第5話



 3日後、彼らは現れた。


 ヴァルク・ウォーリア。

 黒髪に金の瞳。双剣を長身に背負い、まるで風そのもののような美男。


 セリア・ノエビア。

 ライトブラウンの長髪に、翡翠の瞳。

 しなやかな体躯に、弓を背負った青年。

 ファッションモデルのような美人顔だが、男性である。


 イシュカ・フェンリル。

 木苺色の髪と目を持つ、小柄な少女。

 その無表情の奥に、深い闇を感じた。


「5人じゃなかったのか」


 ライガが、腕を組んで言った。

 冬だからか、肩に毛皮を掛けている。


「何ぶん急だったのでな」


 ヴァルクが、さらりと返す。


「傭兵への要請なぞ、大抵急だろう」


「嫌なら、止めてもいいんだぞ」


 ライガが黙る。

 私は、間に入って声をかけた。


「まあまあ。早速、作戦を立てましょう。

 まず、敵から奪った大砲が残ってるから、それを門に打ち込みましょう」


 ヴァルクが、軽く肩をすくめる。


「そんなことせずともイシュカが忍び込んで手引きし、俺たちが領主の首を取り、内側から門を開ければいいだろう」


「たった3人で、それを?」


 目を丸くする私に、セリアが笑う。


「全面衝突より、暗殺の方が簡単なんだ」


「傭兵じゃなく、暗殺者じゃないか」


「ライガ!」


 私が睨むと、ヴァルクが静かに言った。


「今回の依頼は、“王族を見殺しにしようとした領主を国家反逆罪で裁く”だ。

 だから引き受ける。

 俺達は正当な理由なく、むやみやたらに殺しはしない」


「そんなことすれば、ギルドから追い出されてしまうからな」


 セリアが補足する。


「いつ、実行する?」


 イシュカの声は、まるで風のように小さかった。


「今夜よ」


 私の決断に、ヴァルクが黒い眉をしかめる。


「ずいぶん急ぐんだな」


「実は、もう食糧の備蓄がないの。

 このままだと、領民が飢え死にする」


「なんだって?!」


 セリアの声が、鋭く跳ねた。


「教会に頼んだ食糧が来ないの」


「すみません。私が余計なことを言ったばかりに」


 ミレスが俯く。


「違う。

 近隣の領主が、輸送隊を止めたに決まってるわ。

 援軍を送らなければ処刑と伝えても、送ってこなかった。

 こちらを、飢え死にさせる算段よ」


「事情はわかった」

 ヴァルクが立ち上がる。

「早速、出発する。あんたらは、夜2時ぴったりに到着するよう準備しろ」


 3人は、何の迷いもなく歩き出した。

 その背中に、私は声をかけた。


「あれ? 契約金は?」


 セリアが、振り返らずに言った。


「成功報酬だけでいい。

 こちらも──10万の民に死なれたら、目覚めが悪い」


 私は、しばらくその背中を見つめていた。

 風のように去っていく3人の影。

 その背に、確かな覚悟があった。




 馬車の中は、静かだった。

 車輪の軋む音と、馬の蹄のリズムだけが響いている。

 窓の外は真っ暗で、月の光すら雲に隠れていた。


「……大丈夫かしら?」


 思わず、声が漏れた。

 傭兵達に任せたとはいえ、この作戦は、あまりにも賭けだった。


「あれだけはっきり言い切ったんだから、やれるんだろう」


 ライガが、隣で肩を抱いてくれた。

 私は、そっとその肩に寄りかかる。


 アデルには、決して弱音なんて吐かなかった。

 でも、ライガには甘えられる。


「まずは、食糧、ね」


「ああ。……これ以上、兵の士気が下がるとマズイ」


 彼の声が、低く響いた。

 その温もりに、少しだけ心がほどけた。




 夜2時。

 私たちは、隣領──ドロールの門前に到着した。


「何事だ?!」


 門兵が、槍を構えて叫ぶ。


「アルディア国第2王女、ルシーナ様が通過する。

 直ちに開けよ!」


 グランツ兵の声に、門番たちがざわつく。

 1人が前に出て、頭を下げる。


「何人も通すなと、言われております。 お引き取りを」


「王族に歯向かうのか?」


「王族が直接、我らの生活を見ているわけではない」


 その言葉に、胸がざわついた。

 そこへ、ライガが窓から顔を出す。


「もういい。突破しよう。武器を構えろ」


 その瞬間──


 ギイイイ……と、門が軋みを上げて開いた。


「なぜ、開いた?! があっ──!」


 門兵が崩れ落ちる。

 その背後から、イシュカが現れた。

 木苺色の髪が、月光に濡れている。


 ドロール領の兵たちが、槍を構える。


「すでに、ドロール領主は国家反逆罪にて討った」


 イシュカが、生首を掲げる。

 血の滴るそれに、兵たちが息を呑む。


 槍が、次々と地に落ちていく。


「私は、第2王女──ルシーナ・アルディア。

 領主と同じ目に遭いたくないなら、控えなさい」


 私が馬車から降りて言うと、門兵たちがひれ伏せた。


「も、申し訳ありません!

