第5話
3日後、彼らは現れた。
ヴァルク・ウォーリア。
黒髪に金の瞳。双剣を長身に背負い、まるで風そのもののような美男。
セリア・ノエビア。
ライトブラウンの長髪に、翡翠の瞳。
しなやかな体躯に、弓を背負った青年。
ファッションモデルのような美人顔だが、男性である。
イシュカ・フェンリル。
木苺色の髪と目を持つ、小柄な少女。
その無表情の奥に、深い闇を感じた。
「5人じゃなかったのか」
ライガが、腕を組んで言った。
冬だからか、肩に毛皮を掛けている。
「何ぶん急だったのでな」
ヴァルクが、さらりと返す。
「傭兵への要請なぞ、大抵急だろう」
「嫌なら、止めてもいいんだぞ」
ライガが黙る。
私は、間に入って声をかけた。
「まあまあ。早速、作戦を立てましょう。
まず、敵から奪った大砲が残ってるから、それを門に打ち込みましょう」
ヴァルクが、軽く肩をすくめる。
「そんなことせずともイシュカが忍び込んで手引きし、俺たちが領主の首を取り、内側から門を開ければいいだろう」
「たった3人で、それを?」
目を丸くする私に、セリアが笑う。
「全面衝突より、暗殺の方が簡単なんだ」
「傭兵じゃなく、暗殺者じゃないか」
「ライガ!」
私が睨むと、ヴァルクが静かに言った。
「今回の依頼は、“王族を見殺しにしようとした領主を国家反逆罪で裁く”だ。
だから引き受ける。
俺達は正当な理由なく、むやみやたらに殺しはしない」
「そんなことすれば、ギルドから追い出されてしまうからな」
セリアが補足する。
「いつ、実行する?」
イシュカの声は、まるで風のように小さかった。
「今夜よ」
私の決断に、ヴァルクが黒い眉をしかめる。
「ずいぶん急ぐんだな」
「実は、もう食糧の備蓄がないの。
このままだと、領民が飢え死にする」
「なんだって?!」
セリアの声が、鋭く跳ねた。
「教会に頼んだ食糧が来ないの」
「すみません。私が余計なことを言ったばかりに」
ミレスが俯く。
「違う。
近隣の領主が、輸送隊を止めたに決まってるわ。
援軍を送らなければ処刑と伝えても、送ってこなかった。
こちらを、飢え死にさせる算段よ」
「事情はわかった」
ヴァルクが立ち上がる。
「早速、出発する。あんたらは、夜2時ぴったりに到着するよう準備しろ」
3人は、何の迷いもなく歩き出した。
その背中に、私は声をかけた。
「あれ? 契約金は?」
セリアが、振り返らずに言った。
「成功報酬だけでいい。
こちらも──10万の民に死なれたら、目覚めが悪い」
私は、しばらくその背中を見つめていた。
風のように去っていく3人の影。
その背に、確かな覚悟があった。
馬車の中は、静かだった。
車輪の軋む音と、馬の蹄のリズムだけが響いている。
窓の外は真っ暗で、月の光すら雲に隠れていた。
「……大丈夫かしら?」
思わず、声が漏れた。
傭兵達に任せたとはいえ、この作戦は、あまりにも賭けだった。
「あれだけはっきり言い切ったんだから、やれるんだろう」
ライガが、隣で肩を抱いてくれた。
私は、そっとその肩に寄りかかる。
アデルには、決して弱音なんて吐かなかった。
でも、ライガには甘えられる。
「まずは、食糧、ね」
「ああ。……これ以上、兵の士気が下がるとマズイ」
彼の声が、低く響いた。
その温もりに、少しだけ心がほどけた。
夜2時。
私たちは、隣領──ドロールの門前に到着した。
「何事だ?!」
門兵が、槍を構えて叫ぶ。
「アルディア国第2王女、ルシーナ様が通過する。
直ちに開けよ!」
グランツ兵の声に、門番たちがざわつく。
1人が前に出て、頭を下げる。
「何人も通すなと、言われております。 お引き取りを」
「王族に歯向かうのか?」
「王族が直接、我らの生活を見ているわけではない」
その言葉に、胸がざわついた。
そこへ、ライガが窓から顔を出す。
「もういい。突破しよう。武器を構えろ」
その瞬間──
ギイイイ……と、門が軋みを上げて開いた。
「なぜ、開いた?! があっ──!」
門兵が崩れ落ちる。
その背後から、イシュカが現れた。
木苺色の髪が、月光に濡れている。
ドロール領の兵たちが、槍を構える。
「すでに、ドロール領主は国家反逆罪にて討った」
イシュカが、生首を掲げる。
血の滴るそれに、兵たちが息を呑む。
槍が、次々と地に落ちていく。
「私は、第2王女──ルシーナ・アルディア。
領主と同じ目に遭いたくないなら、控えなさい」
私が馬車から降りて言うと、門兵たちがひれ伏せた。
「も、申し訳ありません!
