第6話
「今度は何してる?」
背後から聞こえる、聞き慣れた……愛しい声。
私は振り返らずに、鍋の中を見つめた。
──ポーン!
「あ、これ当たり! 破裂種よ!」
弾けた粒が、鍋の縁を飛び越えて跳ねた。
私は笑いながら、火を弱める。
「また家畜の餌で何か作ってるのか」
「ポップコーンよ。イシュカが好きそうだと思って」
イシュカとグロムは、もう前線には出ない。後遺症が残ってしまったから。
でも、グランツ軍の幹部として、兵の育成に回っている。
そして、今の領主は──ライガ。
彼は、あれから1度も私のそばを離れなかった。
「ルシーナがそうやって甘やかすから、2人ともブクブクに太って動きが鈍いぞ」
私は肩をすくめて笑う。
「借金もなくなったし、兵士も6万いるし暗殺部隊もあるし……そろそろ戦争しましょうか?」
ゴムをはじめとした事業は、今や歳入と同じだけの利益を生み出している。
でも、その7割は軍事と貿易投資に費やしたため、5年かけて借金を返し終えた。
ブレン国とクレーラ国には、輸出を禁じている。
その分、かの国内の負担は高まっている。
「クレーラ国から行くか?」
「いいえ。両国同時に攻める」
「……前代未聞だぞ」
「ふふふ。──はい」
私は、ポップコーンをひとつ、ライガの口に放り込んだ。
「イシュカ! おやつできたわよ!」
その声に、足音がどっと押し寄せる。
「クレーラ国は農業が乏しい。我が国からの輸出規制で、備蓄がもうない。
少し揺らせば、すぐに片付くはずだ」
ヴァルクが、いつもの黒外套のまま現れた。
双剣を背にしたその姿は、5年経っても変わらない。
彼ら3人も、ずっとグランツ城に居着いている。
契約金も達成報酬も、未だに受け取ってくれない。
一応、幹部手当付きの給料は払っているけれど。
「俺も、そう思う」
ライガが、ポップコーンを噛みながら頷いた。
「クレーラ国王を暗殺して、直後に宣戦布告すれば戦わなくていい」
イシュカが、もぐもぐと口を動かしながら言った。
「食べるのやめろ、モグモグ」
グロムが、口いっぱいに頬張りながら突っ込む。
「問題は、だ」
ヴァルクが、地図の上に指を落とした。
「アルディア王」
セリアが、翡翠の瞳を細めて言った。
ライトブラウンの髪を後ろで束ね、弓を背負ったまま、椅子に足をかけている。
──そう。問題は、父。
ブレン国とクレーラ国を制しても、 父王が私の君主就任を認めなければ、手柄はすべて王都に吸い上げられる。
しかも、アデルとの間に生まれた娘は、王宮に人質として囚われたまま。
結局、王宮から届いたのは「娘は生きている」という最低限の報告だけだった。
──迎えに行きたかった。
でも、私が王宮に足を踏み入れれば拘束され、どこかに嫁がされる危険がある。
なんせ戸籍上は、未婚のままだから。
だから、グランツ領を立て直し、領内を安全にする方が先決だった。
「拙者が直接、殺してこようか?」
イシュカが、静かに言った。
「……鏡、見ろよ」
ライガが、呆れたように言った。
かつては150cm、35kgだったイシュカは、 今では60kg。
それでも、木苺色の目の奥の鋭さは変わらないが……。
ちなみに、グロムは120kgから150kgに。
筋肉と脂肪の境界が曖昧になってきたけれど、彼の戦意も変わらない。
「イシュカとグロムは戦闘に参加しなくても、参謀として従軍はできるわ。
それに、父王の暗殺は簡単じゃないの。 “大陸最強”とも言われる護衛集団がいる。
娘に関しては肖像画もないから、拐ってくることもできないし」
生まれて、すぐに王宮へ送った。
今、どんな姿なのか?
