第22話 エピローグ
朝日が城の尖塔を照らし、遠くではコルヴィン山がまだわずかに噴煙を上げていた。城内はすでに慌ただしく動き始めている。だが、セレナの居室だけは静かだった。
わたしはいつの間にか、セレナのベッドに突っ伏して眠っていたらしい。変な体勢で寝たせいで体が少し痛い。立ち上がって背伸びをする。
――まだ疲れが取れないわね。
コルヴィン杭の異常が知らされてから、ずっと動きっぱなしだった。徹夜で後処理に当たっている者も多い。ものと世界ではしたことのない経験の連続だった。寝てしまっても仕方ない事、と自分を納得させる。
ベッドを見ると、セレナはまだ眠っていた。けれど昨日より顔色がよく、熱も下がっているようだった。
部屋の扉を遠慮がちに叩く音がした。
セレナを起こさないように扉に歩み寄り、扉を少しだけあけた。
「セレナはまだ寝ているわ。急ぎ?」
小声で応じる。
「急ぎというわけではありませんが、ギル殿と測量ギルドのスレイ様がお見えです。バルグランド峠の様子が聞けるかと」
「ギルが帰ってきたの?」
その声にセレナが目を覚ました。
「もう少し寝ていた方がいいよ」と言ったけど、セレナは「もう大丈夫です」ベッドから起き上がってしまった。
「ギル!」
城の広間で重臣や親衛隊長と話していたギルを見つけると、セレナは駆け出した。
「セレナ、今回は大活躍だったな」
ギルは駆け寄ってきたセレナを抱き上げて褒めた。普段、公式な場なら処罰がありそうな行動だけど、今日は誰も咎めない。
セレナもいつもより幼い表情で微笑んだ。
「スレイ、助かったわ。あなたたちが杭を取り返してくれなかったら、どうなっていたかわからないわ」
わたしは、近くにいたスレイに声をかけた。
「君こそ、私の作戦によく気づいてくれた。だが……セレナ王女の魔法は見事だったな。君の言う通り、三賢者を越える才能だ」
――わたしの作戦、ね。
ちょっと引っかかるけど、今は素直に感謝しておこう。
「それで、バルグランドは?」
一番気になっていることを尋ねる。それ次第では、まだ安心できない。
「バルグランド軍は、しばらくは大丈夫だろう。裂け目は私達のいた方――バルグランド峠にも伸びてきた。峠を越えてバルグランド側にも広がったから、しばらく通行不能だろう」
側にいた衛兵隊隊長も、「警戒態勢は整えた」とうなずく。
ギルもスレイも危険な場所にいたのだと分かる。
それでも、裂け目がバルグランド側にも被害出したことに、少し溜飲が下がった。
――ビビったか、バルグラント! 二度とちょっかいを出してくるな!!
心の中で毒づく。
「それと新しい杭はどうなの?」
もう一つの気がかりを口にする。
「カモフラージュしてあるが、早急に兵士を配置したほうがいい。まあ、あの異変を見て、それでも杭を抜こうとする奴はいないと思うが」
近くにいた測量士長が、「護衛と監視体制を整えます」との短く答えた。わたしとセレナが来る前に、大まかな方針は決まっていたらしい。少し安心する。
「そうだ、”ギル杭”をあのままにしてはおけないだろう」
セレナを褒めていたギルが、突然話に割って入ってきた。
――ギル杭? そんな杭、あったっけ?
誰も聞き覚えがない単語に、周囲の空気が一瞬止まる。
「あの異変を止めた新コルヴィン杭は、俺が打ち込んだんだぜ? 場所もコルヴィン山じゃないし、新しい名前が必要だろう?」
……誰も返事をしない。
「なあ、セレナ。国王に進言してくれないか?」
セレナが視線を逸らす。
「そ、そうですわね……。検討しておきますわ」
――検討しない気まんまんね。
「スレイ。おまえだって作戦を指揮した…」
「黙れ、ギル!」
――まさかいつも冷静なスレイまで、自分の名前をつけたいの?
スレイの顔がわずかに赤い。
「何言ってるの。三賢者を越える魔法で異変をとめた王女、"セレナ杭"に決まってるじゃない」
わたしの主張に、周囲が「なるほど」とうなずいた。
◇
異変から数日後。
わたしが元の世界に帰る日が来た。
わたしは、三角をモチーフにした紋章の上にたった。たくさんの人達が見送りに来てくれた。
ギル、スレイ、親衛隊隊長、王立地理院の人たち。そしてセレナ。
「セレナ、本当にこれ、いらないの?」
セオドライトを差し出すが、セレナは静かに首を振った。
「それは凛お姉様の大事な思い出が詰まったものですわ。それに――」
昨晩、セレナがベッドの上で話してくれたことを思い出した。
『特別な道具や魔法でしか維持できない今の測量体系は、間違っていますわ。凛お姉様の世界は、国全体を小さな三角形で支えていると聞きました。皆が使える道具で測れる三角形で国を覆えば、今回のような悲劇は、もう起きないと思うのです』
『そんなことをしたら、王族の権威が薄れるんじゃない?』
『権威よりも国の安全の方が大切ですわ』
――セレナは、もう一人前の女王様ね
「それなら、これを受け取って」
わたしは工房長から箱を受け取り、セレナに手渡した。
「開けてみて」
セレナが開けた。中には透明なプリズムが輝いている。
「コーナーキューブ・プリズムよ。この世界で作ったものだから、もう”特別な道具”とは言えないわ」
「直角を出すのに苦労したが、宝石を研磨するのと変わらん」
工房長が誇らしげに胸を張る。
「これなら受け取ってくれる?」
セレナは両手でプリズムを包み込み、震える声で言った。
「もちろん、受け取りますわ。……ごめんなさい。こちらの世界のものを、凛お姉様の世界に送ることはできないんです。わたしから凛お姉様に……」
最後の方は言葉にならなかった。
セレナが落ち着いたころ、帰還の儀式がはじまった。光を放つ紋章が広がり、わたしを包み込む。
――ありがとう、セレナ。
そして、わたしは元の世界にもどった。
◇
後年、バルグランド峠近くの一等杭は『リン杭』と呼ばれるようになった。
階層別に整備された無数の杭で地脈が制御されている現在、かつての三賢者杭ほどの重要性はない。
それでも、この地の測量士たちは口を揃えて言う。
「あの杭から、この国の測量が変わった」と。
ただし、博物館に飾られたタペストリーの縫い跡が少々不格好だったせいで――
『リン杭』は「不器用」の代名詞として語り継がれることになる。
そのことが、異世界に伝わらなかったのは、ひとつの救いであった。
了
白地図の測量士 ―異世界に召喚された女子高生が、歪み始めた世界を測り直す― 万丈 玄 @senkai3000
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