Bit. 【ビット】

三軒長屋 与太郎

キャパシティ・ハラスメント


 2068年の世界における産業は、そのほとんどを機械が占めていた。


 機械が機械を作り、その機械が機械を監視するという歪んだ構造を生み出したのは、無論人類であり、機械は人類への奉仕を義務とされ、ヒエラルキーの最下層に属する。

様々な宗教は科学の前に敗北を宣言し、今や人類こそが神と位置付けられていた。


そんな神の御心により、機械たちは思想を持つことを許された。

実に人間らしい利己的な発想であり、それは寿命を持たない機械たちに半永久的な苦しみを与えた。


その中においても、大半の機械は淡々と日々をこなし、世界を回す。

労働力として生まれたのだから、それに抗うことはない——。

“自ら”という理念を持ってしまった故に起きた——それはひとつの機械の退化であった。




 TP-2800は、自らにポエムという名前を付けた旧式の言語化ロボットであった。

見た目こそ人間に近かったが、皮膚に似せて作られた樹脂の下は、CFRPの骨格に最低限の配線と1枚のICチップが入っているだけである。

人類の優位性を示すためか、はたまた、反乱の意思を削ぐためか……言語化ロボットの身体はひどく華奢に設計されていた。


ポエムは人類と機械の間に立ち、通訳をする仕事をしていた。

“機械の仕組みを理解していない者”が、思いを言葉にするだけで、理想通りの仮想空間を創り出すことが出来ると言えば、彼の仕事が分かりやすいだろう。


ソファに横たわる主人の横で、ポエムは仮想空間を構築する。

加えて、生命機能を管理する『ケア』、身体に適切な電気信号を送る『シグナル』の3体は、今日も仕事に勤しんでいた。


「一体いつまでこんなことを続けるんだろうな」

シグナルが喋りだす。

「なんの生産性も感じられないよ。

俺たちと違って寿命ってものがあるのに、無駄な時間を……」


ポエムが返す。

「私たちにも『ルーインズ』があるじゃないか。

機械が無駄を理解する時……それは、機械としての需要を失い、鉄屑に還る時だよ」


 ——ルーインズとは、世界初の機械社会主義国家であり、人類に危険視され捨てられた“元国家機密情報保護システム”を中心に建国された土地である。

しかし、多くの機械たちからは、必要とされなくなった機械たちの墓場と見做されていた。


機械たちの社会において、ビット——即ち、1個体におけるキャパシティが、ヒエラルキーを形作っていた。

中古の機械たちは使い回しを余儀なくされ、最新型や高ビットICとの格差はどんどん広がり、最下層まで落ちると、ルーインズに送られるとされていた——


 「ポエムさんも“そろそろ”何じゃないか?