私と同じラベンダー色の瞳というくらいしか、特徴がわからない。
「私たち、海賊狩りで名誉賞を辞退したままだろう?」
虹色の髪と瞳を持つマルセロが、椅子の背に肘をかけて笑った。
中性的な顔立ちに、どこか浮世離れした雰囲気は相変わらず。
一人称は私だが、彼は男の子だ。
我がアルディア国から南ア大陸は、距離としては近いが、間を隔てる海に大量の賊がいて貿易が困難だった。
南ア大陸で作ったゴム製品を安全に運ぶため、傭兵達が海賊を狩りまくった。
「“挨拶”と言って王宮に上がり、内部を調べてこよう。
諜報隊を“護衛兵”として同行させれば、自然に入城できる」
「それなら商業部の人間も一緒に行って 取引の話をすれば、滞在が延びても不自然じゃない」
「いいアイディアだ」
私の発言に、ライガが頷く。
「早速、行ってこよう」
マルセロが立ち上がった。
「ルシーナの娘を奪還できたら、クレーラ国に宣戦布告しよう」
セリアの言葉に、全員が頷いた。
1ヶ月ぶりに戻ってきたヴァルクたちの姿を見た瞬間、私は息を呑んだ。
──ボロボロだった。
黒外套は裂け、金の瞳は血の涙のように赤く濁っていた。
セリアの弓は折れ、マルセロの虹色の髪は煤にまみれていた。
「なっ……どういう……」
「奪還に失敗したのか?」
言葉がうまく紡げない私に代わって、ライガが低く問うた。
ヴァルクは、首を振った。
「王が『ゴム製品の製造方法を吐け』と。
『知らない』と答えたら……王の護衛兵が、襲いかかってきた」
「諜報隊も、散り散りになり……安否不明だ」
セリアが、血のついた矢筒を外しながら言った。
翡翠の瞳が、悔しさに揺れていた。
「なんて……卑怯な」
私は、拳を握りしめた。
今度は、私たちの技術まで奪おうとしたのか。
「このままじゃ、宣戦布告どころじゃない。
王国軍が攻めてくる可能性は?」
「……ある」
マルセロが、虹色の瞳を伏せて答えた。
その声は、いつになく低かった。
「……ブレン国とクレーラ国と、不可侵条約を結びましょう」
「そんなもん、いつでも破れる」
グロムが、腕を組んで唸った。
150kgの巨体が、床を軋ませる。
「貿易制限を解除すれば、破れないでしょう。
それから──すぐ、城にいる王宮騎士を拘束して。危険だわ」
辺境に嫁いだときに“護衛”としてついてきた王宮騎士たち。
今も城内外に潜んでいる。
たった百人。けれど、全員が精鋭。
取り押さえるのは容易ではないが、王の密命を受けているかもしれない。
「外交官が、早馬で2国に向かいました!」
メイドのフレアが、息を切らして駆け込んできた。
「……間に合うかしら?」
「仮にブレン国とクレーラ国、王国軍が来ても戦えばいいだけだ」
ライガが、剣の柄に手をかけながら言った。
「暗殺部隊を派遣した。神経質にならなくていい」
イシュカが、私の肩に手を置く。
慰めるように。
「──王国軍が挙兵したとの報が入りました!」
伝令の声が、部屋を切り裂いた。
「やっぱりな……。
しかし、ヴァルクたちが動けない今、兵を指揮できる人間が少ない」
ライガの言葉に、私は頷いた。
5年の間に、将軍格の兵を数人育て役職を与えた。
けれど、6万の兵を動かすには、まだ足りない。
「……領民を、すべて城下町に避難させて」