 命じられたまでで……反逆の意思はありません!」


「捕縛しろ。行くぞ」


 ライガの声に、兵たちが動き出す。

 私は、馬車を降り、燃え残る松明の光の中を進んだ。



 戦うことなく、私たちは入城した。

 門は開かれ、兵たちは武器を置き、民は沈黙の中で頭を下げた。



 武器庫に入ると、セリアがいた。

 長いライトブラウンの髪を後ろで束ね、弓を背負っている。

 棚を、ひとつひとつ丁寧に調べていた。


「国境に近い割に、たいしたものはないぞ。……運ぶか?」


「そうね。ここも私が統治しようかと思ったけど、グランツ領が人手不足なの。

 だから、持っていきましょう。

 “反逆軍の武器押収”という名目で」


「合併すれば良いのでは?」


 セリアが、さらりと言った。


「父王が許可しないと思うわ。

 私が力を持つのを、望んでいないもの」


「わかった。武器を馬車に積み込め」


 兵たちが動き出す音が、石壁に反響した。



 食糧庫には、ヴァルクがいた。

 黒い外套のまま、木箱の封を開けていた。


「一応、毒は入ってないと思う」


「ありがとう。……これで、民が助かった」


「2年分くらいあるな」


 私は、思わずため息をついた。


「普通の領は、そうなのよ。

 うちは私が嫁ぐまで殆どなかったし、政治に口を出すようになっても、自給率が低すぎて備蓄できなかった」


「……とんだ貧乏くじだな」


「そうね。でも……嫌いじゃないの」


 ヴァルクが、ふっと笑った。

 切れ長の目が弓なりになるのを、初めて見て──ドキッとした。


「食糧をグランツへ運べ。民を飢えさせるな」


 兵がテキパキと動き出す。

 私は頷き、食糧の山を見つめた。



 領主の館。

 広間の床に、ドロール領主の家族が縛られていた。

 私が入ると、夫人が床に額をこすりつけた。


「けして、けして謀反ではありません。

 グランツが破れれば、次は我が領なのです。

 だから、戦力を温存したのです。

 自領を守るために……!」


 私は、彼女を見下ろした。


「私の兄──王太子からの要請でも、断ったかしら?」


 夫人の顔が、見る間に青ざめていく。


「違うでしょう。

 私が“冷遇姫”だから、侮ったのでしょう?」


「それは……」


「多分、これからあと4件ほど、同じ言い訳を聞くと思うけど──

 一応、言っておこうかしら」


 私は、ゆっくりと歩み寄り、彼女の前に立った。


「『グランツと共闘した方が、民の生存率は上がったのに』

 余計な嘘は、身を滅ぼすわよ」


 夫人の肩が震えた。

 私は、背を向けて歩き出す。


 ──グランツ領を守るのは、私。

 その覚悟を、誰にも侮らせはしない。




 昼の陽が、容赦なく照りつけていた。

 しかし凍てつく冬の空気は、暖まらない。

 ドロールの中央広場。

 石畳の上に並べられた処刑台。

 その上に、縛られた領主の家族と重臣たちが跪いていた。


 民は沈黙していた。

 歓声も、嘆きもない。

 ただ、見つめていた。

 自分たちの未来が、どちらに転ぶのかを。


「……大丈夫か?」


 隣に立つライガが、低く囁いた。


「体? 心?」


「どちらも」


 私は、彼の顔を見た。

 その顔は、青ざめていた。

 私は出産して半月だが、彼も賊狩りで重傷を負って間もない。

 寝てればいいのに、付いてきた。


「あなたこそ、顔が真っ青だけど。