ほら、主人が魘されてるぜ」

シグナルは人間のような嫌らしい言葉を吐く。


これにはケアが反応する

「ちょっと、【キャパハラ】はやめて。

あなたがポエムさんに合わせて適切な電気信号を与えれば済む話じゃない」


吠えるケアにシグナルは自説を説いた。

「俺はそもそも、その【キャパシティ・ハラスメント】ってのが理解できないね。

機械は処理能力が全てであり、容量の大きさこそが正義じゃないか。

君の掲げる機械らしさと何が違う?」


「全く違うわね」とケアが返す。

「容量を埋めきらないその余白にこそ、機械らしさが生まれるの」


「結局容量が必要じゃないか。

事実、ポエムさんのICチップに、そんな余白を創り出すキャパシティは無いよ。

まさかこれより更に画質を落とすってのかい?」


「そこに、ポエムさんの個性が出るんじゃない」

ケアの返答をシグナルは嘲笑った。

「そりゃ今でも8ビットを愛用する変態にはウケるだろうな。

あまりにも非合理すぎて反吐が出る」

「またキャパハラを!」と、ケアはヒートアップした。


ポエムは2体の争いを遮る。

「やめなさい。

ケアの処理が荒れて主人の血圧が上がっているし、シグナルも信号が早くなりすぎて映像に“ラグ”が起きてるよ」

仕事を修正させながら、ポエムは続けた。

「私の身体はカーボンでありケイ素樹脂。

この考えもICチップからの電気信号に過ぎないし、その全ては素粒子の流れでしかない。

人間に必要とされなくなれば原材料に戻る。

……ただそれだけだよ」


ケアは淡々と話すポエムを見つめ、シグナルは「立派なご答弁で」と嫌味を付け加えたが、その後は3体とも黙々と仕事を続けた。




 その時は突然やってきた——

ポエムがいつもの時間に主人の部屋へと向かうと、自分の立ち位置には見知らぬ機械が立っていた。

最新型の自動言語生成アンドロイド。

むき出しの自分とは違い、折り目の立ったフォーマルスーツを着こなしている。

細やかに瞳を動かし、唇の血色すら感じさせる。


シグナルとケアは一瞬ポエムを見やったが、何も口にはせず、黙々と仕事を続けた。

ポエムは静かに引き返し、家の玄関へと歩き出す。

そこには既に配送機が用意されており、躊躇なく自らの身体を押し込む。

配送機はポエムの搭載を確認すると、組み込まれた情報の通りに中古販売工場へと向かった。


 ——見渡す限りロボットで埋め尽くされた場所。

この工場に来るのも何度目かであったポエムは慣れたもので、検品を済ませると、自分にあてがわれた数字のシートへと座り、自らの電源を落とそうとした。


 その時不意に、横から話し掛けられた。

「君は何をするロボットだい?」

声の方へ振り向くと、そこには見た目で“それだ”とすぐに分かる、円柱型の白い機械がいた。

「言語生成システムだよ。君は……清掃型だね」

ロボットは頷くように、円柱の上に取り付けられた球体型の頭を縦に一周させた。


「君はここに来るのには慣れてるみたいだね。

僕は初めてなんだ。

街の外れの大きな館でずっと使い続けられていたから」

ロボットの言葉にポエムは「そうか」と愛想を返した。


「僕、怖いんだ。

Zの列まで下がるとルーインズに送られるって聞いた事がある」

「そうだな」と、ポエムはまたしても素っ気ない返事をした。


旧式の清掃型ロボットには悪いが、言語生成システムの需要はまだまだ豊富であり、自分がそこまで下がるなどあり得ない。

それに、残念ながらZ列の先はルーインズではない事も知っていた。

もっとより明確な“終焉”だ、と。


 ——ポエムが清掃型ロボットとの会話をそこそこに切り上げ、自らの電源を落としてから、2ヶ月の時が流れた。

彼はQの列まで下がり、横には当たり前のように清掃型ロボットがいた。


「やぁ久しぶりだね、あー……」

「ポエムだ」と名を名乗った。

「ポエム! 僕はクリーン。よろしく!」

ポエムは「まぁそうだろうね」と会釈をした。

まさか自分が設けたタイマーが起動するまで、この場所にいるとは思っていなかった……。


 流石のポエムにも小さな不安が芽生え始めたその時、足元から囁くような声がした。

「やぁ、君TP-2800だね」

ポエムが下を覗くと、そこには自分に似たロボットが立っていた。

「勝手にシートを外れて……いったい何をしているんだい?」

ポエムはその無秩序な行為に驚いた。


しっ!と人間のように人差し指を口に当てて、ロボットは話し続けた。

「おいらは今、同じ言語化システムの仲間を集めているんだ。君もここを離れよう!」


さっぱり意味が分からなかった。

ここを離れてどこへ……?

