第2話 測量準備(異世界仕様)

 異世界に召喚されてから一晩。まだ夢の続きのような気分のまま、私は城の客間で目を覚ました。高い天蓋つきのベッドなんて、映画でしか見たことない。ふかふかの布団に沈み込んで、思わず二度寝しそうになるけど――。




「凛お姉様! 起きてくださいませ!」




 勢いよく扉が開いて、小さな王女様――セレナが飛び込んできた。手には絵に書いたような魔法使いの杖。寝ぼけ眼で振り返る私に、彼女は胸を張って言う。




「今日から測量の準備を始めますの! お姉様の力を存分に見せていただきますわ!」




 ......そうだった。私は「異世界の測量士」として召喚されたんだっけ。夢でも冗談でもないらしい。






     ◇






 石畳を踏むたび、乾いた音が作業場の高い天井に跳ね返った。城の一角にあるこの部屋は、鍛冶場と木工房を半分ずつ重ね合わせたような匂いがする。煤のにおいと、削りたての木の甘い香り。壁には鉋、鑿、鋸、知らない形の鑢まできちんと並び、梁からは革の袋と麻縄がぶら下がっていた。




「ここで三脚をつくりましょう」




 と案内役の職人が言った。そう、異世界に召喚されたとき、私は三脚から外したセオドライト本体を磨いていた。だから今あるのはセオドライト本体だけ。三脚がなければ使い物にならない。しっかりした土台が必要だ。




「三脚はあるにはありますが......測量士様の道具に合うかどうか」




「大丈夫。要は “揺れない” “水平が取れる” “スム―スに回る”、この三つがそろえばいいの」




 私は革の包から、祖父ゆずりのアナログ式セオドライトを取り出す。黄銅の光沢が、炉の火を柔らかく反射した。そっと撫でると祖父の手の温度が掌に戻ってくる気がした。




「ほぉ......」




 セオドライトの望遠鏡を覗いた職人が喉の奥で感嘆する。




「中心の細い線で目標を捉えるのか。目盛りが連動して...... これを作ったのは本当に人の手か?」




「ええ。うちの世界では、こういう“細かさ”で勝負するの」




「これなら角度測定魔法よりも正確に測れるかもしれんな」




 彼らの驚きに、私はちょっとだけ得意になる。




 ――異世界の魔法よりも精密な器械なんて。




「脚は硬い材がいい。多少重くてもいい。あと長さを調節できるようにしてね。セオドライトの接続はこの穴に合う様にして。固定はなんでも構わないけど、少々揺らしても動かないように。あと、セオドライトの中心軸に合わせてスム―スに回転できるように。これ重要よ。」




「それは任せてくれ。風車を作ったときの技術で代用できるだろう。水平はどうとる?」




「水泡管、つまり気泡の入った管があればさらにいいけど、ないなら糸と錘で代わりになる」




 言いながら、私は床にチョ―クで簡単な図を描いた。三角形の頂点に脚、中央に天板、その中心から垂直に糸が下がる。糸の先に鉛。




「糸がここ——中心の刻み——を通れば、鉛直。あとは脚の長さを微調整して、円盤の水平を合わせる」




「脚の先は?」




「鉄靴を。地面を噛むように尖らせて」




 職人は「面白い」と笑い、手早く道具を揃えた。木は丈夫な樫を選んでくれた。脚は二枚張り合わせにして反りを抑え、蝶番で開閉。天板は厚板を三角にかさ上げし、中央に鉄の回転座。そこへ真鍮のピンを立て、楔で締める仕組みを提案してくれた。




――さすがは異世界の職人。話が早い。




 半日もせず、三脚は形になった。脚を開くと、木地の新しい色が工房の光に映える。私の黄銅のセオドライトをそっと載せ、回転座のピンに中心の穴を合わせ、楔を軽く叩く。




「揺れ、ほぼなし。いい仕事」




 私はセオドライトの望遠鏡をのぞき、工房の窓のから見えるお城の塔を目標にして水平回転をそっと回す。視準線が塔の中心を捉えたところで、手をはなす。視準線は塔の中央を外さないまま、ピタッと止まる。




