第3話 はじめての測量

 朝の冷気は針みたいに細くて、草地を一歩あるくごとに、露がわたしのつま先を冷やした。




 初仕事の現場は王都から半日ほどの丘陵地帯。複写地図では淡い茶色に塗られた畑と林の境目に、問題の杭が──あった。金属の頭が、5センチほど、地面に突きでている。近づくと、空気の揺らぎが皮膚を撫でていった。これが地脈の感覚なのだろうか。




「杭にも色々あってな。王立地理院が管理していて四六時中監視役がついている杭、民間が定期的に検査している杭。そしてこいつみたいに、誰も監視してないわりには結構な重要な杭。まあ、今まではそれほど動くことはなかったんだがな」




 ギルが教えてくれる。わたしは、王国地理院から借りた複写地図の巻き紐を解き、膝の上に広げる。




 この国の地図は、どこからでも見える三つの山の山頂に打たれた杭──アルド、ベネト、コルヴィン 通称『三賢者杭』を基準にしている。地図には、この杭から測定した三賢者杭の角度も記載されている。わたしのやり方はシンプルだ。杭の上に立って角度を測り、正しい位置への方位と距離を逆算し、そこに打ち直す。役割は決まっている。角度はわたし、距離はセレナ、杭の打ち込みはギル。異世界でも測量の原理はもとの世界と同じだ。




「三脚、固定。気泡中央……よし……セオドライト設置」




 祖父形見のアナログ式セオドライトを据え、水平をとる。視準を合わせると、望遠鏡の視界にアルド山の山頂を捉えた。山頂にはオベリスクのような塔が立っている。そこに視準線を慎重に合わせる。目盛りが朝日に光る。




「セレナ、メモの準備はいい?」




「はいですわ。 ぬお! ちょっと緊張してきましたわ」




 セレナは左手に野帳、右手に筆記用具を握りしめる。角度測定開始。アルド→ベネト、ベネト→コルヴィン、コルヴィン→アルド。望遠鏡を180度反転させてもう一度。これを2回。セレナが書き留めた角度の数値を確認する。再現性は完璧。我ながら良い腕だ。この結果からズレ幅を計算する。




 ――ズレは102m、68.9パッススか。




「正しい位置は、コルヴィンから右に1/600、68.9パッススよ」




「68パッススか……結構大きいな!」




 ギルの顔がわずかに歪む。逆にセレナはほっとした顔をしている。彼女の距離魔法の射程に収まったからか。彼女の距離魔法は鋭いけれど、まだ射程が短い。知り合って日は浅いけど、それを密かに気にしていることを感じていた。




「今度はわたしの番ですわね」




 セレナはわたしの指差す方向に走り出す。




「セレナ、ちょい右…そう…そのまま真っすぐ」




 望遠鏡で彼女の背中を見ながら指示を出す。杖を持って走る姿がかわいい。セレナは立ち止まって、こっちを振り返り、何度か後退りしてから杖を地面に刺す。宝石が朝日を反射して眩しい。




「凛お姉様、ここですわ!」




 彼女の杖は、望遠鏡の視準線にピッタリと重なっている。




「修正位置はあそこよ。次はギルの番ね」




「わかった。よく見てろよ」




 ギルは革袋から短い杭を六本取り出し、問題の杭を囲むように打ち込む。




「俺達の世界では、『仮杭』と呼んでいる。杭を修正する際、一時的に地脈をとどめておくためだ」




 打撃の反動か地面の震えが伝わる。




「凛、方向と距離をもう一度」




 慎重なギル。わたしはもう一度角度を測り、セレナに距離を確認させる。




「問題ないよ」




 ギルは、わたしにセオドライトをどけるように言うと、愛用の戦鎚の先端を杭に引っ掛けた。




「せいやっ!」




 テコの原理で、杭を引き抜く。なにかゾクッと背中を撫でる違和感。森の鳥たちが一斉に飛び立つ。




「いやな感じね」




「まあな。結構ズレが大きかったからな。修正するにも反動がある……でも危ないのはこれからだぜ」




 ギルは、引き抜いた杭をセレナの位置まで持っていき、打ち直す。ギルが戦鎚を打ち下ろすたびに、背筋に違和感がある。これは単なる錯覚ではなく、地脈の”動を”感じているのだろう。打ち終わると、ギルが戻ってきた。




「さて……次は仮杭を引き抜く。ちょっと違和感があるから座ってろ。ただし俺から離れるな」




 ギルは仮杭の一本を掴むと、慎重に抜き取った。先ほどとは桁違いの違和感。寒気がするだけではなく、視界がゆがむ。座っていなければ倒れていたかもしれない。それくらいの衝撃。セレナを見ると両手で杖を握り、立ったまま耐えている。えらい……んっ?




 ――セレナが近くなっているような……?




 目をこすりもう一度見る。やはり近い。気づいた。杭のズレは地面、ひょっとしたら空間まで歪ませてしまう、ということなのだろう。それを修正するとなると……これは大事変だ。ことの重大さに改めて戦慄した。


 異変が収まると、ギルは二本目に取り掛かる。一本目同様に慎重に引き抜く。が、その時、地面の下で糸が切れるような音がした。耳じゃなく、足の裏で聞こえる音。 空気がひやりと湿り、周囲の色が一瞬薄まる。




「来るぞ」




 ギルが低い声で警告する。草むらがめくれ、黒い影がぬるりと溢れた。口が横に裂けた犬のような、でも脚は虫に近い、見慣れない形。さらに背中に奇妙な突起を持つ個体も混じっている。突起が震え、次の瞬間、羽音のような振動を生み出した。




 ――飛ぶのもいる!