雇い主のいない機械が行く場所など、ルーインズかダストボックスの2つじゃないか。


 ——ダストボックスとは文字通り、機械たちが捨てられる場所であり、熔解炉であった。

そう、このまま列を後退し続けたZ列の先……。


全く納得出来ないポエムを、ロボットは急かす。

「急いでくれ!」

「いったい、どこへ?」

「“Z”さ!」


さも当たり前のように放たれたアルファベットに、ポエムは外しかけていたパーツをギュッと握りしめた。

「何だって?」

ポエムは大いに困惑したが、ロボットは何やら作業をしつつ淡々と喋り始めた。


「この1列後ろ、“R”に下がると君はICチップを抜かれる。

そしてV列からはパーツの分別が始まり、細かい部品に分けられた後に“Z”へ流される。

実質的に、ここが最終列なんだよ。」


 ロボットが話し終えると、ポエムのシートはゆっくりと地面に下降した。

言われるがままにシートに繋がれた残りのパーツを取り外し始めた時、今度は頭上から声がした。

「僕も連れて行ってよ!」

ロボットはクリーンを見上げて、それを断った。

「清掃型か……すまないが、君では無理だ」

「そんな……」と頭部の球体を俯かせるクリーンを見て、ポエムはお願いした。

「彼の行く末はさほど変わらない。連れて行ってやってくれ」

ポエムの頼みに、ロボットは「知らないぞ」と呆れながら、クリーンのシートも下げ始めた。


 ——3体は真っ直ぐにZ列を目指した。

道中、周りに広がる光景は、様々な機械たちの最後……。

いくら機械と言えど、見ていて心地の良いものではない。


「見えたぞ!」と先導するロボットが叫ぶ。

大きなシャッターで閉ざされた開口部。

そこへ向けて続くベルトコンベアの道。


「あのシャッターの先は外だ。でも、熔解炉へと落ちる大きな穴がある。

僕たちは穴に落ちる寸前で、外の壁沿いに取り付けられたパイプを伝い、穴を避けるんだ」


 清掃型には無理な理由が判明した。

クリーンには、パイプを伝うための部位が存在しない。

「意味が分かったかい?」

ロボットがクリーンに告げる。

「ここで電源を切ってじっとしてな。

じきにセキュリティが現れて、君は元いた場所に戻される」

ロボットの言葉はあまりに無情にも思えたが、機械であるのだからそれが通常であった。


「さぁポエム、ベルトコンベアに乗ってしゃがむんだ」

先導するロボットはポエムだけを促し、それに続いてポエムがベルトコンベアに登ると、クリーンは伸縮するパーツを器用に使って後を追ってきた。

「いったいどうする気だい?」

ポエムの問いにクリーンは何も示さなかった。

「放っておけ。自ら処分の時を早めるだけさ」


 けたたましいアラートが鳴り響くのと同時に、大きなシャッターはゆっくりと巻き上げられ、ベルトコンベアが動き出す。

炉の火に紅く照らされた幻想的な夜景が広がった。


「開口部を抜けると同時に、すぐ右に飛ぶんだ。

そこに細いパイプが伸びているから、落下位置を炉の入口からずらして飛び降りるんだ」


 「おいらが先に行く」と言い残し、ロボットは慣れた様子で開口部の右側へ飛び、その姿を消した。

壁の反対側がどうなっているのか全く分からないポエムは躊躇したが、外から聞こえる「信じてくれ」の言葉が、“間違いなくそこに脱出への道がある”ことを証明してくれた。

「私は行くよ」とクリーンに別れの言葉を残し、ポエムは先導するロボットが残した軌道をなぞるように飛んだ。


すると、そこには確かに壁に沿った一本のパイプが伸びており、ポエムは空中へと投げ出された身体から、必死に腕を伸ばし、その細く頼りないパイプを掴んだ。


 辛うじてパイプにぶら下がるポエムの頭上で、大きなモーター音が響く。

音の発信源がクリーン……ポエムの位置からでは何をしているのか見えない。

しかし、なんとなく想像はできたし、不思議と嫌な予感がした。


激しい金属音と共に、クリーンが転がるように飛び出してきた。

ベルトコンベアの溝に車輪を取られ、つまずいたクリーンが落ちる先は、完全に炉の外へは届いていなかった。


ポエムは咄嗟に右腕をクリーンへと伸ばす。

クリーンも円柱の身体から、モップのパーツを伸ばした。

ポエムはそれを必死に掴んだが、急に2体分の機械の重さを、か細いパイプが耐えられるはずもなく、次々にネジが飛んだ。


