第28話「クリスマスという異文化」
十二月に入り、街はクリスマス一色になった。
イルミネーションが輝き、ショーウィンドウには赤と緑の飾りつけ。どこを歩いてもクリスマスソングが流れている。
「日本のクリスマスって、すごいのね」
放課後、駅前を歩きながらファーティマが言った。
「アブダビでも見かけるけど、ここまでじゃないわ」
「まあ、日本は商業イベントみたいなもんだからな」
「商業イベント?」
「本来はキリスト教の行事だろ。でも日本人の大半はキリスト教徒じゃない。ただ、お祭りとして楽しんでるだけだ」
「面白いわね。宗教行事なのに、宗教関係なく祝うなんて」
ファーティマは興味深そうに周りを見回していた。
「ねえ湊、日本人はクリスマスに何をするの?」
「んー、ケーキ食べたり、プレゼント交換したり。あと、恋人同士でデートしたり」
「恋人同士で?」
「ああ。日本だとクリスマスは恋人のイベントって感じだな」
ファーティマは少し考え込んでいた。
「私たちも、何かする?」
その言葉に、俺の心臓が跳ねた。
「お前、クリスマス祝っていいのか? イスラム的に」
「祝うわけじゃないわ。ただ、日本の文化を体験するだけよ」
彼女はいたずらっぽく笑った。
「湊と一緒に過ごす口実が欲しいだけかもしれないけど」
「……そっか」
俺は照れくさくなって、視線を逸らした。
* * *
クリスマスイブは、日曜日だった。
俺たちは夕方から待ち合わせて、都心のイルミネーションを見に行くことにした。
ただ、一つ問題があった。
「母には、友達と出かけるって言ってあるの」
ファーティマがメッセージで伝えてきた。
「嘘ついて大丈夫か?」
「嘘じゃないわ。湊は友達でしょう?」
「まあ、そうだけど……」
「大丈夫よ。父は知ってるし、何かあったらフォローしてくれるって」
アフマドさんが味方についてくれているのは心強い。でも、ライラさんにバレたら、また大変なことになるだろう。
それでも、俺たちは会うことを選んだ。
* * *
待ち合わせ場所の駅前で、ファーティマは白いコートに白いヒジャブ姿だった。まるで雪の妖精のようだ。
「待った?」
「ううん、今来たところ」
いつものやり取り。でも、今日は特別な日だ。
「行こうか」
「ええ」
俺たちは並んで歩き出した。
街はカップルでいっぱいだった。手を繋いで歩く恋人たち。俺たちは手を繋いでいないが、傍から見ればカップルに見えるのだろうか。
「すごい人ね」
「クリスマスイブだからな」
「みんな楽しそう」
ファーティマは周りを見回していた。
イルミネーションの光が、彼女の瞳に反射している。
「綺麗……」
「だろ」
「アブダビにもイルミネーションはあるけど、こんなに繊細じゃないわ。日本のは、まるで星が降ってきたみたい」
詩的な表現だな、と思った。でも、確かにそんな風に見える。
並木道に吊るされた無数の電球が、夜空に瞬いている。青と白の光が、幻想的な世界を作り出していた。
「写真撮りたいわ」
「撮ろう」
俺たちはイルミネーションを背景に、何枚か写真を撮った。
二人で並んで撮る写真。高尾山の時と同じだ。でも、今は気持ちを伝え合った後だから、少し違う意味がある。
「いい写真ね」
「ああ」
「宝物がまた増えたわ」
* * *
しばらく歩いて、俺たちはカフェに入った。
温かい飲み物で一息つく。ファーティマはホットチョコレート、俺はコーヒーを頼んだ。
「ねえ湊」
「ん?」
「クリスマスって、キリスト教ではイエス・キリストの誕生日なんでしょう?」
「そうらしいな」
「イスラムでも、イエスは預言者として尊敬されているのよ」
「そうなのか?」
「ええ。イーサーって呼ばれてるわ。神の子ではないけれど、偉大な預言者の一人」