命じられたまでで……反逆の意思はありません!」
「捕縛しろ。行くぞ」
ライガの声に、兵たちが動き出す。
私は、馬車を降り、燃え残る松明の光の中を進んだ。
戦うことなく、私たちは入城した。
門は開かれ、兵たちは武器を置き、民は沈黙の中で頭を下げた。
武器庫に入ると、セリアがいた。
長いライトブラウンの髪を後ろで束ね、弓を背負っている。
棚を、ひとつひとつ丁寧に調べていた。
「国境に近い割に、たいしたものはないぞ。……運ぶか?」
「そうね。ここも私が統治しようかと思ったけど、グランツ領が人手不足なの。
だから、持っていきましょう。
“反逆軍の武器押収”という名目で」
「合併すれば良いのでは?」
セリアが、さらりと言った。
「父王が許可しないと思うわ。
私が力を持つのを、望んでいないもの」
「わかった。武器を馬車に積み込め」
兵たちが動き出す音が、石壁に反響した。
食糧庫には、ヴァルクがいた。
黒い外套のまま、木箱の封を開けていた。
「一応、毒は入ってないと思う」
「ありがとう。……これで、民が助かった」
「2年分くらいあるな」
私は、思わずため息をついた。
「普通の領は、そうなのよ。
うちは私が嫁ぐまで殆どなかったし、政治に口を出すようになっても、自給率が低すぎて備蓄できなかった」
「……とんだ貧乏くじだな」
「そうね。でも……嫌いじゃないの」
ヴァルクが、ふっと笑った。
切れ長の目が弓なりになるのを、初めて見て──ドキッとした。
「食糧をグランツへ運べ。民を飢えさせるな」
兵がテキパキと動き出す。
私は頷き、食糧の山を見つめた。
領主の館。
広間の床に、ドロール領主の家族が縛られていた。
私が入ると、夫人が床に額をこすりつけた。
「けして、けして謀反ではありません。
グランツが破れれば、次は我が領なのです。
だから、戦力を温存したのです。
自領を守るために……!」
私は、彼女を見下ろした。
「私の兄──王太子からの要請でも、断ったかしら?」
夫人の顔が、見る間に青ざめていく。
「違うでしょう。
私が“冷遇姫”だから、侮ったのでしょう?」
「それは……」
「多分、これからあと4件ほど、同じ言い訳を聞くと思うけど──
一応、言っておこうかしら」
私は、ゆっくりと歩み寄り、彼女の前に立った。
「『グランツと共闘した方が、民の生存率は上がったのに』
余計な嘘は、身を滅ぼすわよ」
夫人の肩が震えた。
私は、背を向けて歩き出す。
──グランツ領を守るのは、私。
その覚悟を、誰にも侮らせはしない。
昼の陽が、容赦なく照りつけていた。
しかし凍てつく冬の空気は、暖まらない。
ドロールの中央広場。
石畳の上に並べられた処刑台。
その上に、縛られた領主の家族と重臣たちが跪いていた。
民は沈黙していた。
歓声も、嘆きもない。
ただ、見つめていた。
自分たちの未来が、どちらに転ぶのかを。
「……大丈夫か?」
隣に立つライガが、低く囁いた。
「体? 心?」
「どちらも」
私は、彼の顔を見た。
その顔は、青ざめていた。
私は出産して半月だが、彼も賊狩りで重傷を負って間もない。
寝てればいいのに、付いてきた。
「あなたこそ、顔が真っ青だけど。
カスパル、アデル、ジーク、カラム…… あなたが死んで、次は誰が辺境伯になるの? あなたの叔父?」
「ジークの父親は46だ。もう辛いだろう」
「だったら、無理して来なくてもいいのに」
「人のこと言えるか?」
私は、ふっと笑った。
この人は、いつもそうだ。
「とりあえず、食糧と武器を確保できて良かった。
後は、自動運転みたいなものと思うわ」
「どうだかな。姫さんの父親が口出さなきゃいいけどな」
私は、答えなかった。
その可能性が、いちばん厄介だと分かっていたから。
それから10日後。
私は、ようやく自力でベッドから出られるようになった。
「かなり顔色がましになりましたが…… もうしばらく安静です」
兵の徴収に奔走していた侍医カークスが、本来の仕事をしている。
その言葉に頷くと、メイドが報告に来た。
「エルギー領からゴレッド領までは降伏しましたが、ヘンプア領は粘るようです」
「俺が行こうか?」
包帯姿のライガが、立ち上がろうとする。
「逆よ」
「は?」