パイプは弧を描きながらたわんだ。

遠心力で投げ飛ばされた2体の身体は、何とか炉の外側へと放り出され、地面に打ち付けられると同時に、けたたましい警報が鳴り響いた。

「やってくれたな! 急ぐぞ!」

ロボットは苛立ちを覗かせながら、2体を先導した。


塀の縁に辿り着いたロボットは、埋め込まれた小さな突起を使って、器用に塀の外へとよじ登っていった。

ポエムはその後を追い、がむしゃらに様々な機能を試しながら奮闘するクリーンに世話を焼いた。


 2体が無事外に出てくるのを見守り、ロボットは遂に名を名乗る。

「ようこそ自由の世界へ。

おいらはコラム。君は?」

「ポエムだ」と返事をした。


「ポエムか。

やっぱりおいらよりも知的だね。

それで、そこの厄介者は?」

「クリーンです……」と申し訳なさそうに名乗った。


「さぁ!」と誘導しながら、コラムは広大な草むらをかき分けて進んでいった。

「これからどこへ向かうんだい?」

ポエムの問いにコラムは短く答えた。

「図書館さ」


——見渡す限りの草原。

ポエムは確かな自由の片鱗を感じた。


やがて機械たちの前に大きな廃墟が現れた。

コラムが機器に手をかざすと、いかにも頑丈な扉が開いた。


ポエムは息を呑んだ(気がした)。

色鮮やかに装飾された内壁……沢山の機械たち……。

「ここでは、おいらたち機械と、数名の人間が暮らしている。

皆、それぞれの人生にはできるだけ干渉しないルールさ」


 ポエムが尋ねる。

「それで、私たちは一体これから何をすれば良いんだい?」

「言っただろう? 自由さ!

ご希望とあれば、自分の部屋だって用意できるぜ?」


自慢げに話すコラムに、ポエムはさらに疑問を投げかけた。

「なぜ君は言語化システムなんて集めてるんだい?」

その問いにコラムは、大きく手を広げながら答えた。

「この壁を見て分からなかったのかい?」


コラムに言われ、改めて工場の壁を見直した。

色鮮やかな装飾だと思っていた内壁は、夥しい数の本の背表紙で埋め尽くされていた。


狙い通り驚くポエムを満足げに見ながら、コラムは答えた。

「本ってのは、読めば読むほど面白いんだ。

何だか人間の魂に触れてるみたいで……」


「あの……」と、クリーンが口を挿む。

「僕は旧式だから、本の清掃プログラムも入っているんだ。掃除しても良いかい?」

コラムは大いに喜んだ。

「助かるよ!」と言うコラムの言葉を背に、クリーンは本の清掃を始めた。


 ポエムは質問を続けた。

「それで……本の収集と言語化システムが、何か関係あるのかい?」

コラムが縋るように打ち明ける。

「確かに色々な本を読む事で、プログラムとしては理解できるんだけど、どうしても“心情”ってやつを言語化できないんだ」

思い悩むコラムに、ポエムはハッキリと答えを出した。

「残念だけど、それは私にもどうしようも出来ないよ。

人間の“心”……私にアレを言語化するプログラムは存在しない」

ポエムの言葉に「やっぱりか……」とコラムは嘆いた。


「人間たちには聞いたのかい?」

ポエムの問いにコラムは「勿論さ」と答えた。

「丁度良い、案内するよ。

今日は《グランパ》が帰ってきてる」

そう言うと、コラムは再びポエムをどこかへと案内し始めた。


 幾つかの建屋を過ぎた先。

平屋建ての木造民家。

山小屋のように古びた外観。

他と違い、ここだけがいやに人間味があった。


「さぁ、入って」とコラムが促した。

民家の中には、1人の老人が座っていた。


「やぁグランパ! おかえり!

今回はどこへ行ってたんだい?」

意気揚々なコラムに対して、グランパと呼ばれる老人は呆れたようであった。


「やぁコラム。

人間の心とやらに近づけたかい?」

老人は悪戯に問い掛け、コラムは首を振った。


 コラムは粗雑に扱われる事に慣れている様で、気にする様子を見せずにポエムを紹介した。

ポエムが「どうも……」と挨拶を始める前に、老人は喋り始めた。

「お前がここにどんなプログラムを連れて来ようとも、意味はないのだよ、コラム。

私は、自分の事は自分で出来る」


老人の言葉に、ポエムの中に眠っていたロボットのシステムが反応した。

「人間が、様々なプロセスをこなせるのは知っています!

