トイレットペーパー

@komaryo1121

トイレットペーパー

トイレットペーパーは野暮よ。彼女はそれが口癖だった。

ホルダーから垂れるトイレットペーパーを見るたびに、彼女は少し顔をしかめた。ただ、野暮だと言う。このことについての説明はなく、僕から理由を聞いてしまえば、何かが終わってしまうような気がして、聞けずにいた。


ある晩、トイレットペーパーを切らしていることに気づき、僕は近所のコンビニで一番安いものを買って帰った。四個入りのプライベートブランドのトイレットペーパーと、ホットコーヒーを二缶。ホルダーにつけている僕を、彼女は黙って見つめる。

「野暮かな?」

冗談めかして聞くと、彼女は首を横に振った。

「今日は、そうでもない」

そう言って、不自然に微笑んだ。


僕がホルダーにトイレットペーパーをつけ終わると、すぐにトイレの方から物音がした。

五センチほど扉を開けたトイレから、彼女の排泄音が夜の静けさを破った。


朝、彼女の声で目を覚ました。

きっと「おはよう」と言ったのだろう。


「まだ暗いね」

そう言う彼女に、「冬の夜は長いから」と答えながら、僕は毛布をかけ直した。


僕を起こした彼女は、アラームが鳴るまでは起きないと決めているようだった。

僕は、そのアラームの設定をオフにした。


僕がいそいそと身支度を始めても、彼女は起きようとしなかった。

「そろそろ、起きたら」


彼女の寝ている部屋へ呼びかけたが、返ってきたのは沈黙だけだった。


外から、冬休み前の子どもたちの声が聞こえてくるころ、

「次の土曜は、無理かも」

そう言いながら、彼女はトイレに入った。

ドアは、また五センチほど開いている。


それに、僕は「行ってきます」と答えた。


土曜日、僕はしつこく鳴るアラームで目を覚ました。

わずかに開いたカーテンの向こうで、空が白みはじめている。


「おはよう」と呟きながら、メガネをかけ、スヌーズをオフにした。


冷蔵庫のモーター音が、やけに大きく聞こえた。


スマホを開くと、僕が起きるずいぶん前に、やっぱり行けないとメッセージが届いていた。

「了解」

そう小さく呟いて、スマホを閉じた。


ふとトイレに目をやると、ドアが五センチほど開いていて、僕の胸が、寂しく高鳴った。


陽の暖かさに微睡んでいると、玄関のドアが開き、彼女が顔を覗かせる。

「来られた」と、なぜか申し訳なさそうに言う彼女を抱きしめると、髪から冬の冷たい匂いがした。


彼女は少し困ったように笑い、身体に力を入れる。

腕の力を弱めると今度は彼女が腕の力を強める。

僕が「おかえり」と言うと、彼女はへへ、と短く笑って答えた。


そのまましばらく、僕らは抱き合った。暑いくらいの日差しの中で、彼女の規則正しい息づかいだけが聞こえる。


その夜、激しく求め合う二人がいた。昼間の遠慮がちな微笑みは夜に溶け、肌と肌が触れ合う熱が部屋を満たす。

彼女の荒い息が、僕の汗ばんだ首をなぞり、熱と湿り気に思わず目を閉じた。


抱きしめ合いながら、彼女の背中を指でなぞると、微かに身体を震わせながら、声を漏らす。その声と押し付けられる柔らかな肌に僕の理性は、時間と一緒に遠くに消えた。


いつセットしたかも分からないアラームの音で目を覚ます。

床にはだらしなくトイレットペーパーが転がり、まだベッドには温かさが残っている。

「ああ、やっぱり」そう呟き、強く目を閉じる。


救急車のサイレンが聞こえる。

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