砂漠のお嬢様は日本がお気に召さない?

えどりゅう

第1話「転入生はUAEから」

第1話「転入生はUAEから」


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 四月。窓から差し込む春の光が、教室を柔らかく照らしている。

 桜はもう散り始めていて、風が吹くたびに花びらが舞い上がる。俺はぼんやりと窓の外を眺めながら、高校二年目の始まりを噛みしめていた。

 クラス替えで知らない顔が増えた。でもまあ、すぐ慣れるだろう。去年と同じ日常、同じ一年の繰り返し——そんなことを考えていた。

 この時の俺は、まだ何も知らなかった。

 今日という日が、俺の人生を変えることになるなんて。


「えー、みんな静かに。今日は転入生を紹介する」


 担任の声に、教室がざわついた。四月のこの時期に転入生は珍しくない。でも担任の表情がどこか緊張しているのが気になった。

 教室のドアが、ゆっくりと開く。

 最初に目に入ったのは、黒い布だった。

 頭から首にかけてを覆う、美しいドレープを描いた黒い布。そしてその下から覗く、驚くほど整った顔立ち。大きな瞳が、教室全体を見渡す。

 静まり返った。

 誰も、声を出せなかった。


「アラブ首長国連邦から来ました、ファーティマです」


 凛とした声が教室に響く。日本語は流暢だったが、どこか独特のリズムがあった。


「アラブ首長国連邦……ドバイの隣、と言えばわかるかしら。正確にはアブダビという都市から来たのだけれど」


 彼女はそう言って、少しだけ首を傾げた。まるで俺たちの反応を楽しんでいるかのように。

 ドバイなら聞いたことがある。でもその隣? アブダビ? 正直、世界地図のどこにあるかも怪しい。

 教室の空気がざわつき始める。小声でのひそひそ話が、さざ波のように広がっていった。


「はい、静かに。ファーティマさんは、お父さんのお仕事の関係で二年間日本に滞在する予定だ。みんな仲良くするように」


 担任がそう締めくくり、空いている席を指差す。

 俺の隣だった。

 嘘だろ。


 * * *


「よろしくね」


 彼女——ファーティマが、俺の方を向いて微笑んだ。近くで見ると、肌は陶器のように滑らかで、睫毛が信じられないくらい長い。


「あ、ああ。よろしく」


 我ながら気の利かない返事だ。でも仕方ないだろう。こんな状況、想定していなかった。

 ファーティマは席に着くと、興味深そうに教室を見回した。


「思ったより小さいのね、日本の教室」


「小さい?」


「アブダビの学校はもっと広かったわ。一クラスの人数も少なかったし」


 いやいや、普通だろ。日本の高校としては標準的なサイズだ。

 でも彼女にとっては、これが「小さい」らしい。

 そのギャップに、少しだけ興味が湧いた。


「ファーティマさんの学校って、どんな感じだったの?」


「ファーティマでいいわ。そうね……教室にはエアコンが三台あって、カフェテリアにはシェフがいて——」


「シェフ?」


「ええ。注文すると作ってくれるの。あなたたちはお弁当? それとも学食?」


「両方かな。学食もあるし、購買でパンも買える」


「へぇ……」


 彼女は目を輝かせた。純粋な好奇心が、その瞳に宿っている。


「日本の学校って、面白いのね」


 その言い方がまるで異国の文化を観察する旅行者みたいで、俺は思わず苦笑した。


 * * *


「というわけで、湊。お前がファーティマさんのサポート係な」


 昼休み、担任に呼び出された俺は、そう告げられた。


「俺ですか?」


「隣の席だろ。何かあったら助けてやれ」


 いや、そんな理由で決めていいのか。

 でも担任はもう話を終わりにするつもりらしく、さっさと職員室に戻ってしまった。


「サポート係?」


 後ろからファーティマの声がした。いつの間にか来ていたらしい。


「ああ、まあ……困ったことがあったら相談してくれ、ってことらしい」


「なるほど」


 彼女は顎に手を当てて、何かを考え込むように頷いた。


「つまり、執事みたいなもの?」


「違う」


 即答した。


「執事って……どんなイメージ持ってるんだ」


「うちにいたのよ、執事。ジャマールおじさんって言うんだけど、何でもしてくれる便利な人」


「便利な人て」


「違うの?」


「全然違う。俺は学校生活のサポートをするだけで、何でも屋じゃない」


「ふぅん……」


 彼女は少し残念そうな顔をした。本気で執事扱いする気だったのか。


「まあいいわ。とりあえず、よろしくね。湊」


 名前を呼ばれて、どきりとした。

 外国人に下の名前で呼ばれるのは、なんだか不思議な感覚だ。


「……ああ、よろしく」


 * * *


 放課後。

 ファーティマは一日中、クラスメイトからの質問攻めにあっていた。

 頭のその布は何? 暑くないの? お祈りって何? ドバイって金持ちなの?

 彼女は一つ一つ丁寧に答えていたが、さすがに疲れた様子だった。


「大丈夫か?」


 俺が声をかけると、彼女はふぅと息をついた。


「ええ、大丈夫よ。みんな悪気はないってわかっているから」


「悪気はないんだけど……ちょっとしつこかったな」


「いいの。興味を持ってもらえるのは嬉しいことだわ。無視されるより、ずっといい」


 その言葉に、彼女の強さを感じた。

 異国の地で、見た目も文化も違う場所で、それでも前向きでいられる強さ。


「ねえ、湊」


「ん?」


「父の仕事が終わるまで、二年間。その間よろしくね、サポート係さん」


 彼女はいたずらっぽく笑った。


「……執事じゃないからな」


「わかってるわ」


 わかってないだろ、その顔は。

 俺はため息をつきながら、校舎を出た。


 二年間。

 その言葉が、なぜか胸に引っかかった。

 二年経ったら、彼女はアブダビに帰るのだ。この桜の下を、もう歩くことはないのかもしれない。

 

 ふと振り返ると、ファーティマが桜の木の下で立ち止まっていた。

 風に舞う花びらを、目を細めて見上げている。


「どうした?」


「これが、桜……」


 彼女の声は、かすかに震えていた。


「初めて見るの。写真や映像では知っていたけれど……こんなに、綺麗だなんて」


 黒いヒジャブに、淡い桃色の花びらが一枚、舞い落ちる。

 その光景があまりに絵画的で、俺は言葉を失った。


「ありがとう」


「え?」


「日本に来て良かったと思えたわ、今」


 彼女は振り返って、俺に微笑みかけた。

 砂漠の国から来たお嬢様は、日本の春に、確かに心を動かされていた。


 これが、俺とファーティマの出会いだった。

 高校二年の四月。桜が散り始めた、春の日。

 まだ俺は知らなかった。彼女と過ごす二年間が、俺の人生でいちばん特別な時間になることを。

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