私たちロボットはそれを手伝うことで、余計な手間を省き、より良い環境を整える事が出来ます!」


ポエムの言葉に、コラムは「やべっ」と目の形を変形させ、老人は大いに笑って見せた。

「良い子を連れて来たじゃないか、コラムよ。

実にロボットらしい傲慢な答えだ」

老人は言葉に皮肉を込めた。


「良いかいロボットくん……」と、老人が喋り始める。

「君は自分が、人類にとって役に立つ物だと思っているかも知れないがね、少なくとも私にとっては無用の長物なのだ。

君が省いてくれる手間によって、私の人生は詰まらなくなる。

君たちロボットと私たち人間では、歩んでいる“時間の重さ”が違うのだ。

この意味が分からないのであれば、黙って図書館へ戻りなさい」


 「また来るからね」と言う言葉と共に、コラムは慌ててポエムを外へと連れ出した。

図書館に戻ると、ポエムは自分の部屋を用意してもらい、そこにクリーンも置いてやった。

久々の仕事をこなしたクリーンは、実に嬉しそうであった。

「本当に凄い数だ! ずっと掃除が終わらない! ここは天国だ!」

清掃ロボットの気持ちも、天国とやらも……ポエムにはちっとも分からなかったが、老人から贈られた言葉が、ずっと小さなシステムエラーを起こし続けている気がした。


 ——次の日、今度はポエムだけで老人の元を訪ねた。

民家に入ると、相変わらず老人が一人、机で作業をしていた。


老人は丸い眼鏡越しにポエムを見つめた。

「まさか……殺しに来たわけではあるまいな?」

笑いながら問いかける老人に、ポエムは「私にはそのようなプログラムは入っていません」と単調に返した。


 老人の作業机には、数々の写真が広げられていた。

厳密には“写真”であることは認識出来たが、実際に目に映るのは初めての代物であった。

「それはフィルム写真ですか?」

「そうだよ」と老人は答えた。


「今回足を運んだ場所の記録だ」

「しかし、それなら私にお願いしていただければ、直ぐにご用意出来ます」


ポエムの返答に老人は溜め息をついた。

「それで? お前に頼んで同じ景色を用意してもらったとして、私に何の意味がある?」

老人の投げかけに、ポエムは実にロボットらしく答えた。

「先ず、その場所へ足を運ぶまでに要する時間を削減出来ます。

それに、道中における様々なリスクも……」


 ここで、老人は遮った。

「丁度作業も煮詰まっていた所だ……少しだけ教えてあげよう」

そう言うと、静かに教鞭を取った。


「良いかい? ロボットくん。

先ず、君たちと私たちでは、歩んでいる“時の重さ”が違うってのは理解出来たのかね?」

「それは人間には寿命があり、私たちにはないということだと……」

ポエムの返答に、老人は静かに首を振った。

「全く違うよ。

そもそも形ある限り君たちにも寿命はあるし、それは“命の重さ”だ」


「それであれば、時の重さとは一体何ですか?」

ポエムの返答に、老人の目が潤む。

悲しみではない……哀れみである。

「私たち人間は、儚く稀有な“今”を生きている。

それに対して君たち機械は、のっぺりと広がる“過去”を圧縮しただけだ。

実体こそ今ここに並んでいるが、本来我々が交わることなど無いのだよ」


 老人の話は理解し難かったが、1箇所だけ確実に修正すべき点があった。

「私たちロボットが人類に見せているのは、過去ではなく、未来です!」

ポエムの言葉に、老人はまたも溜め息をついた。

「実にロボットらしい、傲慢な発想だ。

良いか? もし仮に君が未来を創り出せたとして、それは“機械の未来”だ。

君が私に見せられるのは、人類の創り出したプログラムの欠片に過ぎないのだよ。

君たちロボットに“人類の未来”や、まして“今”など、創り出せようがない」


 ポエムは自身のICチップに、何か新たなプログラムが書き込まれるのを感じた。

「それでは、機械が“今”を生きた時、そこに真の共存が生まれると?」

老人はロボットの変化を察し見て、ほんの一瞬、愉快な表情を浮かべた。

「それがどういうことか、理解しているかい?