収益の7割を軍事と商業に。2割を借金返済に。
そして1割を、防御に使った。
市街地の壁、そして城壁は石でも木でもない。コンクリートと鉄。簡単には、破れない。
「村を捨てるのですか? せっかく、畑が増えたのに……」
伝令が、戸惑いの声を上げた。
「林で逃亡囚人をまとめていたのは、父王の“元護衛副隊長”よ。 副隊長クラスで、あれなのよ?」
全員が、青ざめた。
「すぐに迎撃の準備をしましょう」
私の言葉に全員が頷いた。
「王国軍は、こちらではなく──南下しています!」
夜の作戦室に、伝令の声が響いた。
全員が一斉に顔を上げる。
「工場……工場が狙われてる」
ヴァルクが、金の瞳を細めて言った。
黒髪は乱れ、まだ傷の癒えぬ体を椅子に預けながらも、その声には鋭さが戻っていた。
南ア大陸のゴム工場。
2万人の従業員のうち、半分は屯田兵。
私たちの経済の心臓部。
「敵兵の数は?」
「1万。ですが、そのうち1,000が王の護衛隊です」
私は、即座に立ち上がった。
「出兵するから準備を」
「今から南下したんでは間に合わない」
ライガが、低く言った。
ここは北部の街。王都まで3日、そこから南ア大陸まで5日。トータル8日。
私は、首を振った。
「好機だわ」
翌朝。
玄関に立つと、春の空気が頬を撫でた。
小さな手が、私のマントの裾を引っ張る。
「マンマ、お出かけ?」
「そうよ」
この5年で、私はライガとの間に2人の子を授かった。
今、目の前にいるのは、上の3歳の息子。
「あなたのお姉さんを、連れて帰ってくるからね」
「ネンネ?」
「そう。ネンネ」
「そうだ。楽しみに待ってろ」
ライガが、息子の紺色の頭をくしゃりと撫でた。
「うん!」
息子が笑う。その笑顔が、胸に刺さる。
「なぜ俺たちを連れていかない?」
ヴァルクが、外套の裾を引きながら言った。
「怪我してるくせに、何言ってるの」
私は、金の瞳を見て眉尻を下げた。
「子供たちを頼んだ」
ライガの言葉に、ヴァルクはしっかり頷いた。
「なんで、そんなに嬉しそうなの?」
馬車の揺れに合わせて、ライガの腕が私を包む。
彼の体温が、背中越しにじんわりと伝わってくる。
「ルシーナが、仕事と子供に構ってばかりで、2人の時間が少なかったから」
「有事に不謹慎な」
やんわりと身を引こうとしたけれど、 彼の腕は更に強く私を抱きしめた。
「王宮まで、3日はかかる。その間、ルシーナを独り占めできる」
「毎晩、独り占めしてるでしょ」
「当たり前だろ。
……アデルに帰ってきて欲しいのか?」
「ええっ?!」
その名前に、思わず声が裏返った。
──前辺境伯、アデル。
彼を拐った賊を追撃したジーク隊は全滅。
城の消火活動が終わったあと、遺体を引き取りに行ったが、アデルの姿はなかった。
その後、林で賊のアジトを焼き払い、焦げて身元不明の死体がいくつも見つかった。
恐らく、その中にいただろう、という結論になった。
今の辺境伯は、アデルの兄──ライガ。
「心臓に悪い冗談はやめてよ。
私、アデルのことを愛してたわけじゃないもの。
変な嫉妬、やめて」
「なら、俺のことは愛してるか?」
「……教えない」
ライガが、ふっと笑った。
「俺は、ルシーナが思ってるより──ルシーナのこと、愛してる」
私は言葉を失った。
──ならば、何故?
