第21話 奇跡の距離
コルヴィン山の噴煙は北風に乗り、王都に向かって流れていた。青空を裂くようにのびる黒い影が、地面を走る”裂け目”と競争しているみたいだ。
その中で、光が閃く。
――火山雷、って言うんだっけ。
そんな雑学が、場違いに脳裏をよぎる。
「わたしたちで伝説を作るよ」
そう言ったのは私だけど、頑張らなきゃいけないのは主にセレナだ。
「合図を送ってきているのは、きっとギルとスレイよ。二人で新しいコルヴィン杭を取り戻したの。そしてわたしと同じことを思いついたのなら――そこに打ち込んだはず」
わたしはセレナと向かい合い、両手を彼女の小さな肩にそっと置いた。
「セレナ、バルグランド街道のギルのところまでの距離を測って」
セレナは息を呑んだ。
「……あ、あそこまで……ですの? バルグランド街道の峠道は、ここから4万パッススは離れています。とても無理ですわ……」
4万パッスス=約60キロ。三賢者杭ですら、お互いの間隔が約40キロだから、魔法の限界なのかもしれない。
セレナの顔に、まだ100メートルがやっとだった頃の不安が浮かぶ。
「大丈夫。あそこにはわたしのプリズムがある。ギルが持って待っているわ」
わたしはセレナを抱きしめて言った。
「あなたの距離魔法は、光魔法の応用よ。細く線のように集中すれば、どこまでだって届く。わたしの世界では月までだって測れるんだから」
あなたならできる、わたしはセレナを励ました。
「……凛お姉様のプリズムと……ギルがいるのですね」
セレナは窓の外を見つめ、深く息を吸った。
「……やってみます」
◇
ガラスが割れた窓の枠を外し、セレナは杖を構える。
目は開けたまま一点を見つめる。
わたしはセオドライトの覗き、息を殺して待った。
――光った。
合図だ。肉眼のセレナも捉えたはず!
「いけーーっ!!」
「光よ!!」
宝石が紫に閃いた。居室全体が光りに包まれる。光が風圧のように空気を押しのけ、セレナのドレスが翻り、私の髪が舞う。次の瞬間、光が収束して一本の線となって、バルグランド峠へと伸びた。
――見えた。
望遠鏡の視界の中心に、紫の点が瞬く。宝石が放った光と同じ色。
――間違いない。あれはコーナーキューブ・プリズムからの反射光!
視準線は反射光の中心を捉えている。わたしは素早く角度を読み取った。
―バルグランド街道―
「スレイ、いつまでこうしてりゃいいんだ?」
ギルがぼやく。
私は信号用の鏡を操って、城に合図を送り続ける。
鏡面の垂線を、太陽と目標の中間に向ける。遠い場合は少し揺らすのがコツだ。
――凛、遅いぞ。
冷静な私でも、こんな状況では少々の焦りを感じる。ギルほどではないが。
城が紫に光った。
「来た!」
私は信号用の鏡を引っ込め、ギルの影に入る。
同時に凄まじい光と爆風が襲う。
「うおおっ!!」
ギルが叫ぶ。
「ギル、耐えろ。杖を離すな!!」
私が叫ぶ。
数秒間、光と風が渦を巻く。爆発ではない。だが、ギルの髪は逆立ち、頬に小さな傷ができた。
「お前、こうなるの知っていたな! 先に言えよ!」
ギルは文句を言いながらも、杖を微動だにさせない。
「うまくいったのか?」
「わからん、凛次第だな。あとは運か……」
脳裏に、凛が言った言葉がよみがえる。
『セレナなら、あの月までだって測れるわ』
――本当にそうであることを祈るよ。
―謁見の間―
光が途切れた。
「セレナ!」
倒れ込むセレナを抱きとめる。小さな胸が上下し、目は半ば閉じている。それでもセレナは、震える唇で数字を紡いだ。
「……に、2万……9千……3百……52……と……8……3です」
「確かに受け取ったよ。ありがとう、セレナ!」
セレナは目を閉じてぐったりとした。息をしていることを確認すると、親衛隊を呼びセレナを託した。
「製図長! アルドから2238角、距離29352.83! マスター地図上で特定、急いで!!」
大型の定規と分度器が、数人がかりで持ち上げられ、タペストリーの上を走る。あらかじめ準備させていたので、王立地理院の製図員は一点に印をつけた。