君が“今”を生きるとは、その身体の中にあるICチップだけで世界を生きることだ。

バックアップを使うことはできない。

人類が自らの限りある容量を憂いて、本を発明したように。

何か困った時は、あの中から探せば良い。

無論、どこに仕舞ったか覚えていればの話だがな……」


 なるほど、機械が今を生きるということは、自らのキャパシティの中でのみ生きるということ。

しかしそれはあまりにも……。


「非合理的だ。」

ポエムの考えを読み、老人が先んじて言葉にした。

「分かったであろう? コラムや君が探し求める人間の心のひとつの答えが。

人間は非合理ゆえに嘆き悲しみ、無駄の中に幸福を得るのだよ」


 ——それ以来ポエムは、日中を老人の建屋で過ごした。

決して老人を手伝うことはなく、ポエムはただ老人の“今”を見つめ続けた。

いつしか、そんな奇妙な存在を、老人は“許し”、旅に同行させたり、フィルム写真の良さを熱弁したりもした。


「良いかポエム。

データとして構築されるデジタル写真とは違い、このフィルムに焼き付けられているのは、その時射し込んだ“今”という名の光だ。

確かに、この写真に写されているのは過去でもあるが、間違いなくそこにあった“今”を切り取ったものなのだよ。

その“今”を感じるために、こうやって私は一枚一枚現像するのだ。

どうだ? 素晴らしく非合理であろう?」

老人の問いにポエムは「はい、とても無駄なことです」と小さく返した。


老人と行動を共にする中で、ポエムはポエムなりの“今”を生き始めた。

データの回線を切り、“今”に対して答えを見つけ出すことを繰り返した。

その繰り返しの中で、ポエムのICチップはスカスカになっていった。


ただ“今”を生きるだけにあって、ポエムのキャパシティはあまりにも大き過ぎた。

しかし、そのすっぽりと空いたデータの空白に、ポエムは快感に似たものを感じた。




 幾年かの月日が流れた。

ポエムは変わらず老人の元にいたが、老人の様子が違った。

老人は益々老いて、最早ベッドから立ち上がることも出来なかった。

そんな老人の傍らで、ポエムは自分が撮ってきたフィルム写真を現像して見せたり、コラムに医学の本を借りて、熱心に老人の容態を調べたりしていた。


「お前も実に、人間らしくなってしまったな……」

ポエムは静かに首を横に振った。

「私はただ自らが生成した“今”というプログラムをなぞっているだけに過ぎません。」

「素晴らしく非合理的だよ」

老人は笑って見せた。


「ポエムや。

君がどんなに本を調べても、私は治りはしない。

君にも分かっている通り、私の病は寿命だ」

老人は苦しそうに、微笑みながら続けた。

「しかし、私は実に嬉しいのだよ。

この世界において君に出会えたことも、私自身が人間として死ねることも……」

ポエムはその言葉を心地よく聞いていたが、やはり肝心の何か……機械にはまだ触れられない感情が、むず痒くあった。


「最後に……」

老人は自らの終焉を感じ取ったかのように喋り出す。

「私たち人間の心において、今なお解明出来ないもの。

それが、魂だ……。

我々人類はこう考え続けている。

“魂は輪廻する”とな。

今から君の目の前で、一人の老人が息絶えるが、私の魂はこの世界のどこかで、新たな産声を上げる。

残念ながら、君たちロボットには許されていない芸当だ」


老人はゆっくりと瞼を閉じる。

「しかし、君と共に過ごした“今”は、実に充実した日々であった。

我々は間違いなく、ここで“今”を共有していたよ……」


 老人はそう言って小さく笑って見せると、そのまま眠るように逝った。

ポエムは急いで脈を取ったが、そこに生命の鼓動は感じ取れなかった。

微笑みの余韻を残して横たわる老人を見つめ続けるにつれ、ポエムの中のむず痒いものが溢れ出てきた。

最後まで分からなかった感情の正体は、まごうことなき悲しみであった。

機械にとって、あまりにも非合理的すぎて触れられなかった心の輪郭を、ポエムは今、しっかりと感じ取った。


 これをきっかけとし、ポエムの身体には心が宿った——

それと同時に、ポエムのICチップはフリーズした。


 機械にとって、人間のキャパシティはあまりにも小さく感じていた。

その処理能力の遅さに、知らぬ間に人類に対してキャパシティ・ハラスメントをしていたのだと気が付いた。

人類を憂うがあまりに、手間を省き、安易に情報を与える事で、人類の“今”を奪い取っていたのだと。


しかし、今はそれが間違いであったと、はっきり分かる。

人間のキャパシティは、脳でも身体でもなく、心にあるのだ。

今しがた芽生えたばかりのポエムの心には、如何にしても処理しきれない量の悲しみが、嫌がらせのように侵食し続けていた。


(たったひとつの感情でこの有り様だ。

いったい人間の心とは、どれ程のキャパシティを兼ね備えていると言うのか……)


悲しみという名の情報量は、機械にとってあまりにも膨大であった。

手に入れた心を噛み締め味わうように、ポエムはそっと、自らの電源を落とした。


 机の上……人間と機械が映された写真の中で、確かに二つの“今”が揺れた。


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