何故、私が選んだとき、あなたはエリセと駆け落ちしたのか。
何故、未だにそのことを弁明すらしないのか。
でも、私は恋人でも妻でもない。
聞く理由なんて、どこにもない。
政略として長男カスパルと婚約し、私の生む子が将来辺境伯になるという契約を交わした。
三男アデルが当主を継ぎ、私はその後見人となって、彼との間に子をつくった。
──跡継ぎが必要だったから。
そして今、私は“次男ライガとの息子の後見人”という名目で、グランツ城にいる。
ライガが、私にキスを落とす。
「ちょ、襲撃されたら、どうするの?」
「4万も兵を引き連れてきて、誰が歯向かう?」
「……油断すべきじゃないわ」
「疲れるから、闘う時だけ緊張しろ」
結局、こうして彼は、私の肩と心を解してくる。
──彼がいなければ、私はどうなっていたのだろう。
ライガが私を支え続けた事実だけが、私の確証であった。
夜の野営地に、焚き火の赤が揺れていた。
冷たい風が幕を揺らし、兵たちの鎧を撫でていく。
その音が、まるで不吉な前触れのように耳に残った。
「王国軍が、引き返して来てるそうです」
伝令の声が響いた瞬間、幕内がざわついた。
私は喉を鳴らし、地図の上に視線を落とす。
嫌な予感が、背筋を這い上がってくる。
「問題ない。兵士はグランツ領に2万、工場に1万いる。
万一、敗走するようなことになっても、すぐ立て直せる」
ライガが低く言った。
紺髪をかき上げる仕草が、いつもより少しだけ硬い。
たった500の負傷した賊を追ったジーク軍1,000が全滅した。
その後、林に攻め入ったライガの3,000は、3,000の賊に大敗。
さらに、A級傭兵5人が率いた11,000の軍でさえ2,500の兵を失い、グロムとイシュカは重傷を負った。
あの賊を率いていたのは、父の元護衛副隊長。
そして、今こちらに向かっている王国軍のうち1,000は、大陸最強と名高い王の護衛隊──
4万で攻めても、勝てる保証なんてない。
グロムとイシュカは連れてきたけれど、2人とも後遺症が残っていて、戦場に立つことはできない。
今は指揮と参謀として、後方に控えている。
「Sランク傭兵と契約しましょう」
私は口を開いた。
誰かが息を呑む音が聞こえた。
「……どこにいるか、わからないのにか」
ライガの声が低く響く。
「ギルドに予約を入れましょう。“契約金は2倍出す”と」
「っ……! 借金を返し終わったばかりで、そんな余裕はない。戦争中は商品の流通も止まる」
彼の言葉は正しい。
S級傭兵の契約金は白金貨1万枚──国家予算の1割。
公爵か大富豪でなければ、雇えない。
「持参金を投資したビジネスから、充分回収できたから。契約金は持参金で払う。
報酬分までは……これからの収益による」
私は、まっすぐにライガを見た。
彼の紅目が、わずかに揺れた。
一か八か。でも、もう迷っている時間はない。
早朝の空気は、まだ冷たく澄んでいてた。けれど、若葉の香りがした。
私は馬車の荷台に立ち、声を張り上げた。
「みんな! おやつをあげるわ!」
ざわついていた兵たちが一斉にこちらを向き、歓声が上がる。
この瞬間だけは、戦の緊張も忘れてくれる。
私は笑って、続けた。
「その前に、景気づけに"あれ"を飲みましょう」
「ええええええっ!」
ブーイングが起きたけれど、無視して特製ドリンクを配る。
スッポン、マカ、高麗人参、ハブ、渡り鳥の胸エキス、西洋ウコギ、そしてウォッカ。
産後の地獄を乗り越えた、私の命綱。
効く。確実に。
「飲んだ子にはご褒美に、このフルーツグラノーラをあげるわ」
「なんだ、それ?」
ライガが、紺眉をひそめて私の手元を覗き込む。
「インスタントオートミールに、ドライフルーツと水飴を混ぜて固めたのよ」
「あきれるほど器用だな」
彼が試食すると、兵たちが騒ぐ。
「領主様! あれを飲んでからです!」
「そーだ!」