知らなかった。イスラムとキリスト教に、そんな繋がりがあるとは。
「だから、クリスマスを祝うのは無理でも、イエスを敬う気持ちはあるの」
「へえ……」
「宗教って、意外と繋がってるのよ。イスラムもキリスト教もユダヤ教も、同じ神様を信じてるの。アブラハムの宗教って呼ばれてる」
「難しいな」
「そうでもないわ。根っこは同じなの。ただ、枝分かれしていっただけ」
ファーティマは温かいカップを両手で包みながら言った。
「だから私、湊が別の宗教でも、そんなに気にならないの」
「でも、お前の母さんは——」
「母は保守的だから。でも、私は違うわ」
彼女は俺を見た。
「大事なのは、何を信じてるかじゃなくて、どう生きてるか。湊は誠実で、優しくて、私のことを大切にしてくれる。それだけで十分よ」
「ファーティマ……」
「もちろん、母を説得するのは大変だけど。でも、私は諦めないわ」
彼女の目には、強い意志があった。
* * *
カフェを出て、また街を歩いた。
クリスマスソングがあちこちから聞こえてくる。賑やかで、幸せそうな雰囲気。
「ねえ湊」
「ん?」
「プレゼント、用意してきたの」
「え?」
ファーティマは鞄から小さな包みを取り出した。緑のリボンがかけられている。
「クリスマスプレゼント。日本の習慣でしょう?」
「いや、でも、俺——」
「いいの。受け取って」
彼女は包みを俺に渡した。
開けると、中にはシルバーのブレスレットが入っていた。シンプルだが、品のあるデザインだ。
「お前……」
「湊に似合うと思って」
「ありがとう。でも、俺、何も用意してなくて——」
「いいのよ。私が勝手にあげたかっただけだから」
ファーティマは笑った。
「でも、お返しは期待してるわよ」
「わかった。必ず何か用意する」
「楽しみにしてる」
俺はブレスレットを手首につけた。冷たい金属が、すぐに体温で温まっていく。
「似合ってるわ」
「そうか?」
「ええ。選んでよかった」
彼女は嬉しそうだった。
俺も嬉しかった。彼女が俺のことを考えて選んでくれたものだと思うと、胸が温かくなった。
* * *
夜も更けてきた。
そろそろ帰らないと、ライラさんに怪しまれる。
「今日は楽しかったわ」
「ああ、俺も」
「来年も、一緒に過ごせるといいわね」
来年。
その時、彼女はまだ日本にいるだろうか。
「来年は、もっと盛大にやろう」
「盛大に?」
「ああ。ケーキも食べて、プレゼントも交換して」
「それ、完全にクリスマスを祝ってるわよ」
「いいだろ。日本の文化体験だ」
ファーティマは笑った。
「そうね。日本の文化体験」
駅の改札前で、俺たちは立ち止まった。
「じゃあ、ここで」
「うん」
「気をつけて帰れよ」
「湊もね」
彼女は少し迷ってから、俺の手をそっと握った。
「メリークリスマス、湊」
「メリークリスマス、ファーティマ」
たった数秒の接触。でも、その温もりが心に残った。
彼女は手を離し、改札を通っていった。
振り返って手を振る姿が見えなくなるまで、俺はその場に立っていた。
手首のブレスレットが、イルミネーションの光を反射して輝いている。
クリスマスは、キリスト教の行事だ。
俺たちは、それを「祝った」わけではない。
ただ、一緒に過ごしただけ。
でも、それだけで十分だった。
宗教が違っても、文化が違っても、一緒にいられる。
それが、俺たちの形なのかもしれない。
帰り道、空を見上げた。
星が瞬いている。イルミネーションよりも、ずっと遠い光。
来年のクリスマスも、彼女と一緒に過ごせるだろうか。
そう願いながら、俺は家路についた。
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