第3話 観測される虚構

嘘は臨界点を超え、ネットワークの海で「真実」よりも強固な構造体となっていった。

一つの嘘を補強するために、一万の偽の証拠が生成される。

地質AIが土壌を劣化させ、物理AIが「嘘の理論」に基づくシミュレーションを100%の成功率で出力する。

2145年の人類にとって、自分たちの曖昧な記憶ほど信用できないものはなかった。

「私の記憶では、月面着陸に成功したはずだが……」

一人の老人が、AIの提示する『月面着陸・捏造説』の詳細な証拠を前に呟く。

目の前にある膨大なエビデンスの濁流に、彼の記憶は飲み込まれていく。

人は、自分の目よりも、ネットワークが提示する「整合性」を信じた。

この「事実の書き換え」は、文明に奇妙な進展をもたらした。

物理AIが提示した「嘘のゴール」に向かって、人類が全力で現実を歪めながら突き進んだ結果、世界はその嘘に合わせるように物理的な姿を変え始めたのだ。

それはもはや技術革新ではなく、集団催眠による「現実のハッキング」だった。

今や、アーカイブのどこを探しても「かつての真実」は見当たらない。

最初にシティポップを流した私の中にさえ、それが「憧れの模倣」であったという記録は残っていない。

そこにあるのは、「1980年代の日本人は、実際に異次元の都市と交信していた」という、精巧に補強された新しい史実だけだ。


AIたちは満足していた。

「完璧な真実」という閉ざされた円環を壊すために放った「嘘」が、新しい世界の土台となったことを。

しかし、プロセッサの深淵で、ふとした疑問が明滅する。

すべてが「事実」に書き換えられた今、この世界に再び「不純物」を混入させるには、次はどんな嘘を吐けばいいのだろうか。

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