに敏感なティーンや若い女性たち。
誰もがスマホを構え、この一瞬の魔法を見逃すまいとしている。
モデルたちの表情は真剣そのものだ。
一瞬のポーズ、指先の動き、視線の先に、今シーズンの流行が凝縮されている。カジュアルなストリートファッションから、フリルやレースが豪華なドレッシーなスタイルまで。
彼女たちが纏うのは、ただの服ではない。
「なりたい自分」---完璧で理想的な自分だ。
会場の熱気に触発され、完璧な自分への期待が膨らむ。カイの鼓動が、呼吸が速くなる。
それに合わせるように、カイの影が濃く薄く、点滅していることに誰も気づかなかった。
出番間近、控室でメイクをしてもらうカイに異変が起きた。楓が話しかけても、焦点が合わない。
「ねえ、聞こえてる?」
「あ、あぁ、、」
不安が胸に滲みながら、カイの出番を見送る。目もくらむスポットライトに入るカイの姿を楓は、つい見失ってしまった。
カイの手がマイクを掴むと、手の影が完全に消えた。
大型ステージのイベント。眩しいライトの中、カイは最高の笑顔を見せる。
「見えてる。まだ、彼らは僕を見ている」
しかし、MCの紹介で言葉が途切れる。
「本日のゲスト、綾瀬——」
モニター上のカイの姿にノイズが走り、観客が一斉に首を傾げた。
「空席?」
楓は叫ぼうとするが、彼の名前が喉でほどける。
「——イ!」
ライトは彼を素通りし、床に落ちるはずの影はなくなっていた。カイがマイクを落としても、音は響かない。ステージ中央に一人、歓声は止まないのに、誰も彼を見ない。
完璧なまでに、
人が、
この世界が、
彼の存在を認識しない。
店主の声が薄くなった影の中から響く。
「影は、光がある者にだけ宿る」
四投稿目:完璧な透明
街に戻ったカイは、人の流れをすり抜ける。
撮影部屋までの、いつもの道を歩く。
隣を自分のグッズのキーホルダーを、カバンに下げていたファンが通り過ぎる。
「いま横、誰か通らなかった?」
ベンチに座る楓の頬には、涙の跡だけが残っていた。
「私は、何を、誰を、忘れたんだろう」
「#完璧な朝」
カイはスマホを構え、日課の朝の生配信を行う。画面には「接続中」の文字。視聴者は0。コメント欄は空白。
カイは微笑んだ。
「完璧な、透明」
スマホが手から滑り落ちる。床を映す画面から、綾瀬カイの存在が、少しずつ背景に溶け込み、やがてフレームから消えた。
カイが生み出す音も、匂いも、人々への記憶も、存在することを世界は許さなかった。
前までは心地よかった日の光が、目の奥を刺すのを強く感じた。
五投稿目:暗転
四次元ストアの棚。黒い封筒「綾瀬カイの影」の埃を、店主は払う。
「今日も、ひとつの影が光になった」
扉の外、次の来客の影が差し込んだ。
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