第5話
ママはぼくを呼ぶ。
名前をちゃんと呼ぶ。
でも、呼んだあとに
何も言わないことがある。
それは忘れたみたいにも、
考えているみたいにも見える。
ぼくは返事をする。
少し遅れて。大きすぎない声で。
それがちょうどいいと思っている。
この家では、動かないほうが
安全なときがある。
そういう感じが前からあった気がする。
床に座ると冷たい。
でも、立っているより
落ち着く。
床は裏切らない。
いつもそこにあるから。
ママはときどき
ぼくを長く見る。
顔というより、
形を見ている感じ。
その目は
やさしくも、こわくもない。
ただ、止まっている。
おとうさんの話は
あまり出ない。
でも、出ないことが
話しているみたいに
感じるときがある。
昼ごはんはひとりで食べることが多い。
味はちゃんとする。
でも、噛む音が
大きく聞こえる。
それが少しだけ恥ずかしい。
午後になると、時間がのびる。
時計を見てもあまり進まない。
ぼくは何度も同じところを見てしまう。
ママは夕方になると帰ってくる。
袋を持って息を少し速くして。
夜は早く来る。
暗くなる前からもう、夜みたいに感じる。
電気をつけても、変わらない。
布団に入ると、天井が近い。
目を閉じると、家の音が
一つずつはっきりする。
足音。水。ドア。
ぼくは息を小さくする。
そうすると、音のあいだに入れる。
この頃、ぼくは
いなくなる練習をしている気がする。
誰にも気づかれないように。
そう見えるだけかもしれない。
でも、いなくなれたら、
家は少し広くなる。
それはいいことだと思っている。
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