――いい感触だ。




「これが......角度を測る道具『セオドライト』ですの?」




 背中から、遠慮がちな小さな声。振り向くと、セレナが私の肘元に寄っていて、真剣な目でセオドライトを見る。




「覗くとね、遠くのものの方向が“数字”になるの。東西南北みたいな大雑把じゃなくて、もっと細かく」




「どれくらい細かいのです?」




「たとえば......」




 私はお城の塔の、更に後ろの塔――肉眼ではほぼ重なっている――に視準線を合わせ。角度を読む。




「はい、2つの塔はほとんど重なって見えるけど、10秒角...ここの単位では円の1/129600だけズレているわ」




「1/129600って! 気が遠くなるくらい正確ですのね。」




「うん。外の風や、私の手の震えでぶれるけど、慣れれば抑えられる」




 セレナは目を輝かせた。




「すごい......さすがは異世界の測量士様ですわ。私達の魔法でもかないません。」




「まあ、これのおかげなんだけどね。」




 私はセオドライトをぽんと叩いた。






     ◇






 そこへ、黒髪を後ろで束ねた大柄な男が入ってきた。戦鎚を肩に担ぎ、笑うと犬歯がのぞく。




「おいおい、また難しいこと言ってるな。数字で迷子は防げねぇ。“牙をむく相手”には、拳で返すんだ」




「......なにを言っているのかわからないと思いますが、紹介します。今後、凛お姉様と私と一緒に測量をしていただきますギルといいます。」




「護衛兼ストライカ―だ。杭を打つ、抜く、運ぶ、叩く。あと護る。役目は多いが、やることは単純だ」




 ギルと呼ばれた大男は、戦鎚の石突で床をコツンと突いた。音が骨に響く。




「ちなみに、こっちの“測量チ―ム”の役割は、サーベイヤー、マッパ―、マーカー、ストライカ―。お嬢ちゃん——あんたはサーベイヤーだろ」




「......なにを言っているのかわからないけど、角度を測るのが私。あと計算して、正しい杭の位置を導くのも私かな。あと凛でいいわ。」




「ということはサーベイヤー兼マッパ―ということかな。そっちの世界のことはわからないが、こっちではあとマ―カ―がいる。っと、これはセレナ姫が担当かな」




 戸惑っている私に、セレナが詳しく教えてくれた。




 ・サーベイヤー : 測量で角度測定担当


 ・マーカー : 測量で距離測定担当


 ・マッパ― : 計算と図面担当。リ―ダ―になることが多い


 ・ストライカ― : 杭打ち担当


 ・その他 : 護衛や荷物運搬人




 これが標準的な測量チ―ムの編成らしい。




「ただし——」




 ギルが指を一本立てる。




「こっちの世界では“護衛”がいなきゃ死ぬ。裂け目から魔物がわく。油断してると、裂け目に飲み込まれることだってある」




 言葉は乾いているのに、その奥に重い記憶があるのがわかった。私は頷く。