「食糧も武器も充分あるし、資金は……大赤字だけど増税の分、配給できるから民は飢えなくて済むし」
「つまり、泣き寝入りするって?」
「まさかまさか! ブレン国とクレーラ国から賠償金を取るの。
向こうが拒めば、攻めていかないといけない」
「温存──いや、回復に時間をとるのですね」
ミレスが静かに頷いた。
「俺たちが賠償金、取ってくる」
ヴァルクが、壁にもたれたまま言った。
「ちょうど5人、揃ったしな」
「国を落とすのよ? 領主暗殺じゃなく」
「動ける兵が7,000いるんだろう?」
セリアが肩をすくめる。
「国境の領を1つずつ落としていけば、王も諦める」
「おいは、戦ってないと体がなまるんだ。
早く戦に行かせろ。7,000いれば十分だ」
グロムが、腕を鳴らす。
彼は、遅れて合流したA級傭兵の1人。
2m越えの長身を持つ巨体。
「簡単にだが、練兵もしておいた。複雑でない陣なら、組める」
ヴァルクの言葉に、私は頷いた。
「それならば──先に、脱走囚人をやってくれない?」
「あれは、厄介だ」
イシュカが、眉ひとつ動かさずに言った。
「国を落とすよりは楽だろ」
「……あんた、こてんぱんにやられたと聞いた」
イシュカが、呆れたようにライガを見る。
「なんだと?!」
「落ち着いて」
私は、いきり立つライガを制した。
「刑務所に、捕虜名義の兵が7,000いる。……使えない?」
ヴァルクが肩を竦めて言う。
「それはブレン国とクレーラ国を落とすのに使って、賊討伐はグランツ兵の方がいい。
じゃないと、また脱走する」
「わかった。林に諜報隊を送りましょう。
それから、刑務所にある囚人管理表に、簡単な経歴があるはず。
それで、ある程度予測が立てられるはずよ」
皆が、頷いた。
──戦いは、まだ続く。
会議室のテーブルの上に、地図と報告書が広がっていた。
紙の端が擦れる音すら、重く響く。
誰もが息を潜め、ヴァルクの言葉を待っていた。
黒い外套を羽織った彼は、金の瞳で地図を見下ろしながら言った。
「諜報隊が壊滅させられた。代わりにイシュカが偵察してきた。
──結論を言う。俺たちと、訓練された兵1万で五分というところだ」
その言葉に、フレアが小さく声を漏らす。
「そんな……」
「ジークだって辺境の男として育ち、 アデルがいなくなってからは総大将を務めてた。それが、全滅させられたんだ」
ライガの声が低く響く。
包帯の下の顔は、まだ青ざめていた。
「家臣団が全滅したのは、負傷してる囚人500を、1,000で追った時よ。それで負けたのだから……」
私は、資料の上に視線を落とした。
数字が、命の重さに見えた。
「兵糧攻めは?」
セリアが、弓を背にしたまま尋ねる。
その翡翠の瞳が、鋭く光っていた。
「10万人の1ヶ月分を、ほとんど奪っていったのよ。 兵糧攻めは、通じないわ。むしろ食料が余ってるはず」
「用意周到。頭が切れて、厄介」
イシュカが、木苺色の瞳を伏せながら呟く。
「いや、頭の数は少ない。ほとんどが腕っぷしだ。1人で10の兵を倒せる。
おいは、ぶつかるの楽しみだ」
グロムが、紅い短髪を揺らしながら笑った。
その巨体が揺れるたび、床が軋んだ。
そのとき、伝令が駆け込んできた。
「王宮の使者が、書状を持ってきました!」
私は封を切り、目を走らせた。
「──“此度の戦勝、大義であった。
ドロールを王族への謀反として処罰し、近隣領主の降伏を受け入れたのは、 王女として当然の行為である。
しかし、それらの後見人となることは認めない。 新たな領主を任命する。
また、ヘンプア領に関しては、援軍を送る距離ではないため、不問とするように”」
私は、手紙を置いた。
「……娘のことが、一言も書いてない。
使者は、まだいるの?」
「応接室で待機しています」
「“娘の安否がわからなければ、従えない”と伝えて」
出産して、すぐアデルとの子を王宮に預けた。
産婆から“無事に到着した”という手紙を最後に、何の連絡もない。
それなのに──この書状には、子供について何も書かれていない。
「時期尚早だ。感情的になるな」
ヴァルクが、低く言った。
黒髪の前髪の奥で、金の瞳が冷静に光っていた。
セリアも、弓を撫でながら言った。
「敵は、1つずつ潰していかないと。