兵たちが慌てて試食を止めに入る。
“あれ”とは、もちろん私の特製ドリンクのこと。
そして──
「ぐえっ」
「おええええ……」
あちこちで悶絶する声が上がる。
でも、誰も本気で嫌がってはいない。
むしろ、これがあると“戦が始まる”と感じるらしい。
「これがなければ、産後に死んでたかもしれない。本当に効くわ」
私は一気に飲み干した。
喉が焼けるように熱い。けれど、体の芯が目覚めていく。
「早く出発しましょう! 体が燃えてきました!」
「これを飲むと目が覚めます! 早く行きましょう!」
兵たちが、笑いながら駆け出していく。
私はその背中を見送りながら、胸の奥で小さく息をついた。
行軍、2日目。
空は曇り、春風が湿っていた。
進軍の列が長く伸び、馬の蹄が土を叩く音が続いていた。
「王国軍は王宮に戻らず、こちらへ向かっています。野外戦に持ち込む模様です」
伝令の報告に、私は頷いた。
「王都を戦場にしたら、大貴族たちが猛反発するものね」
「王都では、ゴム製品のおかげで殿下の人気が上がっていますから」
「……暗殺者に気を付けないと」
私はマントの裾を握りしめた。
人気があるということは、狙われるということでもある。
「どこで衝突する?」
ライガが口を挟んだ。
「次の都市あたりです」
「炊き出しをして、士気を上げましょう。奮発した精製小麦の油そばよ」
兵たちの目が輝き、歓声が上がる。
兵達の言う通り、我が軍は逃亡する人間が少ない。
転生チートによる飯テロは、最強である。
少し進んだ先で「敵が近距離にいる」という報せを受け、私たちは即座に陣を敷いた。
私は地図を睨みながら、伝令に声をかけた。
「ギルドから連絡は来ないの?」
「まだです」
短く返された言葉に、胸の奥がざらついた。
Sランク傭兵の契約が間に合わなければ、この戦は一気に不利になる。
焦りが喉元までせり上がる。
「焦るな、大丈夫だ。ルシーナが苛立つと、兵の士気が乱れる」
ライガが、私の肩に手を置いて言った。
その手の温もりに、私は深く息を吸い込んだ。
そう、私が崩れてはダメ。
「即席の石窯を作って、ピザを焼きましょう。敵が来るまで、こちらは仕掛けないの」
余裕を見せれば、敵は罠や裏切りを警戒して動きが鈍る。
疑心暗鬼にさせるのも、立派な戦術のひとつ。
「そろそろ焼けます!」
兵の声に頷きながら、私は窯の前に立った。
ドライイーストがないから、炭酸を混ぜたり試行錯誤を重ねた結果、パン生地はヨーグルトでも膨らむとわかった。
ただ、時間がかかるから、昨夜のうちに仕込んでおいた。
「では、出しましょうか」
「敵が来たぞー!」
斥候の叫びが響いた瞬間、空気が一変した。
「くそっ、盗られる前に食べろ! アチチ!」
食い意地の張った兵士が、熱々のピザを頬張り悶絶する。
「大変、早くこれ飲んで!」
「ぐいっ……ありが──あああああ!」
私は例のエキスを手に取り、舌を火傷した兵たちに配り始めた。
スッポン、マカ、高麗人参、ハブ、渡り鳥の胸エキス、西洋ウコギ、ウォッカ──
私の命を救った、最強の滋養強壮ドリンク。
「くそっ! なんでか、すごく勝てる気がする!」
兵士の感想に笑いつつ、鼓舞する。
「帰ってくるまでにハンバーガー作っておくから、頑張るのよ!」
「おおおおおお!!」
兵たちの士気が、炎のように燃え上がる。
グロムが、笑いながら立ち上がった。
「すごい士気の高さだ。よし、行くか!」
「敵大将は、王太子だそうです!」
伝令を聞いたイシュカが、気遣わしげに私を見る。
「殺さない方がいい?」
「お兄様が来たのね。それだけ本気なのだわ。
そうね、骨も残らないくらいズタズタにしてちょうだい。
大砲用意、敵本陣に向けて撃て」
収入の2割を、武器開発に注ぎ込んできた。
その成果を、今ここで出す。
私たちの砲弾は、敵の本陣まで届く。