 カスパル、アデル、ジーク、カラム…… あなたが死んで、次は誰が辺境伯になるの?  あなたの叔父?」


「ジークの父親は46だ。もう辛いだろう」


「だったら、無理して来なくてもいいのに」


「人のこと言えるか?」


 私は、ふっと笑った。

 この人は、いつもそうだ。


「とりあえず、食糧と武器を確保できて良かった。

 後は、自動運転みたいなものと思うわ」


「どうだかな。姫さんの父親が口出さなきゃいいけどな」


 私は、答えなかった。

 その可能性が、いちばん厄介だと分かっていたから。



 それから10日後。

 私は、ようやく自力でベッドから出られるようになった。


「かなり顔色がましになりましたが…… もうしばらく安静です」


 兵の徴収に奔走していた侍医カークスが、本来の仕事をしている。

 その言葉に頷くと、メイドが報告に来た。


「エルギー領からゴレッド領までは降伏しましたが、ヘンプア領は粘るようです」


「俺が行こうか?」


 包帯姿のライガが、立ち上がろうとする。


「逆よ」


「は?」


「食糧も武器も充分あるし、資金は……大赤字だけど増税の分、配給できるから民は飢えなくて済むし」


「つまり、泣き寝入りするって?」


「まさかまさか! ブレン国とクレーラ国から賠償金を取るの。

 向こうが拒めば、攻めていかないといけない」


「温存──いや、回復に時間をとるのですね」

 ミレスが静かに頷いた。


「俺たちが賠償金、取ってくる」

 ヴァルクが、壁にもたれたまま言った。

「ちょうど5人、揃ったしな」


「国を落とすのよ? 領主暗殺じゃなく」


「動ける兵が7,000いるんだろう?」

 セリアが肩をすくめる。

「国境の領を1つずつ落としていけば、王も諦める」


「おいは、戦ってないと体がなまるんだ。

 早く戦に行かせろ。7,000いれば十分だ」


 グロムが、腕を鳴らす。

 彼は、遅れて合流したA級傭兵の1人。

 2m越えの長身を持つ巨体。


「簡単にだが、練兵もしておいた。複雑でない陣なら、組める」


 ヴァルクの言葉に、私は頷いた。


「それならば──先に、脱走囚人をやってくれない?」


「あれは、厄介だ」


 イシュカが、眉ひとつ動かさずに言った。


「国を落とすよりは楽だろ」


「……あんた、こてんぱんにやられたと聞いた」


 イシュカが、呆れたようにライガを見る。


「なんだと?!」


「落ち着いて」

 私は、いきり立つライガを制した。

「刑務所に、捕虜名義の兵が7,000いる。……使えない?」


 ヴァルクが肩を竦めて言う。


「それはブレン国とクレーラ国を落とすのに使って、賊討伐はグランツ兵の方がいい。

 じゃないと、また脱走する」


「わかった。林に諜報隊を送りましょう。

 それから、刑務所にある囚人管理表に、簡単な経歴があるはず。

 それで、ある程度予測が立てられるはずよ」


 皆が、頷いた。

 ──戦いは、まだ続く。





 会議室のテーブルの上に、地図と報告書が広がっていた。

 紙の端が擦れる音すら、重く響く。

 誰もが息を潜め、ヴァルクの言葉を待っていた。


 黒い外套を羽織った彼は、金の瞳で地図を見下ろしながら言った。


「諜報隊が壊滅させられた。代わりにイシュカが偵察してきた。

 ──結論を言う。俺たちと、訓練された兵1万で五分というところだ」


 その言葉に、フレアが小さく声を漏らす。


「そんな……」


「ジークだって辺境の男として育ち、 アデルがいなくなってからは総大将を務めてた。それが、全滅させられたんだ」