 ――やっぱり異世界だもんね。魔物もいるよね。




 ふと、私はリュックのポケットから小さなプラスチック杭を取り出した。祖父と“測量ごっこ”をしたときに使った、練習用の軽いやつ。




「杭ってどんな感じなのかな。私の世界ではこういうのを使ってたの。仮に刺すだけだから、軽くて安全」




 ギルはそれを見るなり、腹を抱えて笑った。




「なんだこりゃ、飴細工か? 子どもの玩具だろ!」




「う......まあ、玩具寄り」




 恥ずかしくなった瞬間、セレナがそっとそれを受け取る。




「軽いのに、先はちゃんと尖っていて、まっすぐです。 ......けれど、わたくしたちの杭は地脈を引き付けるもの。金属で重く、魔術用の紋章が彫ってありますの」




「“地脈を引き付ける” ......やっぱり、価値観から違うんだね」




 私はプラスチック杭を握り直し、胸の内でそっと祖父に謝った。




 ――これは玩具じゃない。私の“原点”だ。でも、ここでは文字通り世界を繋ぎ止めている。それなりの重さがいる




 準備は続く。職人は三脚の脚先に鉄靴を嵌め、縄目の革で脚の付け根にストラップをつけた。これで肩に担ぎやすい。私はセオドライトの水平をとる練習を繰り返し、天板の締め具の遊びを調整した。






    ◇






 昼下がり、作業場の戸口から柔らかな光が差し込んだ。セレナが、その光の中に立っていた。




「凛お姉様。 ......その、これを受け取っていただけますか?」




 差し出されたのは一本の杖。私の背丈に合わせて仕立てられた滑らかな木軸。先端には宝石が埋め込まれている。セレナの杖とよく似ているけれど、宝石の色が少し違う。




「おそろい、だね」




「はい。わたくしのほうは赤色が強い光石。こちらは少し青みがかったもの。ちょっとした仕掛けも施してありますわ」




 握ると、杖の芯がかすかに脈打った気がした。錯覚かもしれない。私には魔法が使えないはずだ。




「ありがとう。大切にするね」




 セレナは小さく頷き、私の手を両手で包む。




「似合ってますわ、凛お姉様」




 その言い方が可笑しくて、緊張が解けてきた。私は笑った。




 その後、私達は城の中庭で最終の試験をすることになった。中庭といっても兵士たちが訓練に使ったり、闘技にも行われたりするので、途方もなく広い。立ったことは無いが、陸上競技場のど真ん中に立たされている気分だ。


 私は三脚を芝の上に立て、セオドライトを載せる。ギルは戦鎚を担いで、周囲の警戒している。セレナは杖を胸に、やる気まんまんで隣に並ぶ。




「まずは角度の試験。あの塔の尖塔と、城門の旗竿を基準にする」




 私は視準線を塔の先端に合わせ、水平目盛を読む。次に旗竿へ。差を計算し、心の中で十回ほど繰り返して誤差を掴む。一度セオドライトを三脚から外して、三脚を畳んでから、再度同じことを繰り返す。