「敵が動揺してる。今だ! 敵はたったの1万だ! 囲んで打て!」
ライガの声が響く。
だが、王の護衛軍が破竹の勢いで兵をなぎ倒していく。
さすがは大陸最強の名を持つ部隊。
でも、こちらにも切り札がある。
大砲が一瞬止んだ隙を突いて、鳥部隊が上空から飛来した。
牛乳で作ったプラスチック爆弾を抱え、敵陣に向かって一斉に投下する。
私は馬車の後部に積んでいた手動式のライフルを手に取った。
銃床の感触が、手に馴染む。
「護衛隊を狙って! 護衛隊1人につき金貨10枚と、タピオカミルクティーを褒美に出すわ!」
「タピオカミルクティー!!」
兵たちの目が輝いた。
この5年で、彼らの味覚は私に完全に掌握されている。
「士気の上げ方がエグい……」
ライガが呆れたように呟いた。
私は、つい笑ってしまった。
しかし、この士気こそが勝利を引き寄せるのだ。
夜の野営地に、香ばしい匂いが立ちこめていた。
ハンバーガーとナゲット、ポテトにコーラもどき。
兵たちは満足げに腹をさすりながら、焚き火の周りで笑い合っていた。
この戦のために、私はあらゆる食材をかき集めた。
ここでは芋も茄子も希少で高価だ。けれど、勝つためには惜しくない投資。
「残り敵5,000。我が軍3万です」
伝令の報告に、私は手を止めた。
勝利が見えているはずなのに、胸の奥がざわつく。
「5,000に対して1万の犠牲……科学の差があるのに」
「充分だ。勝てる」
ライガが、いつものように短く言い切った。
紺髪の下、鋭い紅目が揺らがない。
「敵が撤退しないのが、気になるな。何を隠してる? ……モグモグ」
イシュカが、ポテトを口に運びながら呟いた。
木苺色の瞳が、焚き火の奥をじっと見つめている。
確かに撤退しないのは、おかしい。
──明日、何を出してくるつもり?
不安になっていると、気の抜ける声が響いた。
「ポテトは1人1kgまでだ。そこで止まれ」
150kgの巨体が、兵の列を押しとどめる。
忠誠は嬉しいけれど、グロムにかかる食費が1番多い。
ちなみに私の飯テロ・レシピは、商業地と軍専用。 持ち出しは禁止。
だからこそ、兵も労働者も人口も集まる。 この5年で、グランツ領の人口は2倍になった。
翌朝。
空は晴れ、風が背を押してくれるようだった。
ライガは馬上で兵たちを見渡し、声を張った。
「必ず勝てる! このまま進むぞ!」
「おおおおおお!」
兵たちの声が空に響く。
だが、その熱気はすぐに凍りついた。
敵の先鋒に現れたのは──アデル・グランツ前辺境伯だった。
白銀の鎧に身を包み、紺髪を風に揺らしながら、彼は堂々と馬を進めてきた。
その中性的な美しい顔は、確かに私の知るアデルだった。
──けれど、どこか違う。
目の奥にあった優しさが、冷たい光に変わっていた。
「我こそが真のグランツ辺境伯、アデル。
長く領地を不在にしていて、済まなかった。大怪我をし、生死の淵をさまよっていた。
いま復活し、アルディア王国の力を借り、僕を嵌めたライガ・グランツを撃つ。
そいつは領主になるため、ブレン国とクレーラ国に進攻を促した。
──グランツ領民よ、許すな。我に続け!」
兵たちがざわつく。
動揺が、列に走る。
「嘘よ! 本物のアデルなら、まず領地に帰ってくるはず!」
私は馬を進めて、叫んだ。
けれど、アデルは静かに答えた。
「僕を嵌めたライガが、すでに領主になっていた。みすみす帰れば殺されていた。
それに……娘が小さくて、置いていけなかった」
「娘が……元気なの? どこに?」
「ちゃんと王宮で、すくすく育っている」
その言葉に、足元がふらついた。
ミレスが、すかさず私の腕を支える。
視界が滲む。
娘が、ちゃんと育っている──
「妹よ。反逆をやめれば、ゴム製品の権利だけで許してやる。
娘に会いたいだろう?」
王太子の声が、冷たく響いた。
その顔には、勝者の余裕が浮かんでいた。
──選べというの?