 ライガの声が低く響く。

 包帯の下の顔は、まだ青ざめていた。


「家臣団が全滅したのは、負傷してる囚人500を、1,000で追った時よ。それで負けたのだから……」


 私は、資料の上に視線を落とした。

 数字が、命の重さに見えた。


「兵糧攻めは?」


 セリアが、弓を背にしたまま尋ねる。

 その翡翠の瞳が、鋭く光っていた。


「10万人の1ヶ月分を、ほとんど奪っていったのよ。 兵糧攻めは、通じないわ。むしろ食料が余ってるはず」


「用意周到。頭が切れて、厄介」


 イシュカが、木苺色の瞳を伏せながら呟く。


「いや、頭の数は少ない。ほとんどが腕っぷしだ。1人で10の兵を倒せる。

 おいは、ぶつかるの楽しみだ」


 グロムが、紅い短髪を揺らしながら笑った。

 その巨体が揺れるたび、床が軋んだ。


 そのとき、伝令が駆け込んできた。


「王宮の使者が、書状を持ってきました!」


 私は封を切り、目を走らせた。


「──“此度の戦勝、大義であった。

 ドロールを王族への謀反として処罰し、近隣領主の降伏を受け入れたのは、 王女として当然の行為である。

 しかし、それらの後見人となることは認めない。 新たな領主を任命する。

 また、ヘンプア領に関しては、援軍を送る距離ではないため、不問とするように”」


 私は、手紙を置いた。


「……娘のことが、一言も書いてない。

 使者は、まだいるの?」


「応接室で待機しています」


「“娘の安否がわからなければ、従えない”と伝えて」


 出産して、すぐアデルとの子を王宮に預けた。

 産婆から“無事に到着した”という手紙を最後に、何の連絡もない。


 それなのに──この書状には、子供について何も書かれていない。


「時期尚早だ。感情的になるな」


 ヴァルクが、低く言った。

 黒髪の前髪の奥で、金の瞳が冷静に光っていた。


 セリアも、弓を撫でながら言った。


「敵は、1つずつ潰していかないと。

 兵の数が足りない。軍資金も」


 私は、深く息を吐いた。


「……わかった。

 父に軍費の追加と、ブレン国とクレーラ国との交渉を要請するわ」


「承知しました」


 伝令が、すぐに駆けていった。


 私は、再び資料に目を落とした。

 戦は、まだ続く。


「賊になくて、こちらにあるもの……」

 私は、資料の山を前に、指を組んだ。

「大量の武器……寒さへの耐性……。

 いっそ、林の木を切って木材を輸出する?」


「2~3割ならいいが、それ以上は災害になるぞ」


 ライガが、紺の眉をひそめて言った。


「1度にやらない方がいいでしょう」


 ミレスも、静かに頷いた。


「申し訳ないが、寒さに慣れてないのは我々も同じだ。

 グランツ領出身の兵だけは強いだろうが」


 セリアが、肩をすくめる。

 窓の外では、雪がしんしんと降り続いていた。


 ──今は、まさに真冬。


「なら、武器の多さね。

 春になってから攻めた方がいいかしら」


「春は春で、雪解けの土に足を取られる」


 ライガの言葉に、私はふと手を止めた。


「雪解け……長靴……ゴム……ゴムは南国、ここは北……」


「なにブツブツ言ってる?」


 ライガが訝しげに覗き込んで来る。


「南ア大陸に、ゴムの木があるはず」


「ゴム? 聞いたことない」


 ヴァルクが、黒眉をひそめた。


「軽くて、防水ができるの。

 武器や装備にも使えるし、加工すれば靴底や手袋にもなる」