兵の数が足りない。軍資金も」
私は、深く息を吐いた。
「……わかった。
父に軍費の追加と、ブレン国とクレーラ国との交渉を要請するわ」
「承知しました」
伝令が、すぐに駆けていった。
私は、再び資料に目を落とした。
戦は、まだ続く。
「賊になくて、こちらにあるもの……」
私は、資料の山を前に、指を組んだ。
「大量の武器……寒さへの耐性……。
いっそ、林の木を切って木材を輸出する?」
「2~3割ならいいが、それ以上は災害になるぞ」
ライガが、紺の眉をひそめて言った。
「1度にやらない方がいいでしょう」
ミレスも、静かに頷いた。
「申し訳ないが、寒さに慣れてないのは我々も同じだ。
グランツ領出身の兵だけは強いだろうが」
セリアが、肩をすくめる。
窓の外では、雪がしんしんと降り続いていた。
──今は、まさに真冬。
「なら、武器の多さね。
春になってから攻めた方がいいかしら」
「春は春で、雪解けの土に足を取られる」
ライガの言葉に、私はふと手を止めた。
「雪解け……長靴……ゴム……ゴムは南国、ここは北……」
「なにブツブツ言ってる?」
ライガが訝しげに覗き込んで来る。
「南ア大陸に、ゴムの木があるはず」
「ゴム? 聞いたことない」
ヴァルクが、黒眉をひそめた。
「軽くて、防水ができるの。
武器や装備にも使えるし、加工すれば靴底や手袋にもなる」
「それが本当なら、革命になるな」
セリアが、翠の目を見開いた。
「最後に王都まで攻め入るなら、
そのくらいの“マジック”ないと」
そう言って笑ったのは、マルセロだった。
グロムと共に遅れて合流して以来、ずっと黙っていた彼が、初めて口を開いた。
──中性的な体躯と虹色の髪。
存在感だけは、最初から異様に強かったけれど。
夕方。会議を終えた私は、居間の窓際に腰掛けていた。
膝の上には、スケッチブック。
鉛筆の先で、私は線を重ねていた。
「何を描いてる?」
背後から、マルセロの声がした。
「メカニカルパズルよ」
「メカニカルパズル?」
「立体パズルのことよ。
考えたの。木材をただ輸出するより、 加工した方が何十倍も高く売れる。
ここは肉体労働者の町だから、怪我で働けなくなった人も多いの。
それが、治安を悪化させてるのよ。
だから、内職を増やすのにピッタリでしょ。
今の内職は、石鹸、ぬいぐるみ、武器研ぎくらいだから」
マルセロは、スケッチを覗き込んだ。
そして、口の端を吊り上げた。
「ふうん……試作品、作ってやる」
「え、いいの?」
「私は手先が器用だし、
その発想、幻術のヒントになりそうだ」
私は、思わず笑ってしまった。
それは、戦の中で、穏やかな時間だった。
寝室の灯は落としたまま、ベッドの上で手を動かしていた。
鉛筆の先が紙の上を滑るたびに、頭の中の混線が少しずつ形になっていく。
──木材加工のライン設計。
──ゴムの輸入ルート。
──内職の拡張と、徴兵のバランス。
考えることが多すぎて、眠るという選択肢が遠ざかっていた。
「まだ働いてるのか。いい加減にしろ」
低く、少し呆れた声。
次の瞬間、私はふわりと持ち上げられ、ライガの胡座の中に座らされていた。
背後から、力強く抱きしめられる。
ここには今、2人しかいない。
「借金を減らして、他領からも徴兵しないと……。
ブレン国とクレーラ国が、また攻めてくる可能性もあるのよ」
今回の戦争でできた借金の他に、元々あった借金もある。
その額は、国家予算の一年分と同じ。
産業をつくって外貨を得なければ、この領は次の進攻に耐えきれない。
「姫さんは充分やってる。あまり体を苛めるな」
「……若い体で良かった、本当に」
今年、ルシーナは20歳。
──転生(?)前の私は、丸の内のアラサーOL。
もちろん社畜ではない。
過労死から異世界転生して活躍する物語は多いけど、そんな解決力があるなら、社畜になってない。
そもそも、過労状態で小説なんて読めるわけがない。
あれはアダルト動画並みに、お粗末な設定だと思う。
「たまに変なこと言うな」
ライガが、私の頬をつまんだ。
「ふは、変な顔」
手を払おうとしたら、逆に捕まれて──
そのまま、キスされた。
「早く体を治してくれないと、いつまでも抱けないだろ」
