第4話 規律
車内は、GCAの規定色である無機質なグレーで統一されていた。暖房は効いているが、それは決して『人間が快適な温度』などではない。『テロリストが即座に機能停止しない最低限の温度』――すなわち、摂氏0度に設定されている。
「……遅いぞ、ゼロ・スリー」
車内で待機していたのは、同僚の執行官ゼロ・セブンだった。彼はヘルメットを外し、シートに深々と座っていた。人工照明に照らされたその肌は、まるで凍りついた陶器のように白く、血管が透けるほど病的だ。そして、研ぎ澄まされた
俺は小脇に抱えていた少女を、後部のテロリスト用の簡易シートに乱暴に降ろした。サーマル・ブランケットにくるまれた少女が、小さなうめき声を上げる。
「……なんだそれは? 規律違反か? 執行官用アセットの私的流用だ」
ゼロ・セブンが、それを見て眉を吊り上げた。彼が指さしたのは、GCAのロゴが刻印された緊急用ブランケットだった。
俺は、先ほど自分に言い聞かせたのと同じ『
「対象が移送中に機能停止する可能性があった。機能停止した場合、再教育センターで『CO2排出の恐ろしさ』を学習させることが不可能になる。
「フン」
ゼロ・セブンは鼻で笑った。
「
そう言いながら、ゼロ・セブンは後部座席に移動すると、少女から容赦なくサーマル・ブランケットをひったくった。銀色のシートが剥がされた瞬間、閉じ込められていたわずかな熱が周囲に霧散する。
「あ……」
少女が、最後の熱源を奪われ、絶望の声を漏らす。摂氏0度の冷気が、獣の牙のように、少女の体温を再び貪り始めた。
「やめ――」
俺は、思わず口を開きかけた。だが、ゼロ・セブンが俺のヘルメットの
「どうした、ゼロ・スリー。お前らしくもない。まさか、テロリストに『同情』か? それこそGCAへの最大の裏切りだぞ」
「……」
俺は口を閉ざした。ヘルメットの密閉空間で、自分の息が荒くなっていることに気づく。
[警告:心拍数の上昇。鎮静を推奨]
HUD(ヘッドアップディスプレイ)が、俺自身の心拍数の異常を
(――ノイズだ……
俺はGCAの教義を暗唱する。
「――個人の生は、地球の生より軽い。個人の寒さは、地球の凍結より些末だ……」
ゼロ・セブンは、取り上げたブランケットをゴミのように丸めて投げ捨てると、少女に向き直った。
「さて、テロリスト、名前は?」
しかし、少女は、ガチガチと歯を鳴らしながら、ゼロ・セブンを怯えた目で見上げるだけだ。
「……応答なしか」
ゼロ・セブンは舌打ちし、
「貴様に黙秘権はない。これ以上罪を重ねる気か。名前は?」
少女は目に涙を溜めながら、かろうじて唇を動かした。
「……スト……フロスト……です」
「ちっ。皮肉な名前だな。凍結に怯えるくせに、自ら『
ゼロ・セブンの指が端末の上を走り、事務的な入力音が響く。
「いいか、テロリスト。お前がやったことは、この星に生きる全人類へのテロ行為だ。お前が燃やしたあの火が、どれだけ地球にダメージを与えているのか、理解しているのか?」
少女は、もはや何も答えない――答えられない。彼女の意識は、姉の死と、奪われた熱と、目の前の『正義による圧迫』の板挟みになって、朦朧としているようだった。
「出発するぞ、ゼロ・スリー」
取り調べを終えたゼロ・セブンは、運転席に戻ると、慣れた手つきで、エンジンを始動させた。
ズズズ……ン、と重い駆動音が響き、
(任務は完了した……)
(違法な排出源は中和した……)
(テロリストは拘束した……)
俺の
[スキャン記録:対象B(姉)] [バイタル:ゼロ(NONE)] [体表温度:-12.4℃] [推定死亡時刻:22時間前] [死因:低体温症(凍死)]
――摂氏20度のスーツの中で、あの震えるほどの寒気が、再び背筋を這い上がってくるのを、俺は止めることができなかった――
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