第8話 一晩で建った月面都市「ルナ・サトウ」

「……佐藤君。お風呂上がりにこんなことを言うのもなんだけど、各国の代表がとんでもない書面にサインしちゃったわよ」

 湯上がりで上気した顔の凛が、分厚いタブレットを康太に突き出した。

 そこには、国連と神代財閥、そして個人としての佐藤康太の間で結ばれた『月面平和利用および居住区建設に関する基本合意書』という、仰々しいタイトルが記されていた。

「要約するとね、『ここに都市を作ってくれ。資金と労働力は出すから、技術は君が提供しろ』ってことよ」

「え、都市? 家一個じゃ足りないの?」

 康太はコーヒー牛乳を飲みながら、窓の外の荒涼としたクレーターを眺める。そこには、先ほどまで温泉に浸かっていたはずの首脳陣や科学者たちが、宇宙服も着ずに(康太のテラフォーミングのおかげで)地面を這いずり回り、石ころを拾って感動している姿があった。

「彼らは気づいたのよ。あなたの技術を奪うのは不可能だけど、ここに『相乗り』すれば、自国を数百年先に進められるって。……で、どうするの? 断ってもいいのよ?」

「うーん。でも、お風呂一つじゃ狭いし、コンビニとかゲーセンもあった方が楽しいよね。健、どう思う?」

 ドローンを飛ばして月面のパノラマ映像を撮影していた健が親指を立てる。

「最高じゃねーか! 『月面で初対戦! ラグなし通信のゲーセン作ってみた』なんて動画、全人類が見るぜ!」

「よし、じゃあやっちゃおうか。神代さん、悪いけど資材だけ地球から転送してくれる? そこらへんの砂を使うのは、環境破壊になりそうだし」

 その日の夜。地球の全テレビ局は、空前絶後の光景を生中継していた。

 月面に描かれた、直径数十キロメートルにも及ぶ巨大な光の幾何学模様。

 康太が放った『建築錬成陣』が、月の大地をキャンバスにして輝きを放つ。

「さて……家の増築の延長だね。『大規模構造・一括出力』」

 康太が指を鳴らした瞬間。

 地球からゲートを通じて運び込まれた数百万トンの鉄鋼、セラミック、ガラスが、光の奔流となって空中を舞った。

 ガシャガシャと、ブロックを組み立てるような音が真空(のはずの空間)に響き渡る。

 数分後。そこには、最新鋭のビルが立ち並び、緑豊かな公園が整備され、透明なチューブの中を無音の交通システムが走り抜ける、完全なる「未来都市」が出現していた。

「……信じられない。設計図もなしに、インフラまで完璧に整っているわ」

 凛は呆然と立ち尽くす。

 発電は空気中の微細な魔素を電気に変える「魔導変換回路」。

 水は地下の資源を循環させる『永久浄化システム』。

 ゴミ一つ落ちていないその街は、地球のどの都市よりも美しく、機能的だった。

「できた。名前は……神代さんが言ってた『ルナ・サトウ』でいいよ。あ、真ん中にでっかいゲーセン作ったから、健、あとでいこうぜ」

「おうよ! ……あ、でも康太、あそこ見ろよ。なんか変なのがゲートから入ってきたぞ」

 健が指さした先。

 正式な招待枠ではないゲートの隙間から、最新鋭のステルス迷彩を纏った一団が、都市の影に紛れ込もうとしていた。

 彼らは各国の正規軍ではない。康太の技術がもたらす『利権』を独占しようと企む、巨大複合企業の私設軍隊だった。

「せっかく作ったのに、土足で入ってくるのはマナー違反だよね」

 康太は少しだけ目を細めた。

 彼は戦いを好まない。しかし、自分の『やりたい放題』を邪魔されることには、少しだけ厳しい。

「神代さん、都市の『防衛システム』のテスト、今やっていいかな?」

「……手加減しなさいよ? 月が壊れたら洒落にならないんだから」

 康太はポケットからスマホを取り出し、自作の『都市管理アプリ』のボタンを一つタップした。

 その瞬間、侵入者たちの足元の地面が『意志』を持ったかのように波打ち始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る