硝子の広場
——届く言葉ほど、手から早く離れていく。——
硝子の広場、と私は呼んでいる。
声の巣の中央にある、平らで、よく磨かれた場所だ。そこでは声が反射し、よく見える。よく見えるということは、よく選別されるということでもある。
私は、いつの間にか、その広場に立っていた。
立つつもりはなかった。歩いていただけだ。巣の縁をなぞるように、言葉の流れを追っていただけだ。それが、気づくと、足の裏に均された感触があった。
何かを書いた。
短く、整えて、余分な呼吸を削いだ文だった。
怒り過ぎず、冷え過ぎず、誰かの肩にちょうど触れるくらいの温度で。
声は、思ったより遠くまで届いた。
届いた、というより、滑った。
硝子の上を、よく磨かれた硬貨のように。
返事が来た。
返事の返事が来た。
知らない誰かが、私の言葉を少し持ち上げ、別の場所に置いた。
言葉は、私の手を離れたあと、急に軽くなった。
軽い言葉は、よく跳ねる。
跳ねるたびに、形が整う。
棘は丸まり、陰影は均され、代わりに、分かりやすい輪郭がつく。
私は、うまくやったのだと思った。
少なくとも、失敗はしていない。
誰も傷つかず、空気は荒れず、声は無事に着地した。
硝子の広場では、拍手が鳴る。
実際の音ではない。
しかし、音よりも速く、確実に伝わる合図だ。
数えられ、並べられ、増えていく。
増える、という現象には、癖がある。
一つ増えると、次が欲しくなる。
次が来ると、前の一つが、少し色褪せる。
私は、その仕組みを、よく知っているはずだった。
それでも私は、指を止めなかった。
止めなかった理由は、単純だ。
言葉が、通じたからである。
通じる、ということは、恐ろしい。
誤解されない。
引っかからない。
黙っていても、誰かが続きを言ってくれる。
私は、自分の声を、少しだけ信用し始めた。
この声は、役に立つ。
この声は、ここで使える。
硝子の広場では、声に値段がつく。
露骨な値札ではない。
けれど、並び順があり、目立つ位置があり、
人の目が留まる時間が、測られている。
私は、測られていることを知っていた。
知っていながら、測りやすい形で書いた。
行間を詰め、比喩を整え、余白を残さなかった。
余白は、広場では嫌われる。
何も映らないからだ。
何も映らない硝子は、すぐに拭かれる。
私は、拭かれたくなかったのかもしれない。
あるいは、ただ、拭かれることを想像して、
少しだけ、身を縮めただけか。
その夜、私は思った。
声は、届くほど軽くなる。
軽くなるほど、遠くへ行く。
遠くへ行くほど、戻ってこない。
それでも、広場は明るかった。
硝子はよく光り、
私は、自分の姿が、少しはっきり映るのを見ていた。
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