1-9

 便利屋ヒノクルマ店舗内、普段であれば日没と共に店じまいするはずのそこには重い空気と共に二人の姿があった。

 

 「遅いですね、カナタ。やっぱり無茶して怪我でもしたのでしょうか」

 

 整った顔を不安と心配で曇らせてカスミは呟いたが、その視線の先である店の入り口からカナタが帰ってくる気配は未だ無かった。

 

 「そうね。カナタ君は無茶しちゃう子だけど忠告を無視して心配を掛けるような考えなしではないから、昨日の今日でこう遅いと心配ね」

 

 悪い状況を想起させる言葉を聞いてさらに眉を寄せたカスミを見て、ミズキは安心させるように普段以上に落ち着いた声音で続けた。

 

 「大丈夫よ、カナタ君は若いけど判断力は一人前だし、気配を絶つような技術に関してはかのヤイバ殿の直伝なんだから」

 

 カナタの育ての親であり戦闘技術と隠形術の師匠でもある高名なヤイバ・シンカゲの名前を出したが、それでもカスミの表情は晴れない。言葉だけでは状況も心境も好転しないことは始めから理解していたミズキは行動に移ることを決めて、心配する少女へと続けて告げる。

 

 「とはいえ心配だから町の外まで迎えに行って来るわ。今日は町の南側ね、草原の遺跡の辺りかしら。入れ違いになるかもしれないからカスミちゃんはこのまま留守番ね。お客さんが来ても困るから暖簾は下ろしておいてね」

 

 ようやく表情が少し和らいだカスミに微笑みかけてから、ミズキは愛用の手甲を持って落ち着いた足取りで出かけていった。

 

 

 

 町の南側に出てしばらく続く丘陵地帯に差し掛かったミズキは、立ち止まって目を凝らし、耳を澄ます。

 腰に下げたランタンの明かりは夜を照らすには心もとないが五感に優れたミズキの耳目には周囲の様子がある程度把握できていた。

 とはいえ、小高い丘が連続し、岩や木がまばらに存在する丘陵地帯は決して見晴らしが良いとは言えず目よりも耳に頼らざるを得ないために走り回って探すことができないミズキの心境を、額に浮かぶ汗が雄弁に物語っている。

 

 ふいに聞こえたかすかな足音に前方の岩陰に顔を向けたミズキは、首を傾げていぶかしんだ。

 カナタにしては足音が大きい。可能性としては負傷して身のこなしが悪くなっていることが考えられるが、その様な状況でなぜミズキの前まできて隠れ続けているのか。夜の闇の中でランタンを下げているミズキに向こうから気づかないとは考えられない。

 

 「(そうすると、野盗か獣。いや、違う。私だと気づけないほど重傷を負っている可能性があった! 愚か者か、私は。こんな時に何を慎重になっている!)」

 

 顔色を変えたミズキは弾かれたように走り出し、一瞬のうちに足音のした岩陰へと回り込んだ。

 

 「カナタ君っ! 良かった無事ね」

 

 そこには気配を消して周囲を警戒しながら移動していたカナタがいた。一目見て負傷はしているものの致命的な重傷ではないことを確認したミズキは安堵して声を掛けた。

 

 「――っ! ……ミズキさん」

 

 ミズキが現れた瞬間、目を見開いて体を強張らせたカナタであったが、現れたのが信頼する人物であることを認識した途端に体の力を抜く。

 それは獣に警戒する狩人の態度には程遠く、まるで夜闇に怯える子供が親を見つけたかのような仕草であった。ミズキの知るカナタという少年は、年若くともヤイバという戦闘と隠形の天才に鍛えられたいっぱしの便利屋であり、少なくともこの程度の負傷や暗闇に怯えるような可愛らしい精神はしていないはずであった。

 

 「何があったの? ただごとじゃない様子だけど……」

 

 ひどく心配げなミズキの様子に、カナタはいつもの苦笑で応えようとして失敗し、引きつった表情のまま口を開く。

 

 「でかくて黒い狼の魔獣に襲われて怪我をしたんだ。精霊術が効かなくて、体術もまるで相手にならなかった」

 

 自らよりも圧倒的に強い魔獣と戦闘をした。その内容は怪我をして怯えながらも慎重に移動していたことで町への帰還が遅くなった理由としては十分であったが、常に無くこわばったカナタの表情を見て、ミズキは確信を持って質問を重ねる。

 

 「その後で、何かあったのね?」

 「――っ!」

 

 そう聞かれただけであからさまに表情を恐怖に歪ませたカナタをみて、ミズキはその場での状況確認を諦めた。

 

 「とにかく、今この周辺に魔獣がいるわけではないのね?」

 

 切り替えて現実的に対処すべきことは無いかと確認したミズキに、どこかぎこちない表情と態度でカナタは少し考えてから返答する。

 

 「……、確証は無い、けど、黒狼の魔獣には追いかけられては、いないよ。襲われたのも見失ったのも、遺跡だから、町までは距離がある」

 

 明らかに含みのあるカナタの言い様に奥歯に物が挟まったような心地がしながらも、致命的ではなくとも負傷しているカナタへの心配が勝ったミズキは、とにかく店へ帰るまでは棚上げすることに決めた。

 

 「歩けるのよね? とにかく店へ帰って応急手当をしましょう。カスミちゃんを安心させてあげないといけないしね」

 

 殊更に明るく、片目を瞑りながら提案したミズキに、少し表情の和らいだカナタは一つ頷いてから歩き出した。

 

 “黒狼の魔獣には・・”。ミズキへとそう告げたカナタの頭の中には誰が言ったのか、またどういう意図で言ったのかまるで分からないながらもこびりついて離れない言葉が残っている。

 

 “ここにいるから”

 

 黒い感情の残滓と消えない恐怖感を胸中に抱えながら、ミズキに付き添われたカナタはフモトの町の便利屋ヒノクルマへと帰っていった。

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彼方の影から ~ヤンデレホラーな大精霊に愛され過ぎて逃げられない~ 回道巡 @kaido-meguru

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