「それが本当なら、革命になるな」


 セリアが、翠の目を見開いた。


「最後に王都まで攻め入るなら、

 そのくらいの“マジック”ないと」


 そう言って笑ったのは、マルセロだった。

 グロムと共に遅れて合流して以来、ずっと黙っていた彼が、初めて口を開いた。

 ──中性的な体躯と虹色の髪。

 存在感だけは、最初から異様に強かったけれど。




 夕方。会議を終えた私は、居間の窓際に腰掛けていた。

 膝の上には、スケッチブック。

 鉛筆の先で、私は線を重ねていた。


「何を描いてる?」


 背後から、マルセロの声がした。


「メカニカルパズルよ」


「メカニカルパズル?」


「立体パズルのことよ。

 考えたの。木材をただ輸出するより、 加工した方が何十倍も高く売れる。

 ここは肉体労働者の町だから、怪我で働けなくなった人も多いの。

 それが、治安を悪化させてるのよ。

 だから、内職を増やすのにピッタリでしょ。

 今の内職は、石鹸、ぬいぐるみ、武器研ぎくらいだから」


 マルセロは、スケッチを覗き込んだ。

 そして、口の端を吊り上げた。


「ふうん……試作品、作ってやる」


「え、いいの?」


「私は手先が器用だし、

 その発想、幻術のヒントになりそうだ」


 私は、思わず笑ってしまった。

 それは、戦の中で、穏やかな時間だった。




 寝室の灯は落としたまま、ベッドの上で手を動かしていた。

 鉛筆の先が紙の上を滑るたびに、頭の中の混線が少しずつ形になっていく。


 ──木材加工のライン設計。

 ──ゴムの輸入ルート。

 ──内職の拡張と、徴兵のバランス。


 考えることが多すぎて、眠るという選択肢が遠ざかっていた。


「まだ働いてるのか。いい加減にしろ」


 低く、少し呆れた声。

 次の瞬間、私はふわりと持ち上げられ、ライガの胡座の中に座らされていた。


 背後から、力強く抱きしめられる。

 ここには今、2人しかいない。


「借金を減らして、他領からも徴兵しないと……。

 ブレン国とクレーラ国が、また攻めてくる可能性もあるのよ」


 今回の戦争でできた借金の他に、元々あった借金もある。

 その額は、国家予算の一年分と同じ。


 産業をつくって外貨を得なければ、この領は次の進攻に耐えきれない。


「姫さんは充分やってる。あまり体を苛めるな」


「……若い体で良かった、本当に」


 今年、ルシーナは20歳。

 ──転生(?)前の私は、丸の内のアラサーOL。

 もちろん社畜ではない。

 過労死から異世界転生して活躍する物語は多いけど、そんな解決力があるなら、社畜になってない。

 そもそも、過労状態で小説なんて読めるわけがない。

 あれはアダルト動画並みに、お粗末な設定だと思う。


「たまに変なこと言うな」

 ライガが、私の頬をつまんだ。

「ふは、変な顔」


 手を払おうとしたら、逆に捕まれて──

 そのまま、キスされた。


「早く体を治してくれないと、いつまでも抱けないだろ」


「今、妊娠するわけにはいかないわ」


「そのくらい分かってる。俺は、そこまで鬼じゃない。ただ早く姫さんを、自分のものにしたいだけだ」


 私は、そっと頷いた。

 彼の体温が、背中に伝わってくる。


「やることがありすぎて、頭が破裂しそうよ」


「今から朝までは、俺のことだけ見てろ」


 鼓動が高鳴る。


 ──ああ、私はこの人が好きだ。


 けれど、エリセは、どうしたの?

