「鈍いって誰の事? 」(3)

(もう少しで、掴めそうだ……! あと少し……! )

 ペンを止めず、ページをめくったとき。――

(……これだ! ……解けた! )

 次の瞬間、ノートに数字と記号が滑るように並び始めた。迷いは一切ない。みるみるうちにノートの上から半ばまで、数式と論理の展開が書き込まれていく。

「ふぅー」

 直哉は深く息を吐いた。

「! ……あっ! あーあーあー! 考えてた時間九分、解答作成は三十秒! マジック? 」

 遥が声を上げた。

 直哉はペンを置き、肩を落としながら息をついた。

(……んな訳ねーだろ。それはバケもんだよ。どう考えても一分はかかった。九分も使っておいて、マジでダサい……)

「古谷さんも自分で解いてみると、面白いと思うところあるんじゃない? 」

 遥は、ポニーテールを勢いよく振り、直哉の提案を遮るように首を横に振った。

「だって、私、問題文の意味すら分かんない。問題文で、とっくにもう……もう頭来ちゃうの! 」

「そんなムキにならなくても(笑)……でもさ、ひょっとしたら、面白いと思える一瞬があるかもよ(笑)」」

 直哉は、遥の強烈な拒絶に苦笑いするしかなかった。

「……焦った。マジで。解けなかったらダサ過ぎるし。……古谷さん、早く書き写して。間違ってても俺のせいだから」

「……相沢君が助けてくれるって、レアじゃない? ……ありがとう! 助かった! 」

(……よかった。苦戦したけど、課題はクリアした。嫌われることもなかった……ホッとした)

 その瞬間、視線が合って、遥はすぐにそっと目を逸らした。

(……ん? ……何、今の? )

  遥は丁寧に一礼し、さっそく答えが書かれたノートを指でなぞりながら、プリントに写し取った。

(……レア? ……レアかな~どうかな~? ……そう言われてみれば、人から頼まれたときって大体、もう解いたことがあるから、ノートから探して写してもらうだけだったかな。……今日みたいに、自力でその場で解くことはなかったような……でも、誰から頼まれてもそうすると思うけど、違うかな? )

 直哉のノートは使い古されて、表紙はボロボロになっていた。

 それを返してもらおうとした、その時。

 遥は、静かに手元の薄汚れたノートに手を伸ばし、こう言った。

「相沢君。このノート、貸してくれる? 」

 直哉は、表紙が反り返ったそのノートを一瞥した。ほとんど使い切った、分厚い一冊。そこには彼の思考の断片と数式で埋め尽くされている。彼の字は、整っている方だが崩れるときもあり、クラスメートからは「独特の味がある」と評されていた。

「……これ? うん、いいけど。新しいの、そろそろ買うつもりだったし。それ、見終わったら棄てていいよ」

 直哉はあっさりOKした。

(もう残りはほとんどないし、ノートは消耗品だし……問題集の解答があれば足りる。……古谷さんがそう言うなら)

 遥は、ノートを受け取った。その重さを確かめるように、両手でしっかりと抱え込んだ。

「ありがとう。……ねぇ、相沢君」

 遥はふと、直哉の手元を見て言った。

「……古っ! もう買い替えれば? このカチカチするところ、噛んでるからガジガジじゃない? それにこれって、女の人が使いそうな感じ? 」

 直哉はきょとんとして金属製のペンを回した。臙脂色の地に、金色で唐草模様が控え目に描かれていた。

「コイツ? 中学からずっと使ってる。高校入試もコイツで受かった。母さんが使ってたやつを、デザインが気に入って無理にもらった。改めて聞かれると……当然のようにそこにあったもの……空気かな? 」

 遥はシャープペンシルを見つめ、短く息をついた。

「ふーん」

「はぁ~解けてよかった」

「相沢君でも? そうなるの? ……やっぱり私、問題見るだけで、腹立つぅー! 」

「腹立つって(笑)でも、分かる気はする」

 ふたりの笑い声が、夕暮れの教室に溶けた。

 直哉は屈託なく笑っていたが、遥の笑顔には何かを言いたくても言えないような影が見えた。


「じゃあね! 」

 直哉は軽く手を上げて挨拶すると、背中を向け早足で教室を後にした。

(古谷さんが俺に? ……まさかぁ! それはない! あり得ん! ……よな? (笑))


 直哉が教室を出た後、遥は汚れたノートの表紙に、そっと頬を寄せた。


 その一部始終を背後に聞きながら、黙っていた女子たちはふたりに視線を向けることなく、口元を緩めていた。

「……やった! 遥! 相沢くんの一部ゲット! もう戦利品じゃん! 」

「遥、レベル無限大アップ。ノートって、ただの紙じゃないよ。相沢くんのいいとこ悪いとこ全部載ってる……それをあっさり渡すなんて、相沢くん、ガード緩すぎ」

「っていうか、あの相沢くんが誰かのために大苦戦して、自力で問題を解いてあげるなんて聞いたことがない。これ、絶対に特別扱いじゃん」

「相沢くん……気づいてあげなよ。……でも無理か。遥があまりに完璧で、校内の男子はみんな遥を対象外。……だから相沢くんも、あっさり上げちゃったってことね」

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