第5話 捕縛
「えっ……」
思わず小さな声で呟いたが、彼女には十分伝わる声量だった。
振り向いた彼女は一瞬焦りが見えたが、それと同時に微笑みを湛えて僕を見た。
「あのぅ……、なんで泣いていらしたんですか?」
僕は教室に入り、女声で素直な疑問を口にした。
初対面の先輩に対して無遠慮にそんなことを尋ねる新入生に意表を突かれたのか、彼女は意外そうな顔をした。しかし、すぐにまたふっと微笑んだ。
「女の子にはね……男の子に言えない秘密があるものなのよ」
いたずらっぽく笑うと、僕の前まで歩みを進めた。
「あなた、かわいい顔をしているわね」
「え、あ、いや、そんな……」
かわいいと言われることには慣れていたつもりだが、ここまで人並外れた美人に言われると流石に冷静さは保てない。
慌てる僕を尻目に彼女は横を通り抜けて去ろうとする。そしてすれ違いざまに、「またね」と耳元でささやかれ、ふわり、と甘い吐息が鼓膜をくすぐった。
僕は顔に熱を感じつつ彼女の去り際を見送った。
彼女の仄かな甘い残り香が鼻腔を刺激し、また少し鼓動が早まった。
そしてすぐに我に返り、敵性高校に侵入しているということを思い出して身を引き締めなおした。
それにしてもすごい美人だった。ああいう人を大和撫子っていうんだろうな。長い黒髪に大きな瞳、均整の取れた身体。悪戯っぽく笑った顔。
どれをとってもパーフェクトだった。
そんな彼女がどうして泣いていたのだろう。
言えない秘密って、虫歯でも痛かったのだろうか、などとしばらく彼女との邂逅の余韻に浸りながら、流れ作業の偵察を粛々と進めた。
生徒はほぼ下校している。たまに生徒に出くわしても「ごきげんよう」という魔法の言葉で凌げている。持ち帰る情報は特にないが、あの美人に出会えただけでも僕にとっては十分満足だった。
四階には『生徒会室』と書かれたプレートのある部屋があった。廊下からは覗けない扉だったので、もちろんそんな部屋はスルーした。
全てのフロアをひと通り巡回し終え、最後に屋上のドアを開けた。
ぎい、と少しさび付いているような音がした。ここは珍しく屋上が解放されている学校のようで、そこには屋上庭園が広がっていた。季節の草花が咲き誇っているそこからは、校庭にある満開の桜並木が見下ろせる。
「んーっ! 気持ちいい」
暖かい風が頬を撫で、気持ちよさのあまり大きく伸びをして深く息を吸い込んだ。
「きゃっ」
いたずらな風の仕業でたなびいたスカートの裾を押さえた。
「……何が『きゃっ』だよ」
女の子としての振る舞いに馴染んでしまっている自分を俯瞰して自己嫌悪に陥る。
ひどい一日だった。
つい数時間前の入学式がずっと昔のことに思えた。学園長の脅迫まがいの訓示、生徒会に入って女装させられ、
そんなスパイシーな日も、さっきの美人との出会いで思いっきりスイートな日になった気がする。
しかし、目線を左に向けるとまた気持ちが沈んだ。
先ほど間近で見た
二つの学校を隔絶している巨大な壁を見て暗澹たる気持ちになる。二メートルくらいはあろうかという分厚い壁は、校舎の二階ほどの高さまである。
「……戻るか」
壁を見ているだけで花冷えを感じてしまう。羽生の指示通り、鈴女に潜入はした。成果はなくとも、義理は果たした。帰ったらとっとと辞任を伝えよう。
そんなことを考えながら踵を返すと、ぎい、とさっきと同じ音を立てて扉が開いた。
えらく小柄な生徒だ。少し俯いているせいで表情は見えないが、なんとなく不機嫌なオーラが感じ取れる。
勝手な憶測だが、自分のお気に入りの場所を他人に先を越されたことによる敗北感とかだろう。
そんな心配しなくても、僕はとっとと去りますよ。
「ごきげんよう」
僕は笑顔で言いながら、すれ違いざまに彼女のご尊顔を拝んでやった。
なかなか可愛い。文句の付け所はない。凹凸の乏しい華奢な身体に、セミロングの髪をサイドテールで一つにまとめた髪。
歩くたびに揺れるそれが、小動物のような愛らしさを醸し出している。
そして猛禽類のような鋭い眼差し――。
え? 猛禽類?
するとガシッと、ものすごい力で腕を掴まれた。
「
もっと語りたいことはあったが、これ以上の観察を彼女は許してくれなかった。
しかし、言葉こそ物騒だが彼女はいかんせん華奢だ。僕が力任せに掴まれた腕を振りほどけば逃亡するのは容易いはずだ。
僕は一瞬力を込めて彼女の手を振りほどいた。女子高に侵入しているこちらが悪いのは重々承知だが、ここは強行突破させてもらう。
何せ男対女だ。本気を出せば逃げる男が勝つのは必然。絶対的な身体的アドバンテージがそこにはある。
ごめんな――
ドガッ!!
「ぐえっ!?」
そんな謝罪の念を抱いている僕の腹にパンチをすると、その女は素早い身のこなしで背中にひょいと馬乗りになった。
そして、その華奢な身体のどこにそんな力があるのか、一気に僕の両腕を後ろにして完全に
「抵抗すんなって言ってんだろ! ホントに殺すぞ!」
「ちょ、おやめに、なって……いたたたたた……。タンマタンマ! 折れるぅぅぅぅ!」
両腕の自由が利かなかったのでタップすらできなかったが、僕は二秒で
それから僕は屋上からずっと後ろ手にされながら、そのロリ女によって鈴女の生徒会室に連行された。
「お姉さま、鈴高のスパイを連行しました!」
そいつはお手伝いをした子供が親に褒めてもらおうとするかのように、元気に言い放って僕を床に這いつくばらせた。
完全に時代劇の御白州にすえられた罪人扱いだ。
生徒会室にいるほかの二人の女子に睥睨されて、僕は老眼鏡をかけた老人が遠くのものを見るときみたいに視線をなんとか上に向けようとした。
一人は顔を紅潮させて少しテンパっている様子。もう一人は冷たくも暖かくもない極めてニュートラルな苦笑いをしている。
「さっすが
すると、窓際にある椅子の背もたれをこちらに向けて外を眺めている人の背中から、聞き覚えのある声が聞こえた。
つい先ほど、僕の鼓膜をくすぐった、あの甘い声が――。
次の更新予定
『鈴鈴戦争』~The Spy I Loved~ 花咲たいざ @kojiume
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