 また、城から居なくなるの?

 そう思ったけれど、口には出せなかった。


 だって、私たちは恋人じゃない。

 そもそも一児の母である私に、恋する権利はあるのだろうか?


「不満そうな顔しやがって」


「別に……」


 ぎゅっと、抱きしめられる。

 逞しい腕に、安心する。


「何て言えば、安心する?」


「……教えてあげない」


 ライガが、ふっと笑った。


 ──ああ、この表情に、絆される。

 いつも、そう。

 私は、また少しだけ甘えてしまう。





 朝のキッチンは、まだ火事の匂いが残っていた。

 私は鍋をかき混ぜながら、蒸した穀物を広げていた。


「何つくってんだ?」


 背後から、グロムの低い声。

 振り返ると、紅い短髪の巨体が鍋の湯気越しに、こちらを覗き込んでいた。


「本当に、訓練以外はキッチンにいるのね」


「戦うことが一番楽しくて、次に楽しいのが飯を食うことだ」


「インスタントオートミールのレシピ本をつくってるの。オーツ麦を蒸して乾燥させたもので、このままでも食べれるのよ。

 兵糧や保存食にもいいでしょ?」


 彼は、ためらいもなく手を伸ばし、オートミールをそのまま口に放り込んだ。


「ボリボリ……味がついてない」


「それは、ただの穀物だから。このスープに入れてみて」


 私は、鍋の中のスープをすくって差し出した。

 グロムは一口すすり、赤い眉を上げた。


「うまいが、腹にたまらん。肉を食わせろ」


「じゃあ、回鍋肉つくってあげるわ」



 鍋を振るっていると、いつの間にか兵が集まってきていた。


「また殿下が新しいもの作ってるぞ」

「どうして俺たちの胃袋をピンポイントに狙ってくるんだろうな」

「殿下の飯がうますぎて、訓練が厳しくても脱走できないような」


「んめえええええええ!!」


 グロムが、すでに皿を抱えて叫んでいた。

 私は苦笑しながら、鍋に火を足した。


 ふと、隅に目をやると、イシュカが壁にもたれて、じっとこちらを見ていた。


「イシュカは、あまり食べないのね」


「体が重くなると、隠密できない」


 確かに彼女は小柄だ。

 平均より少しだけ身長の高い私より、頭1つ小さい。


「なら……大型の鳥を数羽繋いで、 空から攻撃したら?」


「何をバカなことを」


 グロムが、口いっぱいに肉を詰めながら笑った。


「試すだけ、試してみる」


 頷くイシュカに、グロムが紅目を見開く。


「正気か?」


「今回の敵は、強い」


 イシュカの声は、いつも通り淡々としていた。

 でも、その奥にある緊張は、私にも伝わった。





「今度は、なに描いて……っ?!」


 寝室に入ってきたライガが、私の絵を見るなりベッドに押し倒してきた。


「ちょ、ちょっと! 仕事の邪魔しないで!」


「あんなの見せられたら、無理だ!」


「見せてないわよ」


「俺以外の男に見せたら、許さない」


 私は、ため息をついてスケッチブックを持ち上げた。


「これは販売する下着のデザイン。

 グランツ領には、レディース服の専門店すらないの。

 雑貨屋の隅に、申し訳程度に並んでるだけ。

 まともなランジェリーなんて、存在しないのよ」


 でも、娼館が増えた今、需要はある。

 ライガが、深くため息をついた。


「俺のために、オーダーメイドするのかと思って興奮したのに」


「……次に、子どもを産める状況になったら、そうするわ」


 その言葉に、彼が私をぎゅっと抱きしめた。

 そして、キス。


「俺以外に、その姿は見せないと約束してくれ」


 まるで、恋人みたいな言い方。

