第1章 狼と出会った日②
「ところでお前はいくつだ?」
ヴィルヘルムは、出会った時から抱いていた疑問を真っ先に口にした。ローゼンベルク軍の徴兵年齢は15~20歳の成人男性で、兵役期間は3年と定められている。その基準から見ても、ジークハルトは年端も行かぬほど若く見えた。
「もう16だ。ちゃんと成人してる。階級だって伍長だぞ」
ジークハルトは胸元から擦れた階級章を引っ張り出して見せた。その使い込まれた質感は、彼が決して新兵ではないことを物語っている。しかし、16歳で伍長という昇進速度は異常ですらある。ヴィルヘルムが脳内で階級規則の頁をめくりはじめた時、ジークハルトがそれに気づいたらしく、淡々と説明した。
「上官になったやつから順に死んでいって、残った他の猟兵のおっさんたちは兵役が終わったから故郷に帰った。それで今いる最先任が俺ってだけだ」
「ということは、この部隊を実際に指揮しているのはお前なのか」
「まあな。とはいえ、8人しかいないけど」
ジークハルトの周囲には、同じく年の若い兵士たちがいた。彼らはジークハルトと同郷の猟師やその息子であり、山岳猟兵隊の全戦力でもあった。
「8人でどうやって敵の行動妨害をしている?」
ジークハルトは鼻でくすりと笑い、負傷兵で溢れた周囲を指差した。
「歩兵隊の連中が馬鹿なんだ。いや、指揮官が馬鹿なのか。守りに入ってる敵に真正面から突っ込んだって、死傷者を無駄に増やすだけってことが分からないらしい」
「なるほど道理だ。では、お前たちはどう妨害している?」
「補給路だよ」
ジークハルトは両手で首を絞めるような仕草をしてみせた。
「要塞作るにも資材がいるし、兵士は飯も食えば服も着る。戦闘になれば弾薬、怪我すりゃ医薬品。全部、後方から送られてくる。それを燃やせば、どれもできなくなる。正面から殴り合わなくても、敵を戦えなくさせることはできるんだ」
ジークハルトの戦法は、補給線破壊を基軸とした古典的だが効果的な戦術だった。「軍隊は胃袋で動く」という金言の通り、食料も弾薬もなければ軍はただの烏合の衆に過ぎない。物資を大量に携行できない兵士たちは、輜重隊や輸送隊の維持する兵站に頼るしかない。
たとえ共和国軍が守勢に徹し、その場から動かず塹壕や要塞を築いていても、前線の兵士が食糧を自給自足できるわけではない。彼らもまた後方からの補給を待つしかないのだ。
ヴィルヘルムは感嘆した。誰かに教わったにせよ、自ら理解したにせよ、前線の一兵士に過ぎない少年が戦の本質を掴んでいる。それと同時に、ひとつ疑問がわいた。
なぜ司令部は“補給路破壊”ではなく、“敵の行動妨害”などという曖昧な命令の仕方をしたのか。
しかし、前線の地形を見渡した瞬間、その理由にすぐ思い至る。
ノッセル回廊は、南を険しい山岳、北を見通しの良い丘陵地帯に挟まれた細い谷間だ。谷幅は馬車三列がやっと通れるほどで、共和国軍はここ全体を要塞化し、隙のない防御線としていた。補給路はそのさらに後方にあり、地形上、大部隊を送り込むことはほぼ不可能である。
できるとすれば、山岳の動きに熟達し、敵に気づかれず浸透できる小規模な山岳猟兵のみ。しかし、たった8名であげられる戦果は限られている。
「戦力不足はどう補っている? 歩兵を誘導したりは?」
「もうやった。でも歩兵は山に不慣れで、すぐ敵に見つかる。数が多くても、やられたら意味がない。歩き方を教えたりもしたんだけど、こっちも時間が足りない。育てる暇がなくてな。だから──これだよ」
ジークハルトは懐から煙草の箱を出した。共和国軍が将校たちに支給する高級品で、戦場では極めて価値が高い。
「こういうのを餌や取引材料にして、そこらから使えそうな奴を数人拾ってくる。物欲しさでついてくるやつがいるから、そんな感じで頭数を増やしてる」
本来、敵からの物資略奪は一定階級以上の指揮官や兵站管理担当者の監督下でのみ許可され、ジークハルトたちの行為は明らかな軍規違反だった。
しかし、ヴィルヘルムは感心していた。これは私腹を肥やす略奪ではない。限られた戦力を最大限に生かすため、心理と資源を巧みに利用した戦略である。年上とはいえ一つしか違わない少年が戦場でそれを身につけ、なお戦い続ける気概を持っていることに心を動かされた。
興味。いや、おそらく衝動。
ヴィルヘルムは、ジークハルトの部隊への作戦同行を思わず口走っていた。
「では、フォルラート伍長。今回の増援は我々だ。補給路破壊作戦に同行させよ」
「「……は?」」
聞き返したのはジークハルトと、護衛のグスタフだった。
「殿下、いけません! 御身自ら戦場へ赴くなど!」
グスタフが必死に止めるも、ヴィルヘルムは聞く耳を持たず、逆に押し切った。
「グスタフ、お前も知っていよう。私には功績が必要なのだ。宮廷とあの司令部の貴族どもを黙らせるほどのな。初陣としては地味かもしれぬが、この戦場で最も成果を上げられるのは、彼ら猟兵隊の作戦だ」
そう言うや、ヴィルヘルムは着ていた重厚な将官用コートを脱ぎ捨て、近くにあった一般兵用の薄汚れた戦闘コートを乱暴に引ったくって袖を通した。呆気に取られる護衛たちに、長銃を用意するよう淡々と指示する。
「……名前で察してたが、お前、本当に王族なんだよな。ついて来る気か?」
「ああ。同行を許せ。そうすれば、私への不敬罪は黙認してやる」
「……ふっ。なら、その綺麗な顔も隠さないとな」
ジークハルトは泥と煤を手に取り、ヴィルヘルムの白磁のような肌と白金色の髪を黒茶に染めた。幼友達にするような遠慮のないやり方で、狼が互いに毛づくろいするような荒っぽさで。
護衛たちは茫然とするしかなかった。王族にこんな無礼を働く者など普通はあり得ない。しかし――されるがままのヴィルヘルムの口元には、どこか愉しげな微笑が浮かんでいた。自分を恐れず泥を塗る者など初めてだった。
「足を引っ張るなよ、王子様」
「引っ張るものか、伍長」
ジークハルトは内心、肝の据わった気持ちのいい奴が来たと、密かに喜んでいた。
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