娘か、民か。
心が、引き裂かれそうだ。
娘に会いたいに、決まっているだろう。
「騙されるな、ルシーナ。ヤツらは"誰と誰の娘"か言ってない。
本物の君の娘だと言うなら、本人と引き替えだ。連れて来させろ。本物を見るまで耳を貸すな」
イシュカの声が、私の耳を撃ち抜いた。
その鋭さに、私はようやく我に返った。
そうだ、冷静にならなければ。
私は母である前に、この軍の主だ。
「娘を、ここまで連れてきて!」
私は叫んだ。
声が震えていたのは、怒りか、恐怖か、それとも希望か。
「『戦場に、幼子を連れて来い』などと、正気か」
兄が、金眉をひそめて言った。
その顔に浮かぶのは、軽蔑と嘲笑。
私は、怒りを押し殺しながら言葉を重ねた。
「妹が冷遇されて育っても助けず、辺境に捨てるように嫁がせ、2国から責められ助けを求めても、無視したくせに! 今さら兄貴面するつもり? 更には、利益を寄越せ?
そんなものは、家族でも兄弟でも何でもない! 人のことを非難する暇があるなら、娘を連れてこい!」
「そうだ、ルシーナ。いいぞ!」
イシュカが、拳を握って叫んだ。
その声に、兵たちの士気が再び燃え上がるのを感じた。
「……いいだろう。撤退するぞ。
元妹よ、王宮まで来るがいい。
ただし、兵は通さない。お前だけ来るんだ」
元兄の言葉に、私は息を呑んだ。
娘に会える。けれど、私1人で王宮へ?
それは──
「甘言に惑わされるな。こちらは“連れてこい”と言ったのに、“撤退する”というのは、罠に引き込む気だ。
ルシーナ。王宮に死にに行くのなら、グランツ領はどうなる?」
イシュカの声が、私の胸を突いた。
そうだ。私がいなくなれば、誰が領を守る?
誰が、兵を、民を、子どもたちを導く?
「ブレン国とクレーラ国の連合軍が、グランツ領に向けて進軍してきました!」
伝令の報告が、最後の一撃のように響いた。
私は、拳を握りしめた。
娘を想う心が、引き裂かれる。
けれど、今は──
私は、主だ。
この地を守る者だ。
私は静かに息を吐いた。
王太子の顔は、勝者の余裕に満ちていた。
けれど、その薄い仮面の下にあるのは、焦りと虚勢。
それが、はっきりと見えた。
まずは、向こうの士気を下げよう。
「王国軍には、此度の戦の大義名分がないわ」
「大義名分ならある。お前のところの傭兵たちが、王を殺害しようとした」
「殺すなら暗殺部隊だけ派遣するわ。わざわざ、ヴァルクたちが行く理由がない。
謁見の間で丸腰の時に、ゴム製品の製法を問われ、断ったら殺されかけたと聞いている」
「嘘だ。デタラメだ」
「嘘じゃない。ヴァルクが剣を持ってたなら、あんなにボロボロになって帰ってくるはずがない!」
「王の護衛部隊の実力だ」
「傭兵3人と護衛10人仕留め損なう護衛部隊なら、解散した方がいい。役に立たない」
「なんだと!?」
護衛部隊の怒声が上がる。
だが、私は一歩も引かない。
「挑発に乗るな!