「今、妊娠するわけにはいかないわ」
「そのくらい分かってる。俺は、そこまで鬼じゃない。ただ早く姫さんを、自分のものにしたいだけだ」
私は、そっと頷いた。
彼の体温が、背中に伝わってくる。
「やることがありすぎて、頭が破裂しそうよ」
「今から朝までは、俺のことだけ見てろ」
鼓動が高鳴る。
──ああ、私はこの人が好きだ。
けれど、エリセは、どうしたの?
また、城から居なくなるの?
そう思ったけれど、口には出せなかった。
だって、私たちは恋人じゃない。
そもそも一児の母である私に、恋する権利はあるのだろうか?
「不満そうな顔しやがって」
「別に……」
ぎゅっと、抱きしめられる。
逞しい腕に、安心する。
「何て言えば、安心する?」
「……教えてあげない」
ライガが、ふっと笑った。
──ああ、この表情に、絆される。
いつも、そう。
私は、また少しだけ甘えてしまう。
朝のキッチンは、まだ火事の匂いが残っていた。
私は鍋をかき混ぜながら、蒸した穀物を広げていた。
「何つくってんだ?」
背後から、グロムの低い声。
振り返ると、紅い短髪の巨体が鍋の湯気越しに、こちらを覗き込んでいた。
「本当に、訓練以外はキッチンにいるのね」
「戦うことが一番楽しくて、次に楽しいのが飯を食うことだ」
「インスタントオートミールのレシピ本をつくってるの。オーツ麦を蒸して乾燥させたもので、このままでも食べれるのよ。
兵糧や保存食にもいいでしょ?」
彼は、ためらいもなく手を伸ばし、オートミールをそのまま口に放り込んだ。
「ボリボリ……味がついてない」
「それは、ただの穀物だから。このスープに入れてみて」
私は、鍋の中のスープをすくって差し出した。
グロムは一口すすり、赤い眉を上げた。
「うまいが、腹にたまらん。肉を食わせろ」
「じゃあ、回鍋肉つくってあげるわ」
鍋を振るっていると、いつの間にか兵が集まってきていた。
「また殿下が新しいもの作ってるぞ」
「どうして俺たちの胃袋をピンポイントに狙ってくるんだろうな」
「殿下の飯がうますぎて、訓練が厳しくても脱走できないような」
「んめえええええええ!!」
グロムが、すでに皿を抱えて叫んでいた。
私は苦笑しながら、鍋に火を足した。
ふと、隅に目をやると、イシュカが壁にもたれて、じっとこちらを見ていた。
「イシュカは、あまり食べないのね」
「体が重くなると、隠密できない」
確かに彼女は小柄だ。
平均より少しだけ身長の高い私より、頭1つ小さい。
「なら……大型の鳥を数羽繋いで、 空から攻撃したら?」
「何をバカなことを」
グロムが、口いっぱいに肉を詰めながら笑った。
「試すだけ、試してみる」
頷くイシュカに、グロムが紅目を見開く。
「正気か?」
「今回の敵は、強い」
イシュカの声は、いつも通り淡々としていた。
でも、その奥にある緊張は、私にも伝わった。
「今度は、なに描いて……っ?!」
寝室に入ってきたライガが、私の絵を見るなりベッドに押し倒してきた。
「ちょ、ちょっと! 仕事の邪魔しないで!」
「あんなの見せられたら、無理だ!」
「見せてないわよ」
「俺以外の男に見せたら、許さない」
私は、ため息をついてスケッチブックを持ち上げた。
「これは販売する下着のデザイン。
グランツ領には、レディース服の専門店すらないの。
雑貨屋の隅に、申し訳程度に並んでるだけ。
まともなランジェリーなんて、存在しないのよ」
でも、娼館が増えた今、需要はある。
ライガが、深くため息をついた。
「俺のために、オーダーメイドするのかと思って興奮したのに」
「……次に、子どもを産める状況になったら、そうするわ」
その言葉に、彼が私をぎゅっと抱きしめた。
そして、キス。
「俺以外に、その姿は見せないと約束してくれ」
まるで、恋人みたいな言い方。
でも、私たちは──
「……善処する」
そう答えるのが、精一杯だった。
また、ライガがいなくなったら……。
私は、別の誰かと子を成さなければならない。
男児でないと、この領を守る“後継”としては厳しい。
けれど──
グランツ家の男は、もうライガ以外に、アデルとジークの父親くらいしか残っていない。
上世代は高齢で、子作りは難しいだろう。
次は誰に──?
