終章 月を読まぬ月読

 スサノオはツクヨミだった。

 少なくとも、機能としては。

 世界の月神が担うべき役割——夜と冥界の支配、暦と農業サイクル、死と再生の象徴——これらをスサノオとその系譜が担っている。

 本来、日本神話にも豊かな月神話があったはずだ。

 万葉集に残る「月読の持てるをち水」は、その痕跡である。月が若返りの水を持つという信仰——それを説明する神話が、かつてはあったに違いない。

 しかし、記紀編纂の過程で、月神話は解体された。

 月の機能はスサノオに移され、月の名前だけがツクヨミに残された。

 そして、世界中に存在する「月の満ち欠け」の神話も、「月と死」の神話も、日本からは消えてしまった。

「月読」——月を読む神。

 しかし彼は月を読まない。暦を司るのは聖神——スサノオの孫——である。

「月を読まぬ月読」——これほど皮肉な名前があるだろうか。

 私たちが今夜見上げる月は、神話の中で沈黙している。

 満ち欠けの理由を語る物語はなく、死と再生の象徴は語られず、暦の主も別の神に移されている。

 しかし、月は毎夜、変わらず空にある。

 欠け、満ち、また欠ける。

 神話が沈黙しても、月は語り続けている。

 失われた月神話は、もはや取り戻せないかもしれない。

 しかし、その不在の輪郭を、私たちは辿ることができる。

 世界の月神話を知り、日本神話の構造を見つめることで——かつてそこにあったはずの物語の影が、浮かび上がってくる。


(了)


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