第2話 四枚の金貨と一人の王子と。(2/3)
裏通り。
高い石壁の隙間から見える空は水のように澄んだ青だというのに、白い照明の灯る暗がりの狭い道。
そこは職人や商人風の汚れた服装の男たちで賑わっていた。
フードで顔を隠した二人の男が街角の暗い店先の扉を開き、ドアベルを騒々しく鳴らす。
カズトだけが顔を見せた。
「オヤジ、久しぶりだな。適当に頼む」
「お、噂の勇者さまじゃねえか。偉くなってもこんな店に来てくれるなんて嬉しいねぇ」
「俺は何も変わってない。偉そうな肩書きがついて、外で飯が食いづらくなった」
「違いねえな。そっちのお連れは?」
「新しい旅の仲間」
「へぇ」
店主は深く詮索もせず、厨房へ向かった。
「おい、なんのつもりだ」
旅装に身を包み、正体を隠したリーンがカズトを肘で突く。
「なにって、飯だ。旅するなら食えなきゃならないだろ」
「ほらよ、お待ち」
座ったカズトとリーンそれぞれの前に、料理が置かれた。
平皿にこんもりと盛られた米の上に、どろりとしたカレーのようなものがかかっている。
塊肉とジャガイモとニンジンが米の周りに転がって、さらに上にトマトの赤と炒り卵の黄色が落とされた。
「……前菜用のナイフとフォークがないようだが」
「当たり前だろ。そこから自分で取れ」
リーンは、汚いものを見るように皿に目を落としてから、カップに立てられたくすんだ色の什器を見て頬を引きつらせた。
「……わかった、食べる。毒見ととりわけを」
「リーン。ここではこの皿から、自分で食うのが礼儀だ」
カズトの手がリーンの目の前を通り過ぎたと思うと、スプーンをつかんで食べ始める。
口元を引きつらせていたリーンも、やがてそれにならった。
一番清潔そうなスプーンを選ぶと、ライスとルーの端をほんの少しすくい上げて、五秒ほどにらみつけてから口に運んだ。
「……なんだ、悪くないじゃないか」
宿に戻る。
「おーい、生きてるか?」
薄暗い部屋でカズトが扉を叩く。
水の流れる音がして、青白い顔をしたリーンが出てきた。
「腹の薬を持ってきた。水も飲めよ、出た分摂らないと死ぬぞ」
「わかった……」
よろけながら歩くリーンが、ベッドサイドのテーブルに置かれた錠剤をつまみ上げ、カップの水で飲みくだす。
「悪かったな、上等な店からはじめたつもりだったんだが」
「上等、あれで? 女神を冒涜するような酷い料理だった!」
「食えるようにならなきゃ旅できないだろ。しばらくはいろいろ食って、腹を鍛えるぞ」
「まともな店に連れて行け! あんなものは食えない!」
「この都の外じゃ、あの店の料理は最上級だ」
リーンが苦虫を噛んだ顔をする。
「わかった。慣れよう」
「で、リーン。軍資金はあるのか? まさか聖剣一本で旅にでるつもりじゃないだろうな」
「わかっている。これを使え」
革細工の財布をカズトに投げるリーン。
勇者は空中でそれを掴むと、天地を返した。
黒とも虹色ともみえる、光る硬貨が四枚、てのひらの上で輝いた。
老人の顔の意匠の入ったそれをカズトは黙って財布に戻した後、頭を掻いてあきれ顔を作った。
「本当に文無しで旅に出るつもりだったのかよ」
「十分な額のはずだ」
「リーン。市井でつかえるのは銀貨までだ。あの店でこの王室金貨を出したとして、オヤジは釣銭が用意できない。これには店を通りごと買い占めるくらいの価値があるからな」
「それは……考えがおよばなかった」
「両替する必要があるな。出発までになにか考えるか」
カズトとの会話の終わりを待たずして、リーンは走って扉の向こうに消えていく。
「教えがいがあるな」
水の音。勇者は、また頭を掻く。
日の出に染まる川沿いの道。
遙か遠くに王城の見えるそこを、フード姿のリーンが走っている。
その足取りは弱々しく、息が続かなくなったのか、咳き込みながら止まり、膝に手を突く。
「少し休むか」
道の先から、カズトが歩いてくる。
「俺は走れる。この邪魔な砂袋さえなければ!」
王子は背嚢を地面に投げ捨てた。
「おい、生地が傷む。旅の相棒だ、大切に扱えよ」
「なんでこんなものを背負わなきゃいけないんだ!」
「そりゃ、旅の中で最後にものを言うのは逃げ足だからだ。荷物を背負って走れる必要がある」
「バウバウに運ばせればいい!」
「バウバウがいなかったらどうするんだよ」
「なら、お前が持て!」
「俺が死んでるかもしれないだろ」
顎から汗を垂らすリーンが、下を向いたまま歯を食いしばる。