バルグランド街道の線上。国境の少し手前。
「凛殿、場所を特定しました。しかし刺繍には時間が――」
わたしは黙ってリュックから裁縫セットを取り出した。
まだ一度も使ったことはないが、女子の嗜みとしてリュックの底に入れておいた。
――刺繍なんてできないけど……急ぎならしかたないよね
裁縫セットから小さなハサミを取り出す。そして白い円の中心、コルヴィン山山頂の杭の印にハサミを入れた。
「凛殿、何を――」
「ああっ、地に穴があいてしまう!!」
背後で誰かの声がした。振り返らない。
――どうせ噴火で穴は空いているんだもの、今さら構うことじゃないわ。
説明は後。いまは世界を縫う。切り取った杭の印を、特定した位置に縫い付ける。
――お願い、これで治まって。
効果は、10針目くらいから現れ始めた。
コルヴィン山を中心に広がっていたとした白い円が、外側から徐々に色を取り戻していく。
「外はどうなってる?」
測量士のリーダーに問いかける。
「裂け目の侵攻、停止。徐々に縮小しています。コルヴィン山も噴煙はありますが、溶岩の噴出は止まったようです!」
わたしは更に縫い続けた。指先に微かな抵抗――地脈の反発のような感触が伝わってくる。
――地図と現実が、呼応している。
そう感じた。
感触が消えたところで、針を止める。わたしは最後の結び目を作り、糸を歯で切った。
白、黒、青、緑――小さな裁縫セットなので、すべての糸を使い切った。縫い目は不格好、色もチグハグだけど、はずれなければいい。
――見た目なんてどうでもいい。世界が繋がれば、それで十分。
自画自賛したところで、後は王立地理院に委ねる。
魔獣は排除された。新たな魔獣が出現しないので、狩り尽くすのに時間はかからなかった。アーヴェル側についた兵士も、これ以上事を起こす様子はない。バルグランドの軍勢も全て裂け目に飲み込まれたみたいだし、しばらくは休めそうだ。
わたしはセレナの元へ向かった。
―バルグランド街道―
「じゃあ、あれはセレナの距離魔法だったのか」
スレイから作戦の全容を聞かされて、俺は呟いた。
「逆転の発想さ。地図に
「現場合わせは、小さな杭では時々やるが、それを三賢者杭でやるとはな」
その大胆さに、俺は呆れた。――同時に、そんな発想に辿り着いた凛にも素直に脱帽した。
「それを可能にしたのが、セレナ王女の距離魔法だ。凛が『月までも測れる』って言ってたのを思い出したよ」
「三賢者を越えてくるとはね」
噴火が収まりつつあるコルヴィン山を見やりながら、俺はその時のことを反芻した。
「こいつを木の枝でカモフラージュして、一旦王都に戻ろう」
状況を確かめようと、スレイが提案する。
「そうだな、”ギル杭”をどうにかできる奴がいるとは思えないが、念の為偽装するか」
俺は折れた戦鎚の柄を杖にして立ち上がった。
「”ギル杭”? 何だそれは?」
「これを打ち込んだのは俺だぜ。名前くらい冠するべきだろ」
俺の主張に、スレイがぴくりと笑う。
「お前はやけになって打ち込んだだけだろう。ここはこの作戦を指揮した私の名前を冠するべきだ」
スレイは譲らない。
まあ、決定権は国王にあるだろう。
――城に戻ったら、セレナに根回しが必要だな。
◇
ベッドの上、セレナは静かに眠っていた。額に触れると。少し熱い。
わたしは濡らしたタオルをセレナの額にのせた。
「凛お姉様……光……ちゃんと届きました、か?」
かすかな声。薄っすらと目を開けた。わたしは微笑んだ。
「もちろん。完璧だったよ」
セレナは起きようとするが、それをわたしが止める。
「コルヴィン山は…裂け目は?」
「安心して。裂け目は閉じたわ。噴火もいまは煙だけよ」
セレナが安心して目を閉じる。
「……よかった……」
――おやすみなさい。セレナ。よく頑張ったね
彼女の手が布団の下から伸び、私の服の裾を掴んだ。
その小さな手を包み、ベッドの傍らに椅子を寄せて、静かに腰を下ろした。
今夜はここで寝ることにした。
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