 ――再現性問題なし。角度測定は問題ないかな。




 ここに杭を打ち、中庭を横切り別の場所で角度測定、ここにも杭を打つ。




「次、距離。セレナ、ここからさっきの杭までの距離わかる」




「承知しましたわ。凛お姉様はここで待っててください。......行きます」




 セレナはさっきの杭まで走っていった。杖の宝石が太陽の光を反射して時折輝く。私は得意の三角関数計算で、測定した角度から杭間の距離を計算する。




「40......50......70......」




 セレナは数字を呟きながら走る。杭のところについたところでこちらに振り向いた。




「98.56パッススですわ」




 小数点以下の数字まで出るとは思わなかった。慌てて、小数点以下まで計算する。




 ――ぴったり一致。




「精度は完璧よ。すごいよセレナ」




「今は100パッススが限界ですの。でも、がんばります」




「うん。角度と距離が揃えば、位置は出せる。三角形で世界を守ろう」




 私は二人に作戦を話す。




「まずは白地図化の原因となっている杭の位置を測量するわ。それとこの王国地理院図の位置とを比較して、ズレた方向と距離を計算するの」




「その計算結果の位置に私が行くのですね」




「そして俺が杭を打ち直す」




 話が早くて助かる。セレナは王女として王国地理院の測量を手伝っているし、ギルも民間の測量チームにいたベテランらしい。




「杭の打ち直しに関しては、私はわからないからギルに任せるけど、なにか注意点とかある?」




「ああ、たっぷりある。手順を間違えると、空間の裂け目から魔物がわんさか出てくる」




 ギルはにっと笑う。




「任せとけ。杭の打ち直しに関しては、俺の右に出るものはいねえよ。魔物が出てきても、全部叩き潰す」




 そのとき、作業場の奥の扉が静かに開いた。長衣を纏った老学者が歩み寄る。ア―ヴェル・モルダン——王国地理院の長。




「準備は、整いましたかな」




 穏やかな声。けれど目は、私のセオドライトをまっすぐに射抜く。




「ええ。三脚の安定は十分。角度は読めます。距離はセレナ。現場での調整は必要ですが、出られます」




「うむ。では、初めての任務を告げましょう」




 ア―ヴェルは東を杖で示した。そこには連なる丘の向こう、霞の中に、緑の破れ目のような窪地が見える。




「王都から東へ半日の村——“リヴェ”。地図が白くなり始めている。近隣の畑で収穫量が落ち、井戸の水が細り、人々の足が王都へ向かい始めました。地脈の流れがとだえかけているのでしょう」




 私は喉を鳴らした。




「それも杭がズレた影響?」




「杭のズレか、劣化か。あるいは他国の干渉......いずれにせよ、急を要します。王国地理院としては騒ぎを避けたい。ですから少人数で密かに進める。あなた方のように機動力のある隊が良い」




 セレナが一歩前へ出て、右手を胸に当てる。




「父——国王陛下の名において。わたくしたちは“地を縫い直す”ために参ります」




 ア―ヴェルの瞳に、薄い微笑が灯った。




「頼もしい。凛殿、あなたの道具は異郷の技だ。我々の“角度魔法”よりも繊細な地図を紡いでくれるでしょう。どうか、その力を貸してください」




「もちろん。私も、この世界で迷子になりたくないので」




 ア―ヴェルは頷き、上衣の懐から細長い巻紙を取り出した。現場用に複写された地図だ。




「王国地理院の複写図です。三賢者杭——アルド、ベネト、コルヴィン——を基準に描かれている。現場で必要な範囲だけを複写してあります。現地での異変が大きければ、図は薄くなる。薄くなればなるほど、修復も難しくなる。急いでください」




 私は巻紙を受け取り、地図の薄い線を指先で確かめる。確かに、右下の村の輪郭は心許ない。まるで消しゴムで擦られた跡のように白い。




「わかりました......行ってきます」






    ◇






 翌早朝、出発は早かった。ギルは荷車に予備の杭と仮杭、食料などを積み込む。セオドライトは革ケ―スに収め私の膝の上。三脚はとりあえず荷車へ。地図と野帳、筆記用具はたすき掛けした革製のショルダ―バックにしまう。右手にはセレナからもらった杖を持つ。セレナも先端の宝石を覆った杖を手に持ち、旅装を整える。




「忘れ物はありませんか?」




「たぶんない......いや、あるような気もする。なんだろ」




 城門をくぐると、朝の光が白く広がっていた。街路の屋根瓦が一枚ずつ輪郭を持ち、人々の足取りが川のように流れていく。私は右手の杖の重みを感じ、背筋を伸ばした。




「凛」




 隣でギルが短く呼ぶ。




「怖いか」




「少し。でも楽しみの方が勝ってる」




「いい答えだ。怖さを忘れたやつが、一番死ぬ。覚えている限り、お前は生きる」




 彼はにっと笑う。相変わらず何を言っているのかわからないが、不思議と安心する。




「では、行きましょう」




 セレナが両手で杖を持ち、空へ掲げた。




「この杖は、道を照らすために。わたくしたちは、地を縫うために。出発ですわ!」




 見張り兵が門を押す。門が軋んで開く。外の空気は少し湿っていて、野の草の匂いが濃い。異世界での最初の測量が始まる。




――杭を正すたび、白地図は色を取り戻す。




私は膝の上のセオドライトの重みを確かめた。

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