……いや、今は考えないでおこう。
この腕の中に、いる間だけは。
あっという間に冬が終わり、雪解けの泥がまだ残る中庭に、 ぼろぼろの影が現れた。
「……っ!」
私は、スカートの裾をつかんで駆け寄った。
泥にまみれた外套、裂けた鎧、血の跡。
それでも、彼らは帰ってきた。
「兵を2,500失った。……すまない」
ヴァルクが、頭を下げた。
私は、思わずキョトンとしてしまった。
もっと、甚大な被害を覚悟していたから。
「ゴムと狩猟犬、それに鳥攻撃が効いた」
セリアが、弓を背にしたまま言った。
その翡翠の瞳は、疲れていたけれど誇らしげだった。
グランツ軍11,000に、傭兵5人、狩猟犬、白鳥。
雪解けの林を、長靴とソリで林に進軍した。
──逃亡囚人と山賊討伐のためだ。
当初は、兵1万で五分と言われていた。
最悪、全滅もあり得ると考えて、私は兵を2,000温存していた。
──結果、勝った。
勿論、代償は小さくなかった。
イシュカとグロムは、重傷。
A級傭兵への復帰は、難しいかもしれない。
「グロムは、ともかく……イシュカが治らないのは厳しい」
ヴァルクの声が、珍しく沈んでいた。
「国王から、手紙はないんだろう?」
私は、黙って頷いた。
ブレン国とクレーラ国は、賠償金の支払いを拒否している。
本来なら、王が交渉すべき。
でも、連絡はない。
──つまり、グランツ軍が進攻するしかない。
「イシュカが無事なら、各領を制圧するのが楽だったのに」
セリアが、ため息をついた。
「イシュカと同じタイプの傭兵はいないのか?」
ライガが問うと、マルセロが肩をすくめた。
「この国に、A級傭兵は10人しかいない。
どこも、そんなもん。
同じタイプを見つけるのは……難しいね」
私は、机に手を置いた。
「先に、外貨を獲得しましょう。
これ以上、グランツでの徴兵は無理。
他領で徴兵して、更に傭兵を雇うしかない。
領内の兵には、給与の支払いを待ってもらってるからギリギリ回ってるけど、他では通用しない。
王が追加支援してくれないのだから稼ぐしかない」
「どうやって?」
セリアが、まっすぐに私を見た。
「ゴムよ。
防水製品、衣服、タイヤ……
凄まじい収益になるわ」
私は、資料を広げた。
□販売企画書
防水製品:カバン、水筒、書類ケース
衣服:マント、靴底、手袋、雨具
車輪のゴム巻き:静音・衝撃吸収
ヘアゴム:単体ではなく、アクセサリーやぬいぐるみ、衣類とセットで展開
「ヘアゴムだけでも、無限に売れるはずわ」
「製法が漏れないよう、現地で加工してから持ってきた方がいい。人件費も、向こうの方が安い」
ライガが、現実的な視点で補足する。
「ただし、南ア大陸との貿易は── 海賊との戦いになる」
「そこは、俺たちの仕事だ」
ヴァルクが、静かに言った。
その金の瞳に、迷いはなかった。
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