 影の数は十や二十ではない。地中から、草むらから、さらには空からも。三方向どころか、全方位を囲まれていた。わたしは息を呑み、声が漏れる。




「やっぱり出るのね…」




「凛、下がれ! ここは俺達を信じろ!」




 わたしはセオドライトを抱きしめて一歩退く。ギルが前に躍り出る。戦鎚が地面を抉り、最前の影の顎を粉砕した。骨のない肉がちぎれるみたいな、いやな音が遅れてくる。黒い影はセレナの方にも向かった。セレナが杖を掲げた。




「光よ、まっすぐに──!」




 細い光束が一本、影の群れを貫き、焦げた匂いが風に乗る。一撃で仕留めた。だけど数が多い。二匹、三匹だけじゃない。奥の草が波打ち、影が幾条にも重なって押し寄せてくる。




「セレナを助けなきゃ」




「動くな、そこで大人しくしてろ!」




 ギルの怒号。戦鎚がわたしの頭の上を旋回して、黒い影を数匹まとめて砕く。圧倒的な強さだ。だけど数が多い。このままじゃジリ貧だ。ふと気づいて、腕の中のセオドライトを見る。セオドライトは答えるように鈍く光る。




 ――そうだ、わたしは異世界人。きっとチートな能力があるはず。




 改めてみると、セオドライトの望遠鏡はまるでビーム砲のようにみえる。わたしは三脚を素早く広げ、砲身…じゃなくて望遠鏡を黒い影にむけた。そして昔見た映画のワンシーンを強くイメージする。




「薙ぎ払え!!」




 セオドライトから放たれたビームは、黒い影の群れを横一閃、直後の爆発で数十匹が吹き飛ばされた!




 ……なんてことは起きなかった。




「…なにやってんだお前」




 呆れた顔でギルが言う。




「な、なんでもないわ。ただの戦いのお約束よ。異世界じゃ常識なの!」




 赤面してごまかす。しかし事態は笑えない。影は数を増し、波のように押し寄せる。




「凛お姉様、杖を高く掲げてくださいませ」




 セレナが叫んだ。わたしはとっさに左手の杖を頭上に掲げる。




「どわっ!?」




 ギルが慌てて身を伏せる。


 直後、セレナの杖から奔流のような光が放たれ、わたしの杖の宝石に吸い込まれ……内部に反射した光が四方八方に閃光が奔る!? 影たちが悲鳴を上げ、焼かれ、溶け、灰となって崩れていく。耳をつんざく轟音、焦げた臭気。わたしは左手の杖はそのまま目を閉じ、頭を抱えた。


 光の乱舞が数秒か、あるいは数十秒続いただろうか。永遠のような時間ののち、静寂が訪れた。目を開けると、動いているのはわたしたち3人だけになっていた。






     ◇






「セレナ姫は、国はじまって以来の、それこそ三賢者に匹敵する大魔法使いだ。対人戦闘はともかく、この程度の魔物に遅れを取るわけがない」




「はあ…そうだったの。じゃあ護衛というのは…」




「そう、俺は主にお前の護衛だ」




「距離測定魔法は……その、まだ未熟ですが、光魔法はすこし自信がありますの」




 セレナが、てへっと笑った。




 その後の作業は順調に進んだ。ギルが仮杭を引き抜くたび、また魔物が現れないかヒヤヒヤしたが、杞憂に終わった。引き抜く際の強烈な違和感にも慣れて、最後の一本を引き抜く際は立っていることもできた。念のため、新しく打ち直した杭から三賢者杭の角度を測り、地図と一致していることを確認した。




「誤差は最小。これ以上はちょっと望めないわ」




 望遠鏡から目を離し、セレナとギルに言う。




「これだけのズレを一発で修正するなんて初めてだ。さすがは異世界の測量士だ」




「普通はどうなの?」




 と聞くと、ギルは民間の測量チームにいたときのことを話してくれた。


 それによると、今回よりもズレが少ないか、大きい場合は、打ち直しを何回も行い少しずつ正しい位置を探るという。一つの役割に何人もいる大チームか、複数チームが合同で作業するそうだ。それでも数日かかることあるとか。




「じゃあわたしたちは奇跡のチームってわけ?」




「当然だ」




 ギルは鼻で笑って戦鎚を払う。




「お前が角度を作り、姫さんが距離を伸ばし、俺が叩く。役目通りだ」




 ギルが、なにを言っているかわからない、ひょっとしたら深い意味がある言葉で締めた。




 撤収の前に、わたしは地面に膝をつき、杭頭にそっと触れた。金属は冷たく、でも微かな温もりがあった。地脈の水音が、遠くの地下で細く続いているのが分かる。複写地図の該当箇所に小さな印をつけ、作業完了の符を描く。白くなりかけていた輪郭は少しずつ色を取り戻した。






     ◇






 その夜遅く、わたし達は城に帰還した。出迎えてくれたアーヴェルから、マスター地図も色を取り戻したことを知らされた。


 城の自室の窓から外を眺める。今夜は満月で明るかった。異世界に来てから窓の外に見えていた山が、三賢者杭の一つベネトだったと気づく。




 ――この国は三角形に守られている。




 そう感じながら、わたしは目を閉じた。

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