 でも、私たちは──


「……善処する」


 そう答えるのが、精一杯だった。


 また、ライガがいなくなったら……。

 私は、別の誰かと子を成さなければならない。

 男児でないと、この領を守る“後継”としては厳しい。


 けれど──


 グランツ家の男は、もうライガ以外に、アデルとジークの父親くらいしか残っていない。

 上世代は高齢で、子作りは難しいだろう。


 次は誰に──?


 ……いや、今は考えないでおこう。

 この腕の中に、いる間だけは。






 あっという間に冬が終わり、雪解けの泥がまだ残る中庭に、 ぼろぼろの影が現れた。


「……っ!」


 私は、スカートの裾をつかんで駆け寄った。

 泥にまみれた外套、裂けた鎧、血の跡。

 それでも、彼らは帰ってきた。


「兵を2,500失った。……すまない」


 ヴァルクが、頭を下げた。


 私は、思わずキョトンとしてしまった。

 もっと、甚大な被害を覚悟していたから。


「ゴムと狩猟犬、それに鳥攻撃が効いた」


 セリアが、弓を背にしたまま言った。

 その翡翠の瞳は、疲れていたけれど誇らしげだった。


 グランツ軍11,000に、傭兵5人、狩猟犬、白鳥。

 雪解けの林を、長靴とソリで林に進軍した。

 ──逃亡囚人と山賊討伐のためだ。


 当初は、兵1万で五分と言われていた。

 最悪、全滅もあり得ると考えて、私は兵を2,000温存していた。


 ──結果、勝った。

 勿論、代償は小さくなかった。


 イシュカとグロムは、重傷。

 A級傭兵への復帰は、難しいかもしれない。


「グロムは、ともかく……イシュカが治らないのは厳しい」

 ヴァルクの声が、珍しく沈んでいた。

「国王から、手紙はないんだろう?」


 私は、黙って頷いた。


 ブレン国とクレーラ国は、賠償金の支払いを拒否している。

 本来なら、王が交渉すべき。

 でも、連絡はない。


 ──つまり、グランツ軍が進攻するしかない。


「イシュカが無事なら、各領を制圧するのが楽だったのに」


 セリアが、ため息をついた。


「イシュカと同じタイプの傭兵はいないのか?」


 ライガが問うと、マルセロが肩をすくめた。


「この国に、A級傭兵は10人しかいない。

 どこも、そんなもん。

 同じタイプを見つけるのは……難しいね」


 私は、机に手を置いた。


「先に、外貨を獲得しましょう。

 これ以上、グランツでの徴兵は無理。

 他領で徴兵して、更に傭兵を雇うしかない。

 領内の兵には、給与の支払いを待ってもらってるからギリギリ回ってるけど、他では通用しない。

 王が追加支援してくれないのだから稼ぐしかない」


「どうやって?」


 セリアが、まっすぐに私を見た。


「ゴムよ。

 防水製品、衣服、タイヤ……

 凄まじい収益になるわ」


 私は、資料を広げた。



□販売企画書

防水製品:カバン、水筒、書類ケース

衣服:マント、靴底、手袋、雨具

車輪のゴム巻き:静音・衝撃吸収

ヘアゴム:単体ではなく、アクセサリーやぬいぐるみ、衣類とセットで展開



「ヘアゴムだけでも、無限に売れるはずわ」


「製法が漏れないよう、現地で加工してから持ってきた方がいい。人件費も、向こうの方が安い」

 ライガが、現実的な視点で補足する。

「ただし、南ア大陸との貿易は── 海賊との戦いになる」


「そこは、俺たちの仕事だ」


 ヴァルクが、静かに言った。

 その金の瞳に、迷いはなかった。




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