ルシーナ殿下、どうか、目を覚ましてください。裏切り者のライガから離れて、家族3人でグランツ領を守っていきましょう」
アデルの声が、かつての優しさを装って響いた。
けれど、私はもう騙されない。
「あなたは領主に向いていない。産まれたばかりの子を守るためとはいえ無謀な戦いをし、無駄に兵を死なせ、領地を危険にさらした。
今さら帰って来られても困るわ。このままどこかで保育士でもするのが、あなたに合っている」
「……それは……しかし、裏切り者のライガ──」
「ライガが裏切った証拠は、ここにない。
仮にあなたを嵌めたのだとしても、領主として正しく歩んできた5年の実績がある。
本当にあなたの言うようなことがあったなら、こちらで調査する。
何より──この軍の総大将は私であって、あなたでもライガでもない。私が守り、建て直し、育てた──私のグランツ領。
例え領主と言えど、グランツ領に関して私に口答えするなら、首をはねる」
その瞬間、兵たちの間に熱が走った。
口々に賛同の声が上がる。
「そうだ! ルシーナ様が来るまで、グランツ領は"地上の地獄"と呼ばれるくらい酷い土地だった!」
「女子供は1人で外に出られないぐらい、治安が悪かった!」
「少ない女を取り合って、毎日喧嘩が起きてた!」
「3軒しかない娼館は、母親より年上の婆さんしかいない上に、軍の上層部が入り浸って、たまにおこぼれ貰うのがやっとだった!」
「寒い中、働いて、高くてまずい飯ばかり食ってた!」
「グランツ領=ルシーナ様だ!」
「そうだそうだ!」
兵たちの声が、地を揺らすほどに響いた。
私は馬上で、彼らを見渡した。
「全軍、このまま敵を破り、王宮を目指す。
グランツ領には、2万の兵とヴァルクがいる。何より、あの城壁は破れないから心配ない。
──進もう!」
「おおおおおお!!」
兵たちの咆哮が、空を裂いた。
「む、娘のことはいいのか?!」
元兄が、最後の一撃を放つように叫んだ。
私は、王太子を真っ直ぐに見据えた。
「お前は、次代の王としても、兄としても失格だ! ここで潔く散れ!」
「よし、おいが取ってきてやる!」
「はい?」
グロムが、巨体を揺らして前に出た。
「片手は使える。アイツは片手で充分だ。
いくどおおおおおお!」
「おおおおお!」
兵たちが一斉に駆け出す。
戦が、始まった。
私は、銃を手に取り、深く息を吸い込んだ。
──この戦、必ず終わらせる。
私の手で、私の領を守るために。
夕暮れの空は、血のように赤かった。
地には無数の屍が転がり、風が吹くたびに鉄と煙の匂いが鼻を刺す。
私は膝をつき、乾いた地面に手をついた。
指先が、誰かの血で濡れていた。
「……やられた……」
ライガが、地に背を預けたまま呟いた。
その声に、誰も返せなかった。
「我が軍の残りは1万です。やはり、アデル様に刃を向けられない兵が寝返ったり、動揺したのが響きました。
このまま王宮戦をするには……」
伝令の報告が、夕闇に沈んでいく。
「一旦、戻ろう」
イシュカが、静かに言った。
その木苺色の瞳に、疲労と冷静さが同居していた。
「成果なく戻って、どうする?」
私は立ち上がり、血のついた手をマントで拭った。
このまま引けば、すべてを失う。
それだけは、絶対に許されない。
「国王護衛隊1,000を、ほぼ破りました。傭兵たちが訓練した兵が、強かったからです」
聖騎士ミレスが、私を慰めるように言った。
「このまま戻れば商品の流通を止められ、また資金難になる。王室は、それを狙ってるのよ」
そう言って、私は唇を噛んだ。
勝てなければ、すべてを失う。
兵も、民も、娘も。
「それより、飯作ってくれないか。腹が減っては戦はできない」
グロムが、地面に座り込んだまま言った。
その巨体が、まるで山のように沈んでいる。
「戦は終わったぞ」
イシュカが、ポツリと返す。
「イシュカ、手はず通りクレーラ国の王を暗殺して」
「了解」
そのやり取りに、一同が顔を上げた。
「明後日、王宮に向かって進軍するわよ」
「ええっ!?」
驚きの声が上がる。
だが、私は構わず続けた。
「周りの領を取って行きましょう。もう王国から独立したも、同然なのだから。近隣領を傘下に入れ、ついでに兵を吸収していくの」
このままでは、父王が私を“反逆者”として、首に賞金をかける日も遠くない。
ならば、先に動く。
王都の周囲を制圧し、包囲する。
「なるほど」
グロムが、納得したように頷いた。
「南ア大陸からの商品輸送を止めて、増兵を。それから、象兵に大砲を持って来させて」
「承知」
私の指示を受け、伝令が駆けていく。
私は、空を見上げた。
赤い雲が、まるで血の海のように広がっていた。
──もう、戻れない。
ならば、進むしかない。
この手で、すべてを終わらせるために。
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