「いきなり頑張りすぎるのはよくないな。甘いモンでも食って休憩するか」
「まだやれる!」
リーンが背嚢を拾い上げ、走り出す。
王子が転ぶのを、頭を掻いて勇者は見ていた。
宿屋のテーブルをはさみ、カズトとリーンが向かい合って座っている。
テーブルの上にはナイフ、針と糸、それから瓶に入った液体とエメラルドグリーンの小石が並んでいる。
「これは?」
「六十」
「こっちは」
「九十」
「これ」
「百二十だった」
「きっちり三倍ぼられてるな」
カズトが頭を掻くと、リーンは拳を握る。
「値札どおりだった! 間違いない!」
「そりゃ、言い値で買えばそうなるだろ」
「ギルド価格を超えた値段で売るのは違法だぞ!」
「だから、相場の三倍がギルド価格なんだよ。ま、小遣いくらいの損でよかったな」
「では、これも高すぎたのか。二百だった」
「おっと、それはいい買い物だったな。相場なら三百ってところだ」
リーンがうつむく。
「ものの値段が分からない。俺は一度だって買い物なんかしたことがない。できるようになるのか?」
「落ちこむなよ。お前は計算が速いし、記憶力がいい。初めてにしちゃ上出来だ」
宿屋の窓からみえる景色は、葉桜が目立ち始めていた。
並木の路面を白い花弁がつむじ風に載って舞い踊っている。
水音が響いた後、ドアから青い顔のリーンが出てくる。
「薬はいるか?」
「置いておいてくれ」
「何やってるんだ?」
よろけながら机に向かうリーンの背後に、カズトが近づく。
「腹を壊した食材を書き留めている。おい、今日のモチモチしたものの材料は何だ」
「あー……説明しにくいな。俺も作るところからは知らないから」
「聞いておいてくれ。旅のために、必要なことだ」
「おう」
ノートに熱心に書き込むリーンを、カズトは見ている。
朝焼けの川沿いの道で、フード姿のリーンが汗をたらしながら走っている。
「すごいぞ、リーン。体力ついたな」
「そんな、世辞は、いらない、何も、俺は成長していない」
「いいや、お前は頑張ってる。ほら、塔を見ろよ」
カズトが王宮を指す。
「一ヶ月前、お前がへばってたころは、塔は山脈の西にあった。今は山脈の東にある。距離にして倍は走れるようになったってことだ」
「そうか。ならず者に襲われたときに逃げられると思うか?」
「無理だろうな」
「なら、もっと走りこむ」
「おう、がんばれ、がんばれ」
露天の前でカズトがしゃがみ、リーンがその背後に立っている。
「オヤジ、これ七十に負けろよ」
「はぁ? 勇者さまともあろうものが相場をご存じないのか? 百二十だ」
「ふっかけすぎだろ。八十」
「百二十。緑の輝石は品薄でね、銅貨半分も負けられねえな」
勇者が顔をしかめると、その袖をリーンが引く。
「カズト、さっきの店に戻ろう。あそこなら少し大きいものが九十で売っていた」
「でかした。じゃ、オヤジ、邪魔したな」
「おい、待て! やっぱり七十でいい」
「五十」
「おい、魔王殺しの勇者さまが庶民の足下みるのかよ!」
「五十だ」
「赤字だ! こっちだって店で飯食ってるんだぞ!」
「縁がなかったな」
「っち、目端の利くガキがいたもんだぜ」
にがり顔の店主から、エメラルドグリーンの小石を受け取るカズト。
リーンに見せると、彼は小さく自信のある笑みを浮かべた。
「まあまあ、いろんな事ができるようになってきたな。そろそろ旅に出るか」
夕暮れの帰り道、都の建物は一足先に夜を溶かしたようだ。
青と赤の混じりあう空気の中、町も人も輪郭を失っている。
「まだ、できないことがある」
「ん? なんだ」
「俺は、父王以外に謝ったことがない。立場上、謝ることは許されなかった」
「へぇ、王子様も大変だな」
「俺は世間知らずだ。人を怒らせることもあるだろう。その時はカズト、俺を殴れ」
「はぁ?」
「お前が俺を殴って、そのあと頭を下げろ。そうすれば怒った民の溜飲も下がるだろう」
長身の影が、頭を掻く。
「なんで俺がそんなことしなきゃならない」
「その場を収めるためだ。しかたなかろう」
「お前がやらかしたんなら、お前が反省して、お前が頭を下げろ。それでも許してもらえないなら、一緒に逃げてやる」
「できるだろうか」
「できる。リーン、お前は自分が思うよりずっとできるやつだぜ」
二つの影が、建物の間にかき消える。
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