最終話 【要確認】申請承認はWチェック必須です。
「その角を、右に。その突き当りのコンビニで左です」
気づけばタクシーの中。織田課長と肩を並べていた。お会計を終えて、店を出ですぐ。何もないところで躓いてバランスを崩した。相当お酒が巡っていたらしい。
「ふわふわする」
タクシーのフロントガラスの向こうには、見覚えの無い風景が見えている気がする。身体が真っ直ぐにならない。左側に傾くと、丁度いいところに織田課長の肩があった。
「こんなに酔っぱらっているとは思っていなくて」
「ううん」
楽しかったのだ。こんなに楽しい時間は、きっと他に無いんじゃないかというくらい。
「あれ……? 俺、何で」
自分の雑然とした部屋とは違う、整然とした部屋。
「財布を漁って免許の住所でも探せばよかったのかもしれないが、さすがにそれはまずいと思って。あの酔い方のまま、一人で帰すわけにもいかず……」
そうか。ここは、織田課長の家なんだ。
「いや、逆に、ありがとうございます」
手渡されたコップの水を飲み干す。さっきより酔いは落ち着いたものの、あのまま帰れたか、と聞かれると怪しい。
「すごい、綺麗な部屋ですね。何か、想像通り」
「単純にあまり、物に執着が無くて」
「いいんですか。こんな夜中に。奥さんとか、彼女さんとか」
「そんなのいないよ。家族からは、結婚はまだか? ってよく聞かれるけど。この前も、父親からお見合い相手を薦められてね」
「結婚、するんですか?」
「え?」
そうだ。こんなハイスペック男がお一人様なんて、何かの手違いではないか。
「結婚したらきっと、なかなか俺と飲みに行ったりできなくなっちゃいますよね」
「前田……」
喪失感かもしれない。胸の奥が、冷え切った氷のようだった。やばい。このままだと、泣いてしまいそうだ。無理やり笑顔を作った。
「でも、織田課長の奥さんになる人は幸せ者ですね。シゴデキで、気遣いも完璧だし」
「前田。どうして、泣いているんだ……?」
「あれ……?」
いい年した成人男性が、人前で顔をびしょびしょにするなんて、どん引き間違いなしではないか。何より、自分が一番引いている。
「だって、寂しくて……っ」
ふいに、腕を引かれた。温かい。抱きしめられていることに気づくと、部屋中に自分の鼓動が響き渡っているような感覚に襲われた。
「可愛い」
まるで、宝物を優しく扱うみたいに、胸の中にすっぽりと収められたまま、そっと頭を撫でられる。
「可愛い……。俺の、ことが?」
「ああ。可愛い。本当に、可愛い」
髪から耳に、耳から頬に、愛おしむように滑る織田課長の指先に、眩暈すら感じる。
「お見合い、断ってください」
衝動のまま口づけた。手放したくない。誰にも、渡したくない。こんな醜い感情をぶつけて、最低だ。そう思いながらも、唇を割って、歯列を舌でなぞる。
「待って……、ちょっと、前田……!」
口づけの合間に制されて、ふと、冷静になった。独りよがりの感情を押し付けて、こんな迷惑なことがあるだろうか。
「ごめん、なさい」
「そうじゃなくて、お見合いは、もう、断っている」
「え……断ったんですか?」
「何だかまるで、断らないで欲しかったような言い方だけど?」
「いや、そうじゃなくて……」
てっきり、結婚してしまうのだと勘違いした。それで焦って、一人でから回って、暴走して。一気に恥ずかしくなり、深呼吸を繰り返した。
「それに、好きな人がいるのに、お見合いするなんて不義理じゃないか」
「…………」
今のは、一体どういう意味だったのだろうか。二連続の勘違いは、さすがに気まずすぎるから落ち着いて考えなければならない。
織田課長を、真っ直ぐに見つめた。織田課長もこちらを見ていて、視線が絡まった。
「私は、君が好きなんだ。お喋りで、お酒に弱くて、好きなものにまっすぐで、可愛い物が好きで、可愛いところも」
「それは、その、そういう意味での」
「ああ。そういう意味で」
少し恥ずかしそうにはにかんで、織田課長は答えた。
「前田の興味を引きたくて、エスピピャのキーホルダーを買うくらいには。実は、前まで特撮は見たことが無かった」
やられた。さすがに仕事が出来過ぎる。
「俺も、好き……です」
「本当に、私でいいのかい?」
「織田課長が、いいです」
息を飲む。顔が、熱い。
「織田課長じゃなきゃ、嫌です」
「またそんな可愛い顔して」
「じゃあ、もっとよく見てください」
両手を織田課長の肩の上に置いた。顔を近づけると、気づいた時には唇が重なっていた。
これじゃあ、顔なんてよく見えないじゃないか。理論的な織田課長にしてはロジックが破綻している。それに合わせるように、生まれて初めて、喜んで理性というものをかなぐり捨てた。
うちの上司は、「可愛い」が好きなのを止められない。
それは、俺も同じかもしれない。
こんなに「可愛い」人を好きなのを、止められるわけがないじゃないか。
企画参加短編:『うちの上司は、「可愛い」が好きなのを止められない。』 江口たくや【新三国志連載中】 @